小説 | ナノ
※微妙に閲覧注意

いつだったか忘れてしまったけど、聞いたことはあったと思う。多分付き合い始めあたりの話だ。

「どうしても人数が多いからさ、母さんってば一気に沢山ものを買ってくるんだよ。ダース単位でね。歯ブラシとかコップとか茶碗とか」
「歯ブラシとかは色分けしてあったからいいんだけど、まぁ色が一緒のも当然あって。区別がつかないから、そういうことを気にするやつは名前を書いておくんだ」
「自分のものだって証明するのにそれが一番手っ取り早いからね」

話半分で聞いていたけど、それは彼にとって重要なことだったのだ。



幽霊やらゾンビやらシリアルキラーのような脅威から逃げて、逃げて逃げて逃げて…最終的にトイレの個室やロッカーの中に逃げ込む、みたいなシチュエーションはお手軽に緊迫感を演出することが出来てしまう。だからなのだろうか。そういった展開は洋の東西を問わず色んな創作物のなかに取り入れられている。いかにもありがちな展開だ。蚊帳の外からそれを見ている我々からしてみれば、登場人物たちが袋の鼠になっていく過程は余りにも滑稽に見えてしまう。普通に考えてその行為は自分から相手に「追い詰めてくださいお願いします」と言っているようなものだからだ。しかしだからといってイフの話で「私だったらこんな個室に逃げ込まないでちゃんと出口に行くよー楽勝だよー」なんてことを言うのは無粋の極みであると私は考える。大体幽霊にもゾンビにもシリアルキラーにも追いかけられたことが無いくせに、どの口がそんなことを言うのだ。恥を知れ。数時間前の自分、お前のことだよ。本当に、恥を、知れ。

実際、人の形をした自身を損なわせかねない脅威めいたものと対峙すると存外頭は働かなくなるものだ。あれほど個室には逃げまい…!と思っていたのに結局個室に逃げ込んでしまったところで既に勝敗は決まってしまったのだ。逃げられるはずがなかった。開いた扉から彼は私の領域に入ってくる。異変は忍び足でやってきた。気づいた時にはもう修復は不可能だった。いや、もともと修復できるものではなかったのかもしれない。彼にとってはそれが普通で間違いじゃないのかも。だからこんな、平然とした顔をしていられるのだ。

「ここトイレだよ、チョロ松」
「うん、知ってる。便器あるしトイレットペーパーあるもんね」
「乙女がトイレに入ってるのに扉をこじ開けるなんて常識人らしからぬ行動だよね」
「いや仕方ないでしょ。お前、逃げるから」

眉を困ったように下げる彼は至って普通に見えたけど、掴まれた手首に込められている力が、私を壁に追い込んでじぃと私の目を真っ直ぐ見据える視線が、彼の精神状態の異常を主張する。どう考えても普通じゃない。

「やっぱりさ、名前を書いておいたほうがいいのかもって思ったんだ。さっきお前が何処の馬の骨かも分かんない野郎と話してるの見ててね」
「名前を書く?」
「そう名前。書いとかないと誰かに盗られるから」
「な、何を、」

「物ならまだいいよ。また買えばいいんだから。でも君はそうはいかないでしょ?」
「ちゃんと名前を書いておかないと誰かにとられちゃうから」
「とられるなんてさ、駄目だよね。僕は耐えられない」

もともとその気があることを私は知っていた。松野家にお邪魔したとき、おそ松がチョロ松のコップを使っていてチョロ松がそれに文句をつけていたところを見たことがある。その話はそれで終わりだった。まさか人にまでこの話が適用されるだなんて。ここまでくると軽い異常性癖の域を越している。

「でもさぁ、僕最近思うんだよね。名前を書くって安直っていうか、ちょっと幼稚だなって。幼稚園児が自分の持ってるお道具袋に名前を書く…みたいなそれと同レベルだ」

ぎりぎりと私の手首を締めていた両手の力が抜ける。そして振りほどこうと思えば振りほどける力で私の手を掴んだままチョロ松はまじまじと私の手首を見る。何があるんだろうと自分でも見てみるとそこには拘束の痕が残っていた。うげ…

「ごめんね、痛かったよね」
「うん、普通に痛かった」
「でも今度のは痛くないと思うから」
「えっ?」

数秒だった。チョロ松の髪がチクチクと当たってこそばゆかった。でも、それ以上に気になることが…

「痕つけたの…いや、確かに痛くは無かったけど」
「痛くないならよかったよ。付けるの初めてだから緊張しちゃった」

照れたようにニコニコ目の前で笑うチョロ松はさっきまでの雰囲気と一変して、いつものチョロ松のようだった。何となく気が抜けて笑みがこぼれる。「えーっと、もしかして妬いてくれたの?」と聞くと彼は恥ずかしそうに頷いた。さっき手首が痛すぎてチョロ松許さん!!とかちょっとだけ思ってたけどやっぱり許そう。

「ねえナマエ」
「何?」

彼はウットリとした表情で口角を上げる。そして「ちゃんと自覚してね」という言葉と共に私の鬱血痕を人差し指で撫でた。



「…っていう夢を見た。おはよ」
「おはよう。よくその恥ずかしい夢とやらを僕本人に言えたね?」
「いや、何か妙にリアルだったから」
「ふーん」
「ていうか、いつのまにチョロ松来たのさ」
「今さっきだよ。今日は出かけるんだろ。早くパジャマから着替えて来なよ」
「うん」


「ね、ねえチョロ松」
「どうしたの?ドタドタ煩いよ」
「いや、急いでて、っていうかパジャマ脱いだら何か鬱血痕が背中にめちゃくちゃ広がってて…昨日、そういうことはしなかったよね…?私普通に寝たけど…」
「…背中ならバレないかなーって思ったんだけどな」
「え?」

彼は夢の中で見たような笑みを浮かべて口を開いた。

「僕、ナマエに言ったんでしょ?自覚しろって」

夢でも現実でも何でもいいけど、ホントちゃんと自覚してね。

「君は僕のものだからね」


(20160904)
かきのさんリクエスト/軽い異常性癖
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