小説 | ナノ
顔が見たいな、と思った。ただそれだけの理由ではないけど、一番に思ったのがそれだった。



「夏風邪は馬鹿しかひかないって知ってる?」
「はい、すみません」
「ごめんで済めば警察は要らないんだよ、わかる?」
「はい、わかります」
「しかもあの文面何?“しぬ”に改行で“いえきて”って」
「いや、ほんっと死にそうだったんで…」
「風邪ひいた位打てたよね?事前に分かってればこのクソ暑い中ナマエの家まで来たあとコンビニに行く、みたいな二度手間にならなくてすんだのに。コンビニ寄ってからナマエの家来れば時間短縮出来たよ?」
「何かトッティ今日チョロ松みたい…お小言多い…」
「ちゃんと反省してんの?」
「はい。反省してます。ごめんなさい」

風邪の時に持つべきは日中暇なニートの友人だ。…と言ったら怒られるから聞こえの良い感じに先の文章を訂正しよう。風邪の時に持つべきは夏の日中でも駆けつけてくれる心優しい友人だ。

風邪をひいた。このクソ暑い真夏に。慢心していた訳ではないけど、この暑さだ。じわりじわりと知らないうちに私のヒットポイントは削られていたらしい。夏バテで食が少しばかり細くなっていたのも要因の一つかもしれない。多少疲れは溜まっているかな、と思っていたけどまさかこんな一気にくるとは思わなかった。社会人失格である。でも上司には連絡したし、同僚にも今日必要になりそうな書類の位置等々その他必要事項は伝えておいた。日頃真面目に業務をこなしているから、今日一日…もしかしたら二日になるかもしれないけど…二日くらいなら私が居なくても滞り無く回るだろう。そういう訳で会社の心配はしなくても良かったのだけれども、問題はむしろ私自身にあった。

端的に言えばタイミングが悪かったのだ。風邪撃退用のスタミナを付けようにもスタミナのもとになるような食材が一切冷蔵庫に入っていなかった。これは完全に私の慢心のせいだ。反省している。キッチンにあるのは冷食のカルボナーラと冷凍オクラ、それと実家から送られてきた大量の素麺(お中元で沢山貰ったらしい)だけで、私は今日中に風邪を治そう!という気力を半ば失っていた。カルボナーラなんて勿論食べられないし、素麺茹でる気力もわかないよ…。

そんなとき私の元に舞い込んできたのはチャンスの訪れを知らせる鳥さんの鳴き声だった。ピョロピョロ鳴いた私のスマートフォンがメッセージアプリにリアルタイムな伝言を残されたという事実を私に報せたのだ。見れば送り元は気心の知れた友人だった。この機を逃してたまるものか…と思い打ったのが先の“しぬ”と“いえきて”の二言なのであった。ちなみに無変換なのにはきちんと理由がある。こっちは平仮名を漢字に変換する余裕を持ちあわせていないんだぜ…ヤバイんだぜ…だからお願い早く来て…という状況をテクニカルに表現しているのである。多分チョロ松辺りがこの話を聞いていたらお前実は思ったより余裕あるだろ?ってツッコミを入れられるかもしれないけど、ここにいるのはトド松だけだし、何よりオフレコだから問題はない。心に大切に閉まっておこう。

心やさしき友人の後ろ姿を見る。メッセージのあとすぐに駆けつけてくれて、なおかつコンビニまで走ってくれた彼は本当に良いやつだ。外はだいぶ暑かったのか背中に汗の染みが出来ている。

「ナマエの家にあるかどうか分かんなかったから一応冷えピタと風邪薬買ってきたよ。あと適当にゼリーとスポドリと栄養ドリンク。家にご飯くらいはあるよね?」
「ごめん…炊くの面倒で米炊いてない…カルボナーラと冷凍オクラと素麺ならある」
「ふぅん。じゃあ素麺茹でた方が早いかな」
「え、作ってくれるの?」
「何?不満?薬飲むんならご飯食べなきゃだし、そもそもご飯食べなきゃ治るものも治んないよ」

冷却シートのフィルムをぺりぺり剥がしながら彼は私の寝ているところまでくる。私の前髪を上げる彼は「うわっ、思ったよりも熱っ」というコメントを残しつつ、丁寧に、私のおでこにそれを貼った。冷やしていないからそこまで冷たいというわけでもないけど、それでもシートは私の体温よりずっと冷たくて気持ちが良かった。

「ゼリー食べてても良いし、スポドリ飲んでてもいいよ。あ、先に栄養ドリンク飲んじゃって。てか飲め。キッチン借りるからね」
「ん。じゃあ私も」
「いや、なに布団から這い出ようとしてるの」
「リビングのソファーでご飯できるの待ってる。リビング、キッチンからすぐだから…」
「すぐだから?」
「トド松の勇姿を後ろから見守ってる…」
「……人恋しいの?」
「ミジンコの繊毛の長さくらい、ちょびっとね」
「わかりづら!」

