また、夢のような靄に包まれた景色のなかを歩いていた。

真っ白な月は、夜の闇に侵食されて少し欠けている。
エメラルドを流し込んだような美しい川の流れに沿って歩くと、やがて渓谷が終わり、小さな街のようなものが見えてきた。屋根の群れは月の光に照らされ、絵画のように青白く光っている。
相変わらず辺りには生きているものの気配もなく、川の音や木々のざわめきしか聞こえない。
あの街に行けば誰かに会えるだろうか。なにかわかるだろうか。
そう思ってミトは足を急がせた。



「ん……」

眩しい、と感じて目を開けた。
太陽の光が身体に染み込み、眠りから覚醒する。ミトは、昨夜なにをしていたのか咄嗟に思い出せず、自分の部屋とはどこか違う景色をぼんやりと眺めていたのだが、その視線はすぐに彷徨うことをやめた。

「……!!」

目の前に、すぐ隣に、ナルサスがいることに気が付いたのだ。
あまりの驚きに、悲鳴は出なかったので、ナルサスはまだ眠ったままでいる。しかし、ミト自身は眠る前のことをひとつも思い出せず、起きたら知らない部屋にいて、なぜか隣に誰かがいるなんて、卒倒してもおかしくない状況だった。

「な、な、なんでナルサスがここに」

ミトは大きなクッションに横たわったまま、ばくばくと胸を打ち付ける心臓に必死で抵抗していた。予期せぬ出来事に、どうしたらいいかわからなかった。物事を整理することすらままならない。
しかし、目覚めの気分は最悪なのだが、どうやら心地よく眠れていたようで身体はすっきりしていた。
昨夜は確かラジェンドラ王子を賓客として祝宴が開かれ、そこで自分はギーヴたちとともに酒を飲んでいたのだが……その先が思い出せないから、酔い潰れていたことは容易に想像できる。

「そしたらナルサスが部屋まで連れてきてくれたのかな……私の部屋じゃないけど」

ミトはひとりで呟きながら、どきどきする胸をおさえ、眠っているナルサスの顔をみつめた。
明るい色の髪が額にはらりと落ちかかり、彼が呼吸をするたびに小さく揺れる。
男の人なのに、きれいだなあ、とミトは不覚にも思い、しばらくその芸術的な表情を眺めていた。
パルスでの旅が始まってからまだ一月足らずというところだが、ミトが一番世話になっているのは間違いなく彼だった。
それにしても、こんなに近くで彼の顔を見るのは初めてで、目覚めたばかりのときの驚きもまだ落ち着かず、心臓の鼓動が早い。

「……と、とりあえず、部屋に戻ろう」

ミトはどういうわけか身体が熱くなるのを感じ、居ても立ってもいられなくなり、一旦ここから退出したいと思った。どきどきするのも収まらない。こんなきれいな男の人が隣に寝ていては、それも当然だ、と言ってやりたい気分だった。
しかし、起き上がろうとして浮かせた腰を、突然誰かに掴まれ引き寄せられて、ミトは声をあげた。
ナルサスの身体が先ほどよりも近くにある。そしてその瞳が開かれ、ばっちりと目が合ってしまう。

「どこへ行く、ミト」
「ひえ、ナルサス」

情けない声が出たがもうどうにもならなかった。
ナルサスはおかしそうに口端を上げて、またミトの腰を引き寄せた。思わず彼との間に壁をつくろうと腕で胸を押したが、そんなことをしてももう意味がないくらい、身体同士が近付いていた。

「礼もせず出て行くのか?せっかくまた昨日おぬしを助けてやったというのに」
「え……助けた?」
「やはり覚えていないか、助け甲斐のないやつめ」
「っていうか、ナルサス、も、もしかして起きてた?」
「おぬしが俺の顔を眺めている間中起きていたよ」

星空を映したような瞳にふっと微笑まれ、ミトの胸がきゅうと苦しくなった。

「途中で噴き出しそうになったぞ、あまりにもじっくり眺めているからな」

同時に、恥ずかしさが襲ってくる。きれいだなと思って眺めていたのが、本人にばれていたなんて。
今、もっと近くで彼の顔が見られるのに、目をあわせることができなかった。

「……いや、それより、なんで私の隣で寝てるんですか」
「むしろミトが俺の部屋で勝手に寝ているような状況なのだが」
「わ、私、昨日のこと覚えてないからなんでこうなっているのかよくわからないんですが。はっ、もしかして、私が酔ってる隙に何かしました!?」
「無礼だな。おぬしを毒蛇から守ったのは俺だぞ」

ナルサスは少し眉を上げて、ミトの頬を指で突いた。まるで子供かなにかのように扱われ、ミトは顔を真っ赤にする。
横たわっている大きなクッションは二人分の重みで沈み、窓からの光を滑らかに受けていた。
美しいアラベスク模様に包まれ、美しい明るい髪の男の人に寄り添われている。まるで絵画のような光景のなかに今まさに自分がいるなんて、とても信じられないし、それに耐え難いほど幸福だと感じてしまって、ミトは思わずナルサスの腕を振り払って立ち上がった。

「き、昨日はナルサスにご迷惑かけたみたいで本当にすみません。よく覚えていませんが、ありがとうございました。で、では私はこれで」

早口にそれだけ言って素早く退出しようとしたが、ナルサスに低く「ミト」と呼ばれ、びくりとして動きを止めた。

「おぬしにはしばらく酒を禁止する。別に構わぬな?」
「な、何かと思えばそんなことですか?」
「では何だと思ったのだ?」

ナルサスが髪をかき上げると、一本一本が透き通って太陽の光を映した。ミトは、なんて絵になる人なんだろうとかそんなことをぼうっと考えている。まだ心臓がどきどきと音を立てていた。

「い、いえ。わかりました。もう迷惑かけたくないのでそうします」
「ああ。想像や夢の中で飲むなら構わんが、現実でおぬしに酒を飲まれると、他でもない俺が頭を悩まされるのでな」
「夢……?」

とくに意味はないナルサスの言葉をとらえ、ミトは首を傾げた。そうだ、確か夢を見ていた。また、どこかで見たことのあるような景色の中を歩く夢を。

「そんなところに突っ立っているなら、もう一眠りしていくといいのにな」

考え込んでしまい、少しぼんやりしていたらしい。
ナルサスが人の悪い笑みを浮かべて言った言葉に、ミトはあわてて、逃げるようにして部屋を出た。


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