小説 | ナノ
※なんちゃって和風ファンタジーな世界観です

二・天狗のはなし

貴君は天狗を知っているか。気取った声が、問いが、唐突に投げかけられた。



その年、私の住んでる街で病が流行した。いわゆる流行り病というもので、そいつは人から人へと感染する大変悪質極まりないものだった。この病魔は罹らない人は全く罹らないもので、私は罹らなかったが私の母がこれに罹った。生死に関わるような病魔ではなかったけれど、遠くの大きな病院で母が療生することになった。故に私は週末は必ずぐにゃぐにゃ曲がる山道をバスで片道二時間、行って帰ってこなければならなくなったのである。症状は大したことのないのだけれども、感染力が強く、また罹患期間も長く厄介なことに一年…下手をすれば数年は病魔に侵されることになる類の病だ。だから蝉の鳴き始めた季節から冬に差し掛かろうとしている肌寒いこの日までずっと、私は週末通い妻生活を送っていた。

その日は母の誕生日だった。昨晩の台風のせいでもしかしたら誕生日当日に母に会いに行くことが出来ないのではなかろうかと冷や冷やしていたが、台風一過の言葉の通り嵐の抜けた後の空は高く青く澄んでいた。これならば問題なく病院に行けるだろうと思いバス停でバスを待っていたのだけれども待てど暮らせどバスは来ない。折角買った母の好物である柿のケーキがこれでは台無しになってしまう。さてこれからどうしたものかと思っていると山の上の方から、坂の上から誰かが降りてきた。赤い和服の青年だった。見た目は別に普通の人だが、えも言われぬ違和感がそこにある。あんまりにも見過ぎていたのか、前だけを見ていた青年がふとこちらに視線を寄越した。

「お姉さん、バスを待ってんの?」
「はい、そうですが」
「あらら、それなら残念。この先の道は倒木で当分通れないよ」

とても残念には見えない表情で彼は手をひらひらとさせた。

「あ、もしかして倒木でバスが運休して…?」
「俺はバスに乗らないからあんまり分かんないけどさ、この道以外だと迂回しないと向こうには行けないからねえ」

彼の言う通りこの道で山を突っ切らなければあとはもう迂回するルートしかない。それじゃ駄目だ。会いに行くのは別にいい。問題はケーキだ。ここで私は十分に待った。これ以上ケーキを外に出しておいたら傷んでしまう。中身を確認してみるとケーキを冷やしておくための氷は全て解けてしまっていた。

「ねね、お姉さんさ、さっきから思ってたんだけどその箱何?あまーい匂いがするね」
「甘味ですよ。母に届けようかと思ったんですけど、今日は駄目みたいですね」
「ふーん、甘味かぁ。へえええ」

すんすんすんすん。彼は屈んで私が手に提げていた箱の近くに鼻を持っていく。ひょいと箱を掲げると青年もひょいと顔を上げる。ぱちりと目があう。

「中身、柿のケーキなんですけど…」
「柿…」
「…食べる?」
「えーっ!いいの!?」
「今日は持っていけないだろうし…」
「やったー!久しぶりの甘いものー!」
「倒木のことを教えてくれたお礼に」

手にケーキの入った箱をぶら下げて「お姉さんあんがとねー!」と笑い青年は私に背中を向けた。カラコロと下駄を鳴らしひょこひょこと坂を登るその姿はかなりご機嫌なようで、何だかちょっぴり良いことをした気分になる。さて、じゃあ私も近くの神社にお参りをしてから迂回路へ回ろうかな。と思って引っ掛かりを覚えた。……あれ?何で彼は登っていったんだろう。この先には民家とかそういうものは一切ない。返した踵をもう一度返して振り返って坂を見ると、そこに彼の姿はなかった。狐につままれたような気持ちになる。

不思議な青年のことを思いながら、はてなの記号を頭に浮かべて私はバス停の程近くにある神社への道を歩いた。病院帰りに神社に参るのがこの数ヶ月私の日課であった。神社は山の上にあるから、当然石段を登らなくてはならない。最初の頃はひぃこら言いながら登っていたけど、何度も登って体力がついたのか最近は息を切らさず上まで上がれるようになった。

頂上に着くとすぐ、色褪せた朱色の鳥居とあんまり綺麗だとは思えない本殿が見えた。鳥居をくぐって、本殿の鈴を鳴らす。母の快復を祈って二礼二拍手、一礼。顔を上げるのと同時にそれは投げかけられた。

