小説 | ナノ
自分には被虐趣味がある。二十数年の人生の中で獲得したそれは我ながら気持ちの悪い趣味だと思っているから、偶に、本当に偶にそんな気持ちの悪い趣味で興奮してしまう自分に心底うんざりすることがある。

何故なら、この趣味を獲得しなきゃやってられなかった自分の脆弱さだとか、奥底に仕舞っていたそう言った見たくもないものが露呈するからだ。けれどそんな嫌な部分でさえ更なる興奮の材料に出来てしまうのだから自分はとんだ変態だと思う。

そんな変態にいつも付き合っている目の前の人はどうなんだろうか。朱に交われば赤くなる、なんて言葉があるけど別にこういった方面で交わったことはないから、彼女はきっとまっさらなんだろう。

自分のような社会不適合者に乗っかられて首を緩く圧迫されている目の前の彼女。暗さに慣れた僕の目は彼女の表情を捉えた。ああ、どうやらこの人は気色悪い趣味をお持ちではないようだ。自分を見るその目が、少し苦しげだった。罪悪感、ときどき多幸感。そんな場合じゃないのに少しだけ息が荒くなる。

細い喉だった。きっと自分が虐という字を被る方の趣味ではなく加える方の趣味を持っていたら、この白く細い喉はきっと今頃潰れている。潰す気は全くない。寧ろして欲しい位だ。

口角が勝手に上がるのを感じながら俺は嘯いた。

「俺はあんたのへらへらした笑い顔が大嫌いだ」

だからさあ、頼むよ。僕のこと、とっとと嫌いになってよ。

建て付けが悪いのか、窓が風でガタガタとうるさかった。ミョウジさんはじっと僕を見ている。

「(やばい無言だ。やっぱ嫌われたかな)」
「(こういうときどうすればいいんだろ)」
「(あ、手が伸びてきた)」
「(え、頬引っ張られてる、)」
「(いたい)」

彼女は無言で僕の頬を引っ張り始めた。この人はいつだって何を考えているのか分からない。ていうか本当に意味分かんないんだけど…?ミョウジさんは限界まで僕の頬を引っ張った後、手を離して僕の首に両手を回した。びっくりした僕は彼女の喉元から手を離して離れようとするけど、彼女がそれを許さない。

「私は一松くん好きだよ」

は?

「あ、あのさあ!下らない冗談はやめろよ!俺、今ミョウジさんに何しようとしてた!?人が良いのも大概に…」

思いっきり抱きしめられて声が出せなかった。あ、すごい柔らかい。あとなんかいい匂いする。そんな場合じゃないのに色んなところに熱が集まる。勘弁してくれ。

「このアパート壁うっすいから、一松くんお静かに」

そしてうるさい風の音をBGMにミョウジさんは語り出した。



初めて会ったあの時はさ、本当にカラ松かと思ったんだよね。だから声をかけたの。そしたら君、すっごい無愛想な感じで「人違いです」って言うでしょ?うわっ何だこの人カラ松に似てるけど全然似てない、冷たい!でもそれなのに猫を撫でるその手つきはやけに優しそうで、なんかちょっと気になったんだよね。え?ちょろい?うっさいよ。
私って気になったら常識の範囲内でトコトン調べたがる性質で、……ほらこのアパート古くて建て付け悪いから隣の夕飯の匂いとかかなり漂ってきてさ。お隣さんの夕飯、今日は何なのかな…匂い的に昨日はアレで一昨日はアレだったから今日は麺類かな…とか…え?さすがに普段からそんなことやってないよ!今回は偶々だよ!本当だよ!お隣さんお婆ちゃんだし!
まぁ話は戻りまして。一松くんが気になって、私仕事が休みのたびに公園に行ったんだ。どんだけ暇なんだよってね。明確な理由は無いんだけど、いつのまにか……その、ああもっと一緒にいたいなーとか思っちゃって、ちょうどその頃カラ松に再会してさ。
社会人サークルとかの話は嘘。だけど相談に乗ってもらってたのは本当だよ。六つ子だから色々テレパシー的な感じで察してくれるかなって思ってたけど、私、一卵性の兄弟に夢見すぎてた。君がカラ松と私が付き合ってるって思ってて肝が冷えたよ。冷え冷えだよ。いや私が好きなの一松くんなんだけど!カラ松に一松くんのこと相談してたんですけど!ってね!
あー、私本当にアドリブ苦手なんだよね。もう今これからどうすればいいのか分かんないや。
…あ。さっきは本当に死んじゃうかと思ったよ。いや君の首絞めのことじゃなくてさ。だって一松くんかなり手加減してたし手震えてたから…まあ、ぶん殴れば逃げられるかなーって。
そうじゃなくて、君の表情だよ、表情。死にそうな顔してたもん。生きよ、そなたは美しい。なんつって。え、待って震えてる?一松くん泣いてる?いやいや泣きたいのは寧ろ私だよね…だって告白する前に振られたんだから…
ごめんね嫌いな相手に抱きしめられても気持ち悪いだけだよね…な、泣かないでよー。はあ。友達、友達に戻るのはキツいかもしれないな…私今へらへらしてるけど結構傷ついてるんだよ。えっ、うそ、え?スキ?好き嫌いのスキ?待って信じられない…いやだってさっき君私のこと嫌いって言ったばっかじゃないか…ええ、どうやって証明するの、ていうか顔近くない?明らか近づいてきてるよね何、何なの?

えっえええ待って待って待って心の準備が、うわああ



この後めちゃくちゃキスした。



彼女のアパートを出たのは荒れた天候が穏やかになった朝方で、家に帰ると母さんが迎えてくれた。

「朝ご飯はいるの?」
「いる」

二度寝をしようと二階に上がろうとしたら階段で上から降りてきた次男と対面した。「やけに早起きだな、クソ松」と声を掛けるとクソ松はいつもみたいにダサいポーズを決めて「夕べはお楽しみだったか。お前の表情で分かるぜ、運命の女神様は微笑んでくれたらしいな」と笑う。セリフに呼応した動作に腹が立ったから取り敢えず階下に転がしておいた。

ズボンのポケットに入れた鍵が階段を上がるたびにちゃりちゃりと音をたてる。その音を聞くたびに僕は口元が緩みそうだった。いい夢が見れそうだ。

(20160109)
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