小説 | ナノ
「ナマエはさぁ、自分が本物じゃないかもしれないって思ったことある?」

おそ松くんはくたくたになるまでお酒を飲むと、うんと饒舌になる。普段からそこまで静かな方ではないけど、お酒が入った状態の彼は稀に、本当に稀に普段の彼がするような話とはまったく方向性の違う話を私に話して聞かせるのだ。



その日は月のない冬の夜で、私はコンビニの袋を手に引っさげて夜道を歩いていた。住まいは東京だけど、私の住んでいる町は一般的な都会のイメージである眠らない街とは程遠く、住宅街の密集したところであるから夜道はそれなりに暗い。遅い時間ではないけど、頼りになるのは白くて冷たい印象の街灯くらいのものだった。
モフモフのダウンジャケットを着込んでいるから上半身はそれなりに温かいけど、下半身がどうにも寒い。目の前に自動販売機があったならすぐに寄って温かい飲み物を買うのに!と心の中で叫んでみても悲しいかな、こういうときに限って自動販売機は全く目の前に現れてくれない。コンビニに寄ったのに、何か温かいものを買わなかったのは失敗だったな。後悔するも時すでにお寿司。
レジ袋を抱いてみても中のティッシュ箱は当然温かくならない。そして心の中で呟いた下らないギャグが思いの外、時間差で私に大ダメージを与えた。さむい。お寿司って。さむい。ティッシュ全く温かくならない。そもそも何でこんなクソさむい夜にティッシュ買いに行かなきゃならないの。ティッシュを使い切ったの誰だよ!私だよ!感動系の映画を立て続けに三本見てティッシュ使いまくったのは誰だよ!私だよね!!数時間前の自分が憎い!涙を拭うのにタオルじゃなくてティッシュを採択した自分が憎い!

憎しみの波動に飲み込まれそうになっていた矢先、一筋の光が見えた。煌々と光る赤提灯、おでんと書かれた暖簾、温かみのあるオレンジの明かり。気付くと私は正の走光性を示す虫のごとくその屋台にふらふら寄って暖簾を潜っていた。

「らっしゃい!って何だナマエじゃねぇか!」
「おっ、夜遅くに何?もしかして俺に会いに来たの?」

屋台というと今の時分だとあんまり見ないからそこまで馴染みがない。だから見つけても何となく入りづらくて普段ならあんまり入らないのだけれども、ここだけは別だった。知り合いがやってるとやっぱり入りやすいよね。知り合い二人の視線を受けながら椅子に座って膝にレジ袋を置く。今日はお客さんも知り合いで良かった。首元のマフラーを外しながら「おこんばんはー、チビ太くん、なんか適当にお酒とオススメ三品よろしく。あと君は松野何松?」と答えるとチビ太くんからは「あいよ、待ってな!」という威勢の良い答えが、おそ松くんからは「わかってるくせにぃ」という答えが脇腹を肘でちょいちょい突かれるというオプション付きで返ってくる。ははあ、これはかなり飲んでるな。なかなかに出来上がっていらっしゃる。

「夜中にどうしたんだ?」
「買い物しにコンビニまでね。で、その帰り道なんだけど寒くてしゃーないからお酒とおでんでポカポカしてから帰ろうと思って」
「そうかい。まぁここらは治安が良いけどよ、一応おめぇも女なんだから気をつけろよ!てやんでえバーローチクショー」
「はい、善処いたします」

ははー、とお殿様に頭を下げる家臣のようにおでんの器をチビ太くんから賜ると鼻で笑われた。オススメ三種はつゆを沢山吸った大根、正義の餅巾、他では見たことのない里芋だった。おいも…美味しいのかな…

「おそ松くんが兄弟と一緒じゃないの珍しいね」
「いやぁ俺も一人になりたい時くらいあるよ」
「ほうほう、じゃあ私はお邪魔かもだから早めに退散しますねー」
「いけず〜」
「ちょっと大根割ってるときにつつかないで。でもあともう二品…いや三品頼んだら帰るよ。さむいし。チビ太くん、これ食べ終わったらもう三品ね!」

ちまちまとお酒を舐めながら大根、里芋、大根、餅巾の順で格闘してもう三品。おそ松くんのにちょっかいを掛けられながら今度はタコ串と玉ねぎとたけのこをいただいた。お腹を満たして喉を潤した。いい感じに温まってきたからお会計を済ませる。ちょっと夜中に食べ過ぎた感が否めないけど仕方ない。
膝に乗せてたマフラーを巻いてレジ袋を持つ。「おでん美味しかったです。ごちそうさま!」と挨拶をしながら立ち上がると首が締まった。原因はマフラー及び隣に座っていたおそ松くんだった。一体なんなのさ!