好きにすれば!?という言葉の通り好きにさせていただく。栄養ドリンクで栄養を補給しながら私はトド松が料理をしている後ろ姿を眺めることにした。彼は数回ここに来ているし、まさに勝手知ったる!という感じで素麺やら鍋やら菜箸やらをテキパキ準備している。

「トド松、外暑かった?」
「死ぬほど暑かったよ」
「背中に汗染み出来てるよ」
「うげ、本当?あとで洗面台借りていい?」
「良いよ〜。あ、ねえケータイ鳴ってる」
「えー、電話?」
「何か家からみたい」
「家…ちょっと今手が離せないから代わりに出て。兄弟からの下らない用事だったらすぐ切って良いから」

横になってるソファーから手を伸ばしてさっきトド松がコンビニで買ってきてくれた支援物資達と一緒にテーブルの上に乗っかっているスマートフォンを手に取る。

「もしもし、はいこちら松野です。あっ違うこちら松野の電話です」
『こちらも松野の電話です』

キッチンの方で「あっづ!!!」って声が聞こえたけどトド松大丈夫かな…心配する気持ちはあるけど今は取り敢えず電話対応をしなければ。

「一松だな?」
『正解です。社会のゴミ代表、松野家の四男一松です』
「トド松にご用?」
『うん、まぁね。アイツが借りてたDVDの期限が今日までで、それ返しといたから連絡入れた』
「一松お兄ちゃん優しいな」

くつくつと喉を鳴らして笑う低い声が聞こえてくる。何がおかしいのか。

『アイツ、ナマエちゃんからの連絡来たあとめちゃめちゃ焦ってたよ。だからDVDのことすっぱぬけてんだろうなって思って。アイツの焦り具合見せてやりたかったなァ〜』
「旦那、闇のオーラが隠しきれていませんぜ」
『えーっとナマエちゃんは結局何で死んだの?』
「まだ死んでないよ!風邪で死にそうだったけど!」
『あぁ〜それで。じゃあ今トッティはそんなナマエちゃんを看病してんの』
「そういうことになるね」
『ふーんそう。じゃあトド松に伝言。復唱よろしく』
「うぬ、任された」

「トド松ー!一松から伝言!“今日までのDVD返しといた”って!え?まだ伝言あるの?えーっと“今日は帰ってこなくていいよ。母さんに夕飯は要らないって伝えておくから”…一松待って?あっ、切れた…」

バタバタと走って来るのは料理をしていたトド松その人である。「火は?」「とめたっ!てか出来たから食べてて。電話かして」「電話切れちゃったよ?」「いいの。掛け直してあの猫松に文句言うから…!!」多分きっと猫松という言葉は彼の表情と声音等から罵倒語であるに違いないのだけれども、いまいち罵倒しきれていない。彼はそのままベランダへと出て行った。


食卓に鎮座していたにゅうめんを冷まし冷まし食べているとトド松が帰ってきた。私の丁度斜向かい側に座った彼は「はぁ」と溜息を吐いて項垂れる。随分とお疲れ気味である。

「どしたん」
「いや、……今日はお前の分の夕食作らないから外で食べてこい、……帰ってくるな、って母さんに言われた」
「えぇー何で」
「…………知らない」
「ところどころに入る間は何なの」

つるつるとした麺が美味しいし、スープも出汁とかみりんとかそういうのがちゃんと入っているみたいで普通に美味しい。

「た、多分だけど、つきっきりでナマエを看病しろってことだと思う…」
「まじか。うーん、つきっきり…流石にそこまでしてもらうわけには」
「でも!多分今日家に入れてもらえないんだよね…」
「ますます何でだ」
「………………知らない」
「実は知ってるでしょ?ねえ」

今は丁度お昼過ぎだ。明日までとなるとかなりの時間がある。用意しておいた錠剤の薬を口の中に放り込んで添えられていたコップの水で飲み込む。

「ごちそうさまでした」
「お粗末さまです」
「それでさ、結局どうするの?」
「どうしよ。もう漫画喫茶にでも行こうかな…」
「私はトド松が良いんならここにいて欲しいけど」
「は?」

鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、それから彼は心底苦々しげな表情をする。そして「ただでさえ…」と言ったのち彼はキュッと口を結んで言葉を遮った。

