ペシャワール城の赤い壁が途切れ、外の世界が見える。
この門をくぐれば、本当にひとりぼっちの旅が始まるのだ。覚悟はしていたものの、恐怖や、寂しさが胸につかえて呼吸が苦しかった。
城門付近には、ミトのよく知る顔が並んでいた。彼女のひっそりとした旅立ちを見送ろうと待っていたのだ。

馬を引くミトに走り寄ってきたのは、アルフリードだった。

「はい。これ少しの間はもつと思うから」

そう言って彼女が渡してきたのは、保存のきく食糧。一人での旅は、敵に遭遇したときに圧倒的に生存確率が下がるということもあるが、とくにミトのように土地勘のない者は主要な村や街に辿りつけずに飢え死にするという危険性もある。
ありがたくそれを受け取ると、彼女は「なにかあったらゾット族に頼ってくれてもいいし。あたしの名前出せば助けてくれると思うよ」ともう一つお守りとなる言葉を付け加えてくれた。

「ありがと、アルフリード。あの、ナルサスのことよろしくね」
「なんであんたがそんなこと言うのよ」

聞こえる距離に人がいないのを確認してから、ミトは少し声を落としてそう言った。アルフリードはまだ幼い瞳をきょとんとさせて瞬きする。

「ごめんアルフリード。わたしもナルサスのことが好きなんだ」

自分でも驚くほど、さらりと言葉が零れ出た。出て行くときに、これだけは彼女に言わなくては、と思っていたのだ。
宣戦布告とかそういうことではなくて、ようやく自分の気持ちに気付いたから、ということで。

「あらそう。なによ、いまさら。知ってたわよそんなの」

しかしアルフリードはほとんど驚きもせず、ふいと視線を流す。それには、逆にこちらが驚いてしまった。

「えっ、でも私は最近……」
「最初っからあの人のこと好きだったわよ、あんたは。別にいいわよ、ナルサスみたいな人が女子にちやほやされないはずがないし。ま、あんたがいない間にあたしたちがどうなってても文句は言わないでよね」
「そ、それは、わかってるけど」
「心配ならはやく帰ってきなさいよ」

何事もないかのように言うと、ばし、と大きな音を立ててミトの肩を叩き、アルフリードは離れていった。
あまりにも自分の予想に反した行動をとられて、ミトはしばらく呆気にとられていた。加えて、最初から自分はナルサスのことを好きだった、と自分以外の人に言われて、恥ずかしくなる。やっぱり、自分のことが何一つわかってないな、と小さく溜息をつき、手を振る少女を目に映した。
たぶんアルフリードはナルサスと本気で結婚したいと思っているだろうから、彼を好きだと言うミトのことは煩わしいと思うのが普通の反応。しかし彼女は「はやく帰ってきて」などと言うのだから、本当に気持ちのいい少女だと思う。ミトもナルサスもどこか彼女に救われているのは間違いなかった。


今度は、ファランギースがそばにやってきた。そして赤面してしまいそうなほど美しい微笑みをしたかと思うと、ミトの手をそっと握った。
ミトの手に、何かを握らせたのである。

「孔雀石の耳飾りをおぬしに」
「これ、いいの?」
「ああ。その石は、危険が迫ると砕けて知らせるといわれている。災いをもたらす人を遠ざけ、おぬしにとって本当に必要な人との出会いを導いてくれるはずじゃ」

ミトは手のひらでころんと転がる耳飾りをみつめた。まるくつやつやした石はエメラルドの絵の具が地球と混ざりあったような色合い。まるで宇宙の重なりを映すような鮮やかさに思わず感嘆の声が漏れる。

「綺麗……ありがとう」

神官らしい彼女の気遣いをありがたく受け取り、お礼を述べていると、不意に彼女は鋭い視線を顔の脇へ飛ばした。ミトに声をかけようと近付いていたギーヴがはたとして足を止める。

「ギーヴ、近寄るでない。ミトに渡したばかりのお守りがさっそく砕けるかもしれぬ」
「おや。どのような困難があろうと俺とミトどのには関係ありませぬぞ」

他愛のない冗談に、ミトは笑う。こんなやりとりも、しばらくは聞くことがなさそうだと思うと、寂しさがこみあげてくる。
ギーヴはファランギースに咎められない程度まで近付くと、いつものさわやかな表面的な笑みを見せた。その笑顔はここぞとばかりにきらきらと輝いている。

「ミトどの、何か欲しいものはあるか?おぬしには世話になったし、個人的な思い入れもあるから、俺にできるものならなんでも用意しよう」

彼の言う「個人的な思い入れ」がどういうものかミトにはわからなかったが、ミトは少し考えたあとで、ぽんと手を叩いた。

「決まったか?」
「うん」
「そうかミト、俺自身が欲しいのなら、素直にそう言うとよい」
「ううん。ギーヴ、わたし、持てるだけ宝石が欲しい」

淡々とそう返すと、ギーヴは目を丸くし、ファランギースは小さく笑っていた。宝石なんてせびったことのないミトが言うのだから、彼の驚きはもっともなのだが。

「ギーヴ、もうお別れだから。いいよね?」

目を輝かせて言われるとさすがに彼も断れないようで、「用意いたしますよ、姫さま」と溜息をついて一度城の方へ戻っていった。

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