小説 | ナノ

最初に気がついたのは六つ子のうちの四番目、一松だった。兄弟揃って銭湯に行くのは六つ子のルーチンである。その日の彼らは営業時間終わり間際、滑り込むようにして銭湯に入った。時間が時間だけあって他の客は誰もおらず、風呂場は貸切状態だった。背の低い椅子に六人並んで座って、背中を洗い合うのが常であり、その日も例に漏れず互いが互いの背中を洗い合っていた。その最中である。チョロ松の背中を洗っていた一松が彼の背中の異変に気がついた。
「チョロ松兄さん、なんか、背中に鱗生えてる」


奇病の流行が世間を賑わせている、ということをお昼のワイドショーを見る機会の多いニート達は知っていた。ワイドショーで取り沙汰されているそれはとてもファンタジックでいまいち現実味のないものばかりであった。自分たちに関係のない事柄だったから、それを見てニート達は「へえ世間は大変なんだね」「なかなか厄介だな」「それにしても変な病気が多いね」「だから“奇”病なんでしょ」「目から花生えるってすっげーね!」「字面だけだと綺麗だけど実際見てみると何かちょっとアレだよねえ」と好き勝手に感想を言い合った。
ある者は左目から紫色の花が咲き、それが進行すると眠りにつくことが出来なくなった。ある者は頭からツノが生え、それが進行して自我を失った。またある者は肌の色素が薄くなり、それが進行して惚れっぽくなってしまった。コメンテーターの持つフリップには奇病の様々な種類とその奇病の進行による副次的な症状が印刷されている。それらを読み上げ終わったコメンテーターは二枚目のフリップを取り出して、今度はその奇病の権威であるという有名な学者先生がそのフリップについて語った。奇病それ自体は直接死に関わるようなものではないものが大半であるということ、また奇病の薬は症状によって様々であるということ、それから奇病は、どういうメカニズムかは判明していないが流行病ではあるものの感染しないということを、如何にも高価そうな背広を着た恰幅の良い学者先生は宣っていた。

「チョロ松兄さん魚になんの!?」
「えっ、何〜?俺も見たい!どこにあんの?」
「ほら、ここ。肩甲骨のあたり」
「うっわ、ホントだ。え、生えてるの?ボク鱗生えてる人間って初めて見た」
「オレのパーフェクトズボンのごとくキラキラしてるな」

背中を見られているチョロ松以外の兄弟がざわざわとざわめく。騒がれているチョロ松は全く良い気がしなかった。彼には肩甲骨に生えているという鱗が見えなかった。鏡は一応目の前にあるけれど、湯気で曇ってよく見えなかったのである。
「ホントに生えてる?」というチョロ松の問いに「生えてるよ。なぁこれって剥がすとやっぱ痛いのかな?」なんて言いながらおそ松は鱗を剥がそうとした。その途端に走った痛みにチョロ松は眉を顰める。治っていない傷に蓋をしている瘡蓋を無理やり引っぺがすような痛みだった。おそ松の手をひっぱたいてチョロ松は「やめろ!痛いわ!!」を目を三角にして怒った。そしてまたチョロ松以外の兄弟が「えー何でいきなりチョロ松に鱗?」「魚の呪いにでも掛かったんじゃないか」「朝食べたししゃもの呪い!?」「人間の新しい進化の可能性?」と好き勝手言いだす。どいつもこいつも真面目な意見を出しやがらない!チョロ松の、三角形になった目の一角が鋭く四十五度を切ろうとしたところで、鱗の第一発見者・一松の比較的ノーマルな意見が落っことされる。
「もしかして奇病?」
ファンタジーが現実になった瞬間だった。


前情報があったから、特に騒いだり喚いたりはしなかった。命に関わるような症状ではなさそうだし、とりあえず体を洗い、湯に浸かって温まり、六つ子で一本のコーヒー牛乳を楽しんだあとの帰り道でチョロ松は取りあえず自身の症状についてインターネットで検索をかけてみた。借りたトド松のスマートフォンの中にはずらりと検索結果が並んでいる。どうやら今回チョロ松が患った病状と同じ症状は既に発見されているようだった。検索結果のうちの一つをタップすると、仰々しい明朝体でそれは書かれていた。

「進行すると甘いものが食べたくなる…?」
「何かあんまり病気っぽくないね」
「薬は?」
「雪解けの水、だって」
「えー、もう六月だよ?」
「最近めちゃくちゃ暑いっすからね…」
「雪、溶けてそうだよね」
「でもまぁ直ぐに治さなきゃって感じじゃないし、別にいいかなぁ」

とにかくまた明日考えよう。この時間じゃなにも対策しようがないし。てか僕明日ライブだから早く帰って早く寝たい。ライブ終わったら考えよう。
病気を患う本人の意向によって湯冷めしないよう、寄り道はせずに真っ直ぐ彼らは家路を辿った。


「うわ、お前手の甲」
ライブから帰ってきてから初めてチョロ松は自身の鱗を目の当たりにする。鱗について指摘したおそ松が興味深げにチョロ松の手を覗き込む。

「気づかなかった。マジで魚の鱗だ…」
「何の魚かねえ」
「わからん。てかこれ広がる場所はランダムなんだ…」
「ちんこにも生えるかな?」
「ぶっ殺すぞ」

でも馬鹿の言う通り、もしそうなったら嫌だな…げっそりしながらチョロ松は雪解け水を探すことに決めた。


市販の雪解け水を一本飲んで駄目だった。種類を変えて二本飲んでも駄目だった。三本四本飲んでも駄目で、懐疑的な思いすら湧いてきた。甘いものばかりが欲しくなり、頬に鱗が出来てきたあたりでチョロ松はようやく病院に行くことにした。医者はチョロ松の話を聞いて腕を組む。

