「一大事じゃあ!国王陛下がマルヤムの王女にお刺されあそばした。出あえ。出あえ!」

突然の絶叫に、ミトはびくりと身体を震わせた。
ミトがその言葉の意味を理解するより先に、たちまち、王宮に甲冑の鳴る音と足音があわただしく響き渡る。

「な、なに……?イリーナさまが、ルシタニア国王を刺した……?」

まったく理解に苦しむ状況だった。
ルシタニアに捕らえられたイリーナが武器を取り上げられずにいたのも可笑しな話だし、盲目のイリーナが国王と遭遇し、彼を刺せたというのも奇妙だった。

「まさか……」

廊下の向こうから響いてくる喧騒を聞きながら、考えを巡らせていると、しばらくしてから扉が開いた。
やってきたのはギスカールだった。
感情が高ぶったような血走った目をしていて、どこか落ち着きのない様子で部屋に入ってくると、ミトには目もくれずに、まるで自分の家であるかのように無造作に椅子に腰掛けた。

「……この騒ぎはなんですか?王弟殿下」
「おぬしのところの王女が兄を刺したのだ」
「そんなはず……ありません」

ギスカールは椅子にもたれ天を仰いでいた。右手で軽く額をおさえていたが、「なぜそう思う」と喉から笑いを漏らしながら問うた。

「不可解なことがいくつもあります。イリーナさまがなぜ人を刺せるようなものを持っていたのか、なぜ国王と同じ空間にいたのか……。普通なら起こりえないことが起きた。そうするように仕組んだのはあなたたちなのでしょう?」

国王殺害の濡れ衣を着せられたイリーナのことを想い、ミトは震える唇から言葉を紡いでいた。

「ふん……仮に我らがその状況を作り出したとしても、刺したのはかの王女自身の手によるもの。念願の復讐が叶って何よりではないか」
「イリーナさまを人殺しに……!」
「なに、さすがに力の弱い王女殿下では、致命傷にはいたらなかったようでな。安心するといい」
「なっ……そういうことを言ってるんじゃ……」

つまり、イリーナは反国王派の仕組んだとおりに国王を刺したようなのだが、傷が浅く殺すことまではできなかったらしい。
ギスカールの表情には、計画がうまくいった笑いと、兄王を殺し損ねた苦悩とが奇妙に混在していた。

「だが、いずれにせよ、国王殺害の罪によりマルヤム王女は火計に処す」
「ま、待ってよ」
「そしてその従者として、おぬしも処刑する」
「……」

ここがどこだがミトは唐突に思い出した。ここは、もはやパルスではない。ルシタニアの王が棲む都だった。
その中では、ミトがなにを叫んでも誰も聞かないだろう。まして、王が倒れ、事実上の最高権力者となったギスカールがこうだと決めれば、誰も文句は言えない。

「……いずれ死ぬおぬしだから話すが」

呆然としていたミトに、ぽつりと言葉が落ちる。見ると、ギスカールがなんともいえない表情をしてこちらを眺めていた。
隙だらけで、どこか悲しげで、やりきれず、わだかまるような。

「俺はずっと兄が憎かった。実力もなく、ただ俺より先に生まれたというだけで、王に君臨するなど、馬鹿馬鹿しくて仕方なかった。だがもう生かしておいても何の益もない状況になった。だからおぬしらを利用して葬ることにしたのだが……こうも上手くいくとはな」
「……あなたは」
「おぬしらは、俺が王となるための礎になるのだ。悪く思うな」

そういえばこの人はどうしてほとんど初対面のミトのところにわざわざ一人でやってきて、こんな個人的な話をしているのだろう、とふと思う。
まるで王を弑する言い訳をミトにしているようではないか。
他に本音で相談できるような相手もいないのかもしれないが、彼は、ミトに対して“本当は”何か繋がりがあるのではないか――

「ギスカール……さん」

徐ろに名前を呼んだミトを、ギスカールが見返す。
眉間のしわは深く、苦労の痕を刻んでいた。王族らしく威厳のある態度も、鋭い瞳も、いまはなぜかやわらかく、凪いでいた。