「おそ松くん首締まってるんですけど」
「俺もかえる。ほら、途中まで一緒じゃん?ナマエ一人じゃ危ないじゃん?あっ肩は貸してね」
「おそ松オメェまたツケるつもりか」
「また今度はらうって!俺はナマエとかえるの!」

ぶうぶうと頬を膨らませる成人済み男性…いつまでたっても小六メンタルで大丈夫なのか?おそ松くんはどうしてもマフラーを離してくれそうにない。視線をチビ太くんに投げると彼は仕方がないという風に首を横に振って「金のねぇやつから金は取れねぇからな。今度家に乗り込んで何が何でも払わせてやる」と彼は言う。まぁ要するに今日は見逃してやる、ということだろう。

「変質者に会ったらそのバカ投げてナマエは逃げろー」というありがたい言葉をチビ太くんからいただいて私はおそ松くんと一緒に帰ることになった。

酔っ払いはキビキビと歩けない。ゆったりとした足取りで二人並んで歩く。夜中の住宅街はしん、と静まり帰っている。そんな中、おそ松くんは大きくも小さくもない声を発する。

「ナマエはさぁ、自分が本物じゃないかもしれないって思ったことある?」

いつもみたいなおちゃらけた声だ。でもどこか静かな声だった。は、と息を吐くとそれは白く立ち上った。

「それはどういう意味なの」
「そのまんま。今いる自分はコピーで本物の自分がほかにいるんじゃないか、って話よ」

ピンとこなかった。ロボットだとか大量生産のきくような物ならともかく私達は完全なオリジナルであるはずで、それ以外はきっとあり得ない。
街灯がスポットライトのように彼を照らす。私はそのスポットライトの外側にいる。並んで歩いていたはずがいつの間にか彼は前の方にいて、くるっとこちらを向いた。歯を見せて笑っている。アルコールでだいぶ脳が麻痺してるらしい。

「おそ松くん」
「その呼び方されるとたまーに思うんだよねぇ」
「どういう意味?」
「いんや、こっちの話。でさ、ナマエは思ったことあんの?」

自分はコピーで本物の自分は他にいる。もちろん思ったことなんて無い。首を横に振る。「だよねぇ」という相槌はどこか寂しさが滲んでいた。彼は後ろ歩きで暗いところへ逃げる。後ろ歩きは危ないけどやめるつもりは彼にないみたいだ。まぁ、何かにぶつかりそうになったら私が声をかければいいし。私は彼を追いかけた。

「コピーな上にその上からまた描き加えたりとかしちゃったらそれはもうコピーじゃなくて別の何かだよな。それに価値ってあんのかね」

ちょっとよく分からない。でも仕方のないことなのだ。だって彼は酔っ払っているし私もまた軽度ではあるけど酔っ払っている。働きが鈍くなっている頭で考える。これは多分有名な絵で考えると分かりやすい。モナリザとか。あれは確かコピーがあった筈だ。描き加えたりとかそういうのは無いと思うけど一番今の私に優しい例はこれくらいしか思いつかない。

「モナリザとか有名な絵画は、」
「うん?」
「有名な絵画はコピーがある、けど、コピーはコピーで楽しまれてるからそれだけの価値はあるんじゃないかなって私は思うよ」

彼が立ち止まって、つられて私も立ち止まる。

「それが原型を留めないレベルで改変されてても?」

彼は光の及ばない場所に、私は光の真下にいる。暗い場所から視線が投げかけられて、少し居心地が悪かった。私達は一体なんの話をしているんだろう。

「それでもそれを誰かしらが楽しんでるんなら、もう価値があるってことなんじゃないのかな」
「……」

暗いところから手が伸びてくる。こんな夜だから仕方ないことかもしれないけど、冷たい手だった。街灯の光をちゃんと浴びている彼はやっぱりいつものおちゃらけた声で笑って「なんの話してんだろーな、俺ら。さっさと帰ろうぜ〜」と言って私の手を引っ張った。

「おそ松さーん、今日なんかちょっと飲み過ぎなんじゃないっすか?変な話しちゃってさ」
「いや〜まだまだイケるっての。ってかやっぱりさん付けの方がしっくりくるな〜」
「?、今度からそう呼ぼうか?」
「いやいやナマエちゃんはそのまんまでいて下さい」

不思議なことに、結局別れ際まで私達の手は温まらなかった。月のない、冬の夜のことだった。


(20161204)
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