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 お菓子を作るのが好きだ。そのまま食べたら絶対に美味しくないであろう、粉や、色々な個体をかき混ぜて、焼いたり、冷やしたりすることで、様々なものに変貌する様が面白いから。そういえば、昔から私は理科の座学はさっぱりだったが、実験に限っては意欲が旺盛だったなあ。お菓子作りも実験も、共にやっている時はとても楽しいのだが、後片付けは億劫だ。この二つの行為は、何だか似ている。
 今まで、たくさんのお菓子を作った。クッキーに、ゼリーに、ケーキに、プリンにその他もろもろ。最初は分量やら、焼き時間などを誤りまったく違うものや、お世辞にも美味しいとは言えないものができたこともあった。まあ、失敗は成功への糧になると前向きに捉え、失敗したものは責任とって自分で食したから問題ないだろう。その甲斐あってか、今では作れば大体は及第点以上といえる程には成長した。
 作った際は、完成品を独り占めするよりも誰かにあげて喜んでもらえる方がいい。正直いうと私はこの意見はあまり賛同できなかったのだがある人に出会って、初めてこの人の為に作って、この人に美味しいと、喜んでもらいたいと思ったのだ。
「おいしい?」
「まずまずだな」
 今日作ったのはアップルパイ。過去に何度も作って、色々な工夫を重ねてきた自信作だ。どうやらいつもより美味しかったようで、口に入れてから再びフォークを刺すまでの時間がほんの少し短い。今までは細かいことに気を配ることなんて、お菓子作り以外にはなかったのに、私は雅子ちゃんのことになると目敏く、大胆になる。

 雅子ちゃんに出会ったのは、四月のことだ。完全に私の一目惚れだった。まさか、同じ女の人を、先生を好きになるなんて思ってもいなかった。
 人の心を掴みたいのならまず、胃袋を掴め。そんな先人の言葉に従い、すぐに雅子ちゃんのもとへ当時からの自信作であるアップルパイを差し出した。雅子ちゃんは、意外にもそれを受け取ってくれた。人の好意を突き返すようなことはしたくないとのことだ。受け取ってくれた、まではよかったのだ。一口食べたあと、雅子ちゃんの顔に汗が浮かんだ。味見はしたし、失敗した覚えもないのにどうしたのかと尋ねると雅子ちゃんは、実は甘すぎるものはあまり得意ではないんだとこぼされた。私にとってはそれが普通だったので、雅子ちゃんの言葉にはとても驚いた。そして、自分が今まで独り善がりにお菓子を作っていたことに気付きとても恥ずかしくなってしまった。
 そのあとはもう食べなくていいと涙目で止める私と、大丈夫だ、と制しアップルパイを食す雅子ちゃんとのやり取りが続いた。やっとのことで完食した雅子ちゃんが今度は甘さは控えてくれると嬉しいと言ってくれた。申し訳ない気持ちと、また食べてくれるんだという嬉しさでぐちゃぐちゃになってもう高校生だというのに大きな声で泣いてしまった。その時宥めるように撫でてくれた雅子ちゃんの手はとてもあたたかく、優しいものだった。雅子ちゃんの胃袋を掴むはずだったのに、私の心ががっちりと掴まれてしまった。
 その日から、私のお菓子作りは変わった。甘いものが好きな人はもちろん、甘いものがあまり得意じゃない人も食べれるようなお菓子を作るべく頑張った。雅子ちゃんに、美味しいと言ってもらいたい一心で、ひたすら作った。クラスの子や、部活の人、色々な人に食べてもらっては意見を聞いて、研究を重ねた。結果、雅子ちゃんにも美味しいと言ってもらえるようなお菓子を作れるようになった。その時、嬉しさで雅子ちゃんへの気持ちを漏らしてしまった。雅子ちゃんは、何とも思っていない奴のために苦手なものを受け取れるほど、自分は優しくないと言った。私は、あのときのように大きな声でわんわん泣いてしまった。今回の涙は、100%嬉しさによるものだ。

「何、じろじろ見てる」
「……しあわせだなあ、って思って」
 変な奴だ、と呟くと雅子ちゃんはかちゃん、とフォークを置いた。どうやら私が色々と思い出しているうちに、食べおわってしまったようだ。もっと、雅子ちゃんが食べているところ眺めたかったのに、残念。あ、雅子ちゃんってば食べかすつけてる。普段はきりっとしているのに、私と二人きりになるとそれが少しばかり緩むのが嬉しい。
「雅子ちゃん」
 雅子ちゃんの返事を待たずに一瞬だけ唇を重ねる。離れ際に唇の端を舐めると、林檎の味がした。
「食べかすついてたよ」
 口で言え、と頭を小突かれた。いや、小突かれたという分には威力が強いかな。雅子ちゃんの押しに弱く、意外と照れ屋なところもとても可愛らしい。そんな雅子ちゃんの顔を知っている私は、世界一の幸せ者だ。

「ねえ、雅子ちゃん。私、今度はウェディングケーキを作りたいの。もちろん、甘さは控えめで」

20120927