ホディールの兵たちに城門を開けるよう命じると、主を失ってもはや戦う意味をなくした彼らは素直に門を開け放った。
血の匂いが、後味の悪さを一層強くする。上手くいけば現時点ではこれ以上ないほどの戦力が手に入ったのだが、それも城主の欲深さから、水泡に帰してしまった。
ここに留まっていても仕方がないから、夜が明けぬうち出発しようと一行は門へ向かったのだが、肝心の王子がふらりと脇へ逸れていく。

「殿下、どちらへ?」
「せっかくここまで来たのだ。ホディールの奴隷たちを解放してやろう」

ホディールの兵に奴隷小屋の位置を聞いたアルスラーンは、自ら馬を進めて先頭を歩いた。
アルスラーンの善意がミトにも伝わってくる。これはとても喜ばしいことであるような気がするのだが、なぜか空気が重かった。誰も言葉を発さないのである。
ちら、とエラムを見ると、エラムはナルサスを見ていた。

城の裏手の日の当たらないところに粗末な小屋があり、扉には簡単な錠前がかけられていた。
馬から降りたアルスラーンが剣で錠前を叩くと、すぐに壊れてしまった。なぜ、壊そうと思えばすぐに壊れるような鍵を付けているのか、ミトは疑問に思ったのだが、その理由はすぐにわかることになる。



***



「さあ行くがいい。お前たちはもう自由だ!」

奴隷小屋の扉を開け放ったアルスラーンの声は楽器のように高らかに響き渡った。
それは不意に幸運をもたらした神さまみたいであるはずなのに、狭い小屋の中で雑魚寝をしていた奴隷たちは不思議そうに目を丸くしながら、のっそりと起き上がっただけだった。
そして「ご主人さまは……ホディールさまはこのことをご存知なのか?」と、まず主人のことを訊くのだった。

「ホディールは死んだ。だからおぬしたちは自由になったのだ」
「ご主人さまが死んだ!?貴様が殺したのか!?」
「そうだ。おぬしたちを縛る者はもう……」

怒声が起きたのはそのときだった。「とんでもない悪党め!」と爆発したように奴隷の一人が怒鳴った直後、それが彼ら全体に広がり、憤りを抑えられない者たちが刃物のついた農具や調理器具を持ちだしてきて王子に殺到した。
アルスラーンの瞳は晴れ晴れとして少しも曇っているところがなかったのだが、自由への誘いは、目の濁った奴隷たちに届かなかった。

「この野郎!貴様が殺したんだな!くらえっ!」

アルスラーンの頭部を打ち砕こうと、奴隷が力任せに鋤を振るった。しかし、間に飛び込んだ黒騎士が王子を抱えて駆け去っていき、鋤は空を斬った。

「失礼します、殿下」

ダリューンは主を拾い上げる恰好になったことを謝るが、そうでもしなければ王子は奴隷たちに取り囲まれて殴り殺されていただろう。

「ダリューン卿!」
「おう、このまま城を出よう!」

王子の馬を引くギーヴを見て、ダリューンはその勢いのまま城門から飛び出した。ミトたちも、それに続く。奴隷たちも罵声をあげながら城外まで追ってきたのだが、徒歩の彼らが追いつくはずもなく、ぐんぐんと引き離していった。



***



「ホディールは自分の所有する奴隷たちには優しいご主人でした。あの奴隷たちにしてみれば、殿下も私どもも主人の仇ということになるのですよ」

カシャーン城塞から馬を飛ばしてしばらく星空の下を走った。
追手がないことを確認し、王子一行はスピードを緩めたが、気まずい空気は拭えなかった。
ナルサスが諭すように呟いた言葉に、アルスラーンは眉を下げる。

「なぜ教えてくれなかったのだ?こうなるのではないかということを」
「先にそう教えてさしあげても、殿下は納得なさらなかったでしょう。世の中には経験せねば決してわからないことがあると思いましたので、あえてお止めしませんでした」
「……それはおぬしのことでもあるのか?ナルサス」

王子の瞳が潤んだように光り、元領主をみつめている。ミトも馬上で彼を振り返った。
過去のことはきっともう彼のなかで整理できてしまっているのだろうが、やりきれない表情は生々しい。

「……私が五年前に父のあとを継いでダイラム領主となり奴隷を解放したのはご存知でしょう。その後すぐトゥラーン、シンドゥラ、チュルクの三国連合を退けるため、しばし王都に滞在し……戦が終わり、一息ついたので一時自領に戻ったときのことです」

彼に解放された奴隷を親にもつエラムは、心配そうに主を見ていた。

「私が解放したはずの奴隷たちが八割がた舞い戻って働いているのをみつけたのです。彼らにはひとりの自由民として生きるだけの技能も目的もなかったのです。解放するときに、彼らに一年分の生活費を与えたのですが、計画的に金銭を使うことに慣れていなかったためあっという間に使い果たしていました。寛大な主人のもとに奴隷であること……これほど楽な生き方はありません。自分で考える必要もなく、ただ命令に従っていれば、家も食事もくれるのですから。……五年前の私にはそのことがわからなかった」
「だけど、おぬしは信念にもとづいて正義を行ったのではないか?そうだろう?」

アルスラーンの瞳は、奴隷たちに殺されかけた先ほどの出来事があったあとでも、曇りがなかった。同じ人間である者が、一方は奴隷として虐げられる、そんな世界は間違っていると思う心に迷いはない。
しかしナルサスはそんな王子を賞賛することも非難することもなく、ただ宝石を零したような星空を見上げた。

「正義とは太陽ではなく星のようなものかもしれませんな、殿下。星は天空数限りなくありますし、たがいに光を打ち消し合います。ダリューンの伯父上がよくおっしゃったものです。『お前たちは自分だけが正しいと思っている』と」
「ではナルサス、人間は本当は自由など必要ではないのだろうか?」
「いえ、人間は本来自由を求めるもの。奴隷たちが自由より鎖に繋がれた安楽を求めるようになったのは誤った社会制度の……」

そこまで言って、ナルサスはゆるゆると首を振った。

「いえ、殿下。なんにしても私の申し上げることなどに左右されますな。殿下は大道を歩もうとしておられる。ぜひその道をお進みください」

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