「随分と熱心なんだな」

この場には私一人しかいないと思っていたから、大袈裟なほどに私の肩は跳ねた。キョロキョロと周りを見回すけど、誰もいない。

「君が七日ごとに参るのをずっと見ていた」

神様かもしれない、と思った。姿の見えないその人は「何を願っているんだ」と続ける。

「母の、病気の快復を願っているのです」
「御母堂は病気なのか」
「はい」
「……そうか。残念だが、ここの神は不在だぞ。ずっと昔に信仰されなくなったことに悲しんで、どこかへ行ったんだ」
「え」
「今ここに住み着いているのは、たちの悪い狐だけだ」

風が吹いた。強い風だった。「鳥居の上だ」という言葉に釣られて咄嗟に私は鳥居の上を見た。人がいる。高下駄をはいて腕を組んで、山伏衣装のその人がこちらを見下ろしている。それだけならただの変人奇人で終わるけど、圧倒的にその人を人ならざるものにするものがそこにあった。ばさり、と音が鳴る。暗闇を丁寧に溶かし込んだような色味の翼が彼には生えていた。

「貴君は天狗を知っているか」

その人はそう言って口角を上げたのであった。



天狗、天狗、天狗。妖怪だとかそういう話は別に珍しい話ではない。雪女とかろくろ首の話は友人から聞いたことがある。けれど実際そういったものに出会うのはこれが初めてだった。彼らは人より圧倒的に数が少ない。その上、彼らの大多数は無用な争いを避けるためにひっそりと人に紛れて暮らしているから、遭遇率は圧倒的に低いのだ。

「天狗、なんですか」
「ああ。翼が見えないか?」
「見えます、見えないわけないです」

満足そうに頷いて彼はまたばさりと翼を羽ばたかせた。途端、突風が吹いて私は目を閉じる。次に目を開くとすぐ目の前に彼が立っていた。体幹が良いのか一枚歯の高下駄をはいているのに全くぶれがない。綺麗に、凛と、堂々とした立ち姿は殊更彼を天狗たらしめている。

「君の御母堂の病気を治そうか」
「天狗様に治せるのですか?」
「治せるさ。オレたちの神通力は何も飛ぶためだけにあるわけじゃない」
「何故、そのようなことを……」

彼には関係のない話だ。利のない話だ。だから純粋に疑問だった。美味しい話の裏には割りを食う話がありそうで警戒してしまう。けれど天狗様はあっけらかんと「君の信心の深さに報いたくなった」と言う。天狗様は器の大きなお方だ。

「フッ、ずっと見ていたと言っただろう。神が不在の社で熱心に手を合わせている君を見ていたら願いを叶えたくなったんだ」
「……どうやって、治すのでしょう?」

彼は懐から団扇を取り出した。彼の翼の羽と同じ色をした団扇だった。

「天狗の羽で作られた団扇には力が宿る。これで相手にひと吹き風を送れば、たちまち病魔なんてどこかへ行くだろう」
「貸していただけるんですか」
「残念だがそれは出来ない。これはオレが持っていないと駄目なものだ。けれど君がその御母堂のところまでオレを案内して、そしてこの団扇で御母堂に風を送ってやれば良い」
「……良いのですか?」

「何度も言うが君の想いに心を打たれたんだ。遠慮することはない」

家に一人は寂しかった。でもお母さんの病気が治れば、一人じゃなくなる。差し伸べられた手を取ると彼は笑みを深くした。

「バスなんかより飛んだ方が早い」と言って彼は私を抱き上げた。視界が高くなって、翼が忙しなく羽ばたく。段々と地上が遠くなって思わず恐怖でしがみつくと天狗様は声を出して笑った。

「君は、少しくらい警戒心を持った方が良いぞ」
「それは、どういう…」
「天狗についてよく知らないらしいから言うが、天狗は人を攫うぞ」

至近距離で見る彼の表情はなんとも形容しがたいものだった。鋭い角度の眉は下がり気味だけど、口元は怪しげに弧を描いている。細められた目には天狗の腕の中にすっぽりとおさまった私が映っていた。それはどういう意味ですか。問いの真意を聞く前に何だか眠くなってしまって、そして…………



「あれぇ、結局お姉さんを攫っちゃったの」
「ああ。天狗は人を攫うものだからな」
「お姉さんの母親は?」
「病気は治した。天狗に二言はない」
「ふーん、そう。……人なんてすぐ死んじゃうのにねぇ」
「その言葉、おそ松にそっくり返ってくるけどいいのか?」
「よく覚えてんなぁ、お前。昔の話だからいーんだよ」

(20160824)
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