その日、ダイラム地方の入り口である湖に面した漁村に、異変が生じた。
パルス国の王都から遠いこの地は、異国の侵攻の影響をほとんど受けていなかったのだが、その平穏がついに破られることになったのである。

「ルシタニア人だ!ルシタニア兵が襲ってきたぞ!」

望楼上の監視の兵の叫び声が響きわたったとき、静かな街道は、わっと騒がしくなり、人々が逃げ惑う地獄のような光景へと姿を変えた。

「ルシタニア軍……!?」
「なんだって!?逃げろ!街へ戻れ!」

街道を進んでいたミトは、驚く馬をなだめながら、あわてて街へ向けて駆け戻る人々の流れの中、立ち止まって様子を伺っていた。
確か、この地にはパルス軍は不在だと聞いた。戦えるのは治安維持のために派遣された役人配下の兵士たちくらいだ。今までは小規模な略奪くらいしかなかったからまだ防げていたが、人々の逃げ惑う様子からして、今回は話が違うらしい。
とはいえ、王都から遠く、戦略上の要所でもないこの地にわざわざやってくるのは、本格的な侵略というよりは私的な略奪のためだろう。ルシタニア貴族の兵、騎馬ばかり数百騎というところか。

「ナルサスとエラムの故郷を、ルシタニアの好きにさせない、守らなきゃ……!」

ミトは流れに逆らい、馬を走らせた。援軍は期待できないが、自分ひとりだとしても戦わなければ、彼らにふたたび合わせる顔がないような気がしたのだ。



***



漁村は殺戮の渦に巻き込まれていた。
武器をもたない住民たちを、ルシタニア兵が高笑いしながら殺しているのが、小高い丘の上に立つミトの目に入ったとき、ミトは静かな怒りに燃えた。
やはり、敵の数は多い。ざっと三百騎はいる。だがミトはひるまなかった。恐怖よりも、怒りの方が大きかったからだ。ミトの好きな人たちの住む場所を、穢されて、罪のない人々の生命が奪われていく状況に、黙っていられなかった。
しかし、ぎゅっと唇を噛み締め、村へ駆け下りようとしたとき、にわかに悲鳴があがった。

「!?」

それは住民ではなく、ルシタニア兵のものだった。何が起きたのかわからず目を凝らすと、長大な剣を担いだたくましい身体付きの男が、馬とともに建物の影から飛び出してきた。その剣は血に濡れ、見ると、彼のあとにはルシタニア兵が何人も倒れ伏している。
男は剣をふりまわしながらルシタニア兵たちの中へ突っ込んでいった。斬り、払い、突く。それらの動作が恐ろしいほど速く、轟々と音が鳴るほどの強さで繰り出され、あっという間に辺りにいたルシタニア兵は壊滅状態になった。

「つ、強い……誰かはわからないけど、ルシタニアと戦ってるなら私の味方だよね……?」

まるでダリューンやキシュワードに匹敵するような強さだった。圧倒的な力にしばらく見惚れていたが、男の死角から襲いかかろうとしているルシタニア兵をみつけると、ミトは急いで丘の上から弓を放ち、騎士をひとり射落とした。
その矢に気付いた男は振り返り、ミトを仰いだ。三十歳すぎくらいの獅子のような顔立ちで、左眼は一文字に潰れていた。

「わ、私も加勢します!」

声を張り上げると丘を駆け下り、ミトは男の傍まで馬を走らせた。
男は戦場の真っ只中だというのにゆったりした笑いを浮かべ、大剣を肩に担いでミトのことを待っていた。

「ほう。こんなお嬢さんに援護していただけるとは、俺にも運がまわってきたな」

荒削りだが、どこか洗練されたような動作でミトを見つめると、男は目を細めた。

「だが、ここは俺ひとりで構わん。お嬢さんは下がっているといい。奴らは加減を知らぬ賊だぞ」
「大丈夫です。足はひっぱりませんから」

剣など握ったことのないように見える少女は、にこりと笑って馬の腹を蹴った。逃げ出したルシタニア兵が、数騎の仲間を連れて戻ってくるのが見えたからだ。男の制止も聞かず、ミトはその中へ向けて走りながら矢を放った。三分の一を射落としたところで、馬を止め、突進してくるルシタニア兵を剣で叩き落とす。

「貴様ぁっ!」

怒声が飛ぶ。あの隻眼の男に倒されるならまだ納得がいくかもしれないが、このような華奢な少女にやられるのは不服に違いない。ルシタニア兵は力任せに剣を振るう。しかしその剣はミトを傷つけることはなく、紙一重のところですべるように受け流されてしまう。

「よし。ナルサスの言ったとおり、まだ力はある……!」

不思議な加護の力を確認し、ミトに自信が戻ってきた。だが、それが一瞬の油断になった。
背後にまわったルシタニア兵が、渾身の一突きを繰り出した。

それにミトが気付いたときには、もうほとんど心臓を抉られる距離に迫っていた。
隻眼の男の声が飛ぶ。
景色がスローモーションになった。
だが、その剣に一本の矢があたり、軌道が変わってミトの脇を擦り抜けていった。一瞬遅れて高い金属音が響く。そして、驚いたルシタニア兵の胸に、続けて飛来した矢がまっすぐに突き立った。

馬上から崩れ落ちる兵がミトの視界から消えたとき、弓を構えた青年が建物の上にいるのを見つけた。一瞬の恐怖は過ぎ去り、肩で息をするミトの目に、生理的な涙が浮かぶ。
赤みを帯びた髪に黒い布を巻きつけた十八歳くらいの青年は、無愛想な表情でミトを見下ろしていた。整った顔立ちであるだけに、余計にそっけない感じがする。

「……あ、ありがとうございます」

しかし助けてくれたのだから、おそらく味方なのだろう。目が合ったのでミトはちょこんと首を傾げながらお礼を言うが、彼は頷きもしなかった。

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