小説 | ナノ
彼女の家には何冊もの猫の写真集がある。彼女が猫を好きなのは自明の理であって、おれと彼女の出会いにも猫が関わっていた。

「可愛い猫ちゃんですね!」と公園で親友と戯れていたおれに投げかけられた言葉は確かに耳に入ってきた。だけど肝心の声の主が見当たらなかった。たっぷり数十秒はかけて視線を動かしてやっと見つけたのは離れた距離から猫に熱視線を注ぐ女の子の姿で、声を張るのも憚られたおれはその声を無視した。色々考えに考えまくって、無視をした。でも彼女はおれが意図的に無視したんだと思わなかったみたいで「可愛い猫ちゃんですね!」という二回目の言葉が投げられた。キャッチボールの基本ってやつは、とにかく投げ返すことだ。投げ返さなければ始まらない。女の子との会話なんてどうすればいいのか分からないから出来ればまた無視したかったけど、おれより先に親友が「にゃあ」と返球してしまった。チラと女の子の方を見ると猫に返事をしてもらって嬉しいのか、さっきよりキラキラした熱視線を…熱視光線をこちらに向けていた。引くに引けない。

「お兄さんの猫ですか?」
「違う」
「えっ、なんて??」

おれの声はそこそこ距離のあるところにいる彼女に届かなかったみたいだ。ボールを投げたのに相手にそれが届かなかったときのこのバツの悪さ、どうにかなんないかな。

「おれの猫じゃない」
「そうなんですか!でもお兄さんにすごく懐いてますね」
「顔なじみだから…」

言葉を投げたり投げ返されたりして、声を張るのがしんどくなってきた。もう面倒だから核心に触れることにする。

「何でそんな遠くにいるの?」

まー、いかにも怪しいおれみたいなニートがいたら近づけないよね、おれマスクしてるし下ジャージで上はクソ適当なトレーナーだし。分かってる分かってる。知ってる知ってる。
自分が傷つかないように予防線を張りながら、おれは何でもないような顔を装って彼女の言葉を待った。

「わたし、」

彼女の口から出てきた言葉はおれを傷つけるものでもなんでもなかった。

「猫アレルギーなんです!」

それは唯の事実で、どうしたって覆しようのない事実だった。

「猫大好きなんですけど、近寄れないんです!」

いや、そこまで聞いてませんけど。なんて思ったことを覚えている。なんやかんやあってそこから交流は細々と続いていって、童貞でニートでクズなおれが、そんなおれが女の子の部屋に招かれるまでになった。すごく感慨深い。一番初め、招かれたときにはぐるぐる考えすぎて玄関先で吐きそうになった苦い思い出がある。その時は彼女が辛抱強く介抱してくれたお陰でどうにか吐かずに済んだけど、何ていうか吐かなくて良かったね過去のおれ。そして今。おれも精神的に成長を遂げてあの子の家の人をダメにする例のクッションに埋もれながら彼女の私物である猫の関連書籍を眺めることが出来るようになった。自分でも思うけど、おれはどんだけ精神劇的ビフォーアフターしてるんだよってね。でも仕方ない。彼女の隣は居心地が良すぎた。

「あ、一松君がダメになってる」

飲み物を持ってきた彼女は飲み物をテーブルに置いたあとソファじゃなくてクッションに埋もれているおれのところまで来る。

「ペットは飼い主に似るって言葉があるけど、その逆もあるのかな?」

うりうりとおれの頭を撫でながら彼女は楽しそうだ。

「一松君ってなんだか猫みたいだよね」
「…おれなら一緒にいてもアレルギーは出ないしね」
「最高だね」

本棚に刺さっていた『猫の飼い方』なんてタイトルの本はどう考えても彼女に必要のないものだ。

「飼いますか、おれを」

まばまき二つ、それから無言。しばらく無言。無言に耐えきれなくなって少し起こしていた体をふかふかのクッションの上に倒して丸くなる。急に心底恥ずかしい。穴があったら入りたいけど生憎ここに穴は無い。……掘るか。

「一松君ってときどきすごーく可愛いこと言うよね」
「わすれてください」
「忘れない。飼ってもいいんなら私は一松君を飼いたいな」
「物好き…」

言ったら声を出して笑った彼女に「一松君が言い出しっぺなのに何言ってんの」と髪がぐしゃぐしゃになるくらいに撫でられた。こんなのがいいなんて本当にどうかしてるし物好きだ。でも、物好きでいてくれてありがとう。おれはあんたが結構好きだ。

(20160731)
彬良さんリクエスト/物好き
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