「ホエホエ、市販のものじゃ駄目ダス。なるべく新鮮なものじゃないと…出来ることなら、その日のうちに採取した雪解け水が好ましいダス」

そういうことは早めに知りたかった!
好きなアイドルのライブ、握手会、お誕生日会という名のチェキ会&トークショーにお金を注ぎ込み、更に微妙に胡散臭いお値段高めの雪解け水と様々な甘味(チョコレートや、キャラメルやプリン等)に英世も一葉も諭吉も吸い込まれていった。収入のない無職のニートにとって小遣いとして入ってくるお金はとても大事なものである。特に六つ子の中でも特にお金のかかるオタク趣味を持つチョロ松にとっては尚更だ。

「チョロ松兄さん、どうだった?」
「うん…何かその日のうちに採取したものじゃないと駄目だって」
「なら取りに行かなきゃなのか?」

居間でお茶をしていたらしいカラ松と十四松が心配そうにチョロ松に尋ねる。病院から帰ってきたチョロ松は、ちゃぶ台の盆の上に置いてあったシベリアを一つを掴み取って胡座をかいた。

「そうみたい。でも僕、今お金ないんだよなあ」
「貸してやろうか?」
「いや、いいや。先生に言われたけど、本当、鱗が生えて甘いものが無性に食べたくなる以外に害は無いらしいから、次の小遣い日まで待つよ」

軽くて、薄くて、柔軟性に富んでいて、丸い形のソレはその必要が無いのにチョロ松の皮膚を守っている。つるりとした鱗を撫でた後、チョロ松はシベリアを包んでいるラップを剥ぎ取った。


夜中だった。甘味が切れて、どうにも寝られなかった。明日の朝買いに行こうと思っていたけど、我慢が利かなくなった。兄弟を起こさないようこっそりと布団から出て、ひたひたと階段を降りる。家にある甘味はほとんど彼が食べ尽くしてしまった。戸棚にはしょっぱいおやつしか残っていない。コンビニに行くしかないのか…と半ばダメ元で冷蔵庫を開けると白い箱が目に入った。トド松が買ってきた、最近流行っているスイーツ店の箱である。
彼には良心があった。末弟が並んで多少なりとも苦労をして買ってきたというそれを無遠慮に食べてしまえる性格を持ち合わせてはいなかった。けれども病魔がそんな良心を踏みにじる。今すぐにでも甘いものを。ここにはいない末弟にチョロ松は謝罪の言葉を吐き出した。

「ごめんトド松」
「何が?」
「今食べないと何か死にそ…え?」

チョロ松が振り返るとそこには呆れ顔のトド松が腕を組んで柱に寄りかかっていた。

「何で起きてんの」
「チョロ松兄さんにトイレ、付き合ってもらおうと思ったんだけど居なかったから」
「一人で降りてきたの?」
「うん。でもやっぱ怖かったから帰りはチョロ松兄さん先頭歩いて」
「子供か」
「文句言うならそのスイーツあげないよ」
「ごめんなさい」
「いいよ別に」

箱の中身はいかにも女の子が好みそうな外見の、色鮮やかなフルーツで彩られてるシフォンケーキだった。

「女子か…」
「今流行ってるんだって」
「ほんっと流行りもの好きだな、お前」
「でも美味しいでしょ」
「…まぁね」
「そういえば明日ボク山登ってくるから」
「唐突だな。てか何で今のタイミングで言ったの」
「明日朝早く出るし、それに一応言っとかなきゃまた兄さんたちうるさくなるでしょ」

報告したからね、と口を尖らせ念を押すトド松を見てチョロ松はライン議論をしたときのことを思い出した。チョロ松が喉を鳴らして笑ったあと、二人の間には静けさが降りてきた。その後、布団に入るまで二人は一言も発さなかった。



次の日、トド松が帰ってきたのは七時頃だった。彼はいつものようにオシャレに気を使っているような格好ではなく、軽装ではあるもののそれなりに登山に適している格好をしていた。居間に入って背負っていたリュックをドサっと畳の上に置き、ライジングしながらのんべんだらりと求人雑誌を読んでいるチョロ松に対して「一応聞くけど、病気治すための雪解け水飲んだ?」と彼は聞く。

「おかえり。まだ飲んでないよ。何で?」
「ふーん、そう。じゃあハイこれ」

トド松は何でもないようにカバンから五百ミリのペットボトルを取り出して、何でもないようにチョロ松にそれを渡した。

「水?」
「富士山の雪解け水。今の時期、富士山行くと雪解け水の滝が見られんの。だから」
「わざわざ採ってきたの?」
「ついでにね。ボク滝好きだし、登山も好きだし。富士山の雪解け水の滝見られるの今くらいだし。それに、」

トド松はチョロ松にわざと視線を向けずに「またボクが買ってきた限定スイーツ食べられたくないし、あといつもトイレ付き合ってもらってるお礼」と宣う。あくまで自分のためであると主張したいらしい。そんな弟に対していつもはへの字になっている口の端っこを持ち上げた。感謝の言葉を言うと満更でも無さそうな顔でトド松は「ついでだから別にいいよ」と言う。全く素直じゃない弟だ。一体誰に似たんだろう。素直な部類に入るとは言い難いチョロ松はほんの少しだけ目を和ませて笑った。
そしてその日、彼に生えていた鱗は綺麗さっぱり無くなって、甘いものが無性に食べたくなることもなくなった。
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