「取りあえず寝たら?ボクは映画観たり小説とか漫画読んだりしてるから。何かあったら呼んでよ」

有無を言わさない雰囲気だった。そう言って彼はお得意のあざとい笑顔を私に見せたのだ。



誰かが近くにいるような、そんな気配がする。ジワジワと外で鳴いていたアブラゼミはその役目をヒグラシにバトンタッチしていた。夕方なのかもしれない。ふと額の冷却シートが外されて、新しい、冷えたものが額にはりついた。丁寧な作業だった。ぱちっと瞼を持ち上げるとぺったりと女の子座りをしたトド松が私の寝ている敷布団のすぐ隣で漫画を読んでいた。カーテンは閉じられているから室内は薄暗い。こんな薄暗い中漫画なんて読んでたら目が悪くなっちゃう。

「トド松、漫画読むんなら明るいところで読みなよ」
「うわっ、ちょっ…!びっくりするからいきなり呼びかけるのはやめて…起きてたの?」
「今おきた」
「そっか。あ、ねえこの漫画の続きってないの?」
「うん」
「ふーん、そうなんだ〜」
「うん」

「…」
「…」

「あ、そういえばお客様用の布団出さなきゃだね。寝るのリビングでも良い?」

あ。また苦々しげな表情。

「前々から薄っすら思っていたんだけどね、ナマエってボクのこと女友達みたいに思ってる?」

私の頭の両側に手をついて、覆い被さるようにトド松は言う。

「トド松は可愛いとこあるし女子力も高いけど、ちゃんと男の子だよ」
「でも、こんなことをされるかもって思ったことはないでしょ?泊める、って普通そういうことだよ。期待なんかさせないで」

期待させていたのだろうか。むしろ私の方が期待させられていたような気がしないでもなかった。

「むしろ、トド松の方が私をそういう目で見ていないんだと思ってた」
「…ボクは好きでもない相手の為にこのクソ暑い中駆けずり回ったりしないよ。なのに!ナマエはそんなつもりない癖に期待させることばっかり言うし…」
「えー、何でトド松が私の気持ちを決めつけるの」
「え?」
「私だって好きでもない相手に弱ったところ見せたりしないよ」

緊急事態だったから、彼ならきっと暇そうだったから…っていうのも理由だ。でもそれだけじゃ条件に満たない。

「人恋しいとき隣にいるのがトド松だったらいいなって思って連絡したの」

はくはくと口を開けたり閉じたりしたあと彼は衝撃に打ちのめされた声音で疑問を呈する。

「……ボクが友達の中で日中一番暇そうだったから、とか丁度タイミング良く連絡いれたから、とかそういう理由じゃなくて?」
「いや、それもあるけど。決定打はトド松に会いたいな〜って気持ち」
「……ゆ、夢かもしれない」
「現実だよ」
「抱きしめてもいい?」
「汗かいてるから…」
「いいよそんなの!」

よっこいせ、と起き上がると彼はおずおずと背中に手を回してきた。羽根みたいな軽さの抱擁だった。多分遠慮をしているのだろう。こっちからも手を回すと彼はビシッと固まった。

「来てくれてありがと。おかげだいぶ良くなったよ」
「う、うん、どういたしまして」
「今日はちゃんと泊まっていってね。調子悪いから何もお構いできないけど」
「それも、全然構わないよ」

どちらともなく抱擁を解いて真っ直ぐ向き合う。

「…本当に、ゆ、夢じゃない?」
「もっかいハグする?」
「〜〜〜っいや大丈夫!!えってかどういうこと?じゃあボクたち付き合うの?」
「まぁトド松が嫌じゃなければ」
「嫌なわけない!!」

若干裏返った声で「よろしくお願いします!」と言った彼に私も「よろしくお願いします」と返した。体温を上げてしまったせいか既に冷却シートが温い。それを言うと彼は挙動不審な動きを多数挟みながら「じゃあ、ちょっと新しいのとってくるから!」と部屋を出て行こうとした。そんな彼の背中にこれだけは譲れない!という言葉を投げる。

「泊める、ってことがそういうことってトド松はさっき言ってたけど、そういうことは私の風邪が治ったらにしてね」

ガンッという音と「いっだ!!小指死んだ!!」という声を聞いて私は小さく笑いながらまた横になった。本当に可愛いとこのある人だ。目を閉じてこれからのことについて考えるとどうしてもにやけてしまって駄目だった。はやく風邪を治して、これから友達同士では出来なかったことをしよう。まずは、そうだな…取りあえず、前に二人で行ったカップル限定メニューのあるあのパンケーキ屋で限定のパンケーキを食べることから始めよう。あのときは世のカップルに対して爽やかな笑顔で恨み言を吐いていたけど、限定のパンケーキを前に果たして彼は一体どんな顔をしてくれるのだろうか。

(20160811)
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