「私、どこかであなたに会いましたか?」

部屋に刺す光がぼやけ、時間全体がまどろんだような心地がした。
だが、ギスカールは表情を変えなかった。やがて立ち上がり、ミトを部屋に残して扉を開ける。

「俺もそういう気がしていた。だが、もう会うことはあるまい」

彼が出ていくと、替わりに数人の兵士たちがやって来て、ミトを立たせた。謁見の間へ向かうのだと言う。そこでミトに罪を言い渡すのだそうだ。

いま、ミトの頭にはいくつかの考えがあった。なんとか隙を見て逃走するか、自分の不思議な力の有益性を説いて一時的に彼らの下にくだるか。
さて、ここをどうやって乗り切ろうか――



***



ルシタニア兵に連れられて、謁見の間に入る。
どうも今回の件――イリーナがルシタニア国王を刺したという事件――に関わった人物を順番に呼び出し、ギスカールから刑を言い渡しているようだった。
この機会に邪魔な連中はすべて粛清してしまおうという魂胆らしく、ギスカールの手元には分厚い書類があった。
ということは……とミトは辺りを見回した。だがこの部屋にはイリーナの姿はなかった。
いるのはギスカールと、数人の兵士のみだ。逃げようと思えば逃げられるかもしれないが、時期をはかりかねているうちに、ミトの名前が呼ばれたので大人しく進み出た。

「マルヤム王女の従者よ。王女をイノケンティス七世陛下のもとへ導いた罪で、火刑に処す」

ギスカールの前に突き出されると、彼はそのように偽りの罪を述べ、ミトを見据えた。
異国の得体のしれぬミトのような者どもに面倒事を押し付けて始末してしまおうという、実に手っ取り早い方法だった。
彼はずっとこのような機会を伺っていたのだろうか。兄王を弑逆し、自分が玉座に着く日を待ち望んでいたというのだろうか。
しかし、このままで終われるわけがない。

「……私がどうなっても、イリーナさまは殺させません」
「……何?」
「イリーナさまをお守りすることを約束してしまったので、その人に合わせる顔がなくなってしまいます」

ミトはギスカールに向かって微笑んだ。この状況にも関わらず、あまりにも穏やかな声と表情。
それにギスカールが言葉を失っている時だった。
突然、謁見室の高い窓から、声が響いた。

「動くなよ、ルシタニアの王弟。少しでも動いたら、顎の下にもう一つ口が開くことになるぞ」

兵士たちが驚いて声のする方を見上げると、窓枠に片ひざをつき、弓を構えているパルス人の姿があった。
ミトはその姿に胸が踊った。生き延びていたのだ。思わず「メルレイン!」と呼ぶと、彼は無愛想ながらもミトを見て「今、助ける」と口にした。

「何をぬかす、くせ者めが!」

ギスカールの脇に控えていた騎士が怒鳴りながら剣を抜いた途端、その剣は彼の手からこぼれ落ちた。メルレインの手から放たれた弓が、騎士を貫いていた。悲鳴をあげる間もなく、彼はギスカールの足元にどさりと倒れた。
まさに瞬殺だった。謁見の間に、緊張が走る。
メルレインの弓がルシタニアの最高権力者を捉えているにも関わらず、その場にいる兵は誰も動けずにいた。動けば凄まじい速さで射抜かれてしまうに違いなかったのだ。

「終わらせてやる……!」

パルスを踏み躙った人物、そしてイリーナとミトを殺そうとしていた人物を睨み、メルレインは弦から手を離した。ギスカールはぐっと歯を食いしばる。
歴史の流れを断ち切る一矢が飛んだ。

「だめ……!」

しかし、メルレインは一瞬ののち目を疑った。
ギスカールを貫く矢の軌道上に、あろうことかミトが割って入ったのだ。

「ミト!!」



***



メルレインの放った矢は、ミトの額にまっすぐに突き刺さったように見えた。
だがその状況を直視したくないあまり、思わず目を固く閉じてしまった。そして不思議なことに、その場にいた誰もが、矢がミトに触れる瞬間を見ていなかった。

「……ミトだと?」

ギスカールがようやく我にかえったとき、足元に少女が倒れていて、矢もその横に転がっていた。刺さったはずだと思ったのに、瞬きをしている間に、いつの間にか矢は床に落ちていた。
だが、何がおきたかなどどうでもいい、というように、ギスカールは急いで少女を掻き抱いた。

「ミトだと?やはりおぬしはミトなのだな?」

ギスカールは気を失ったミトの肩を揺さぶる。少女の右手をとって、まるで祈るように頬にこすりつけていた。


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