時が過ぎ、在りし日の記憶は心の片隅で静かに生き続ける。
春のうららかな日に空を見上げればそこには懐かしい背中に似た浅葱色があった。
「……様。千鶴様?どうかなされましたか」
「え?あ…いいえ。何でもありません。ただ……空を眺めていたんです」
誰か部屋に入ってきたことも、話しかけられたことにも気づかなかった。
まだ少しあどけない少女は不思議そうな顔で私を見て、それから眉を下げる。
「近頃、元気がないようにお見受けいたします。あまり食も進んでいらっしゃらないようですし」
何か心につかえることがあるのか、それとも体調が思わしくないのかと訊ねる声は心から私の心配をしてくれているようで、私は少し言葉に詰まってしまう。
「そ、そうですか……?」
「はい。……千景様ですか」
彼女の顔に、まるで敵に出会ったかのような剣呑さが宿る。
「千景様ときたら屋敷にもあまり寄り付かず、毎夜どこかへ赴いておられるご様子。あれでは身を固める前と何も変わらぬと我が天霧家の者たちも嘆いております」
――千景様。
ここへやってきてから数年、その響きに彼の立場を改めて思い知らされて。
私は、私が思っていた以上に彼と彼を取り巻く環境を何もわかっていなかったのだと知った。
「……違うの。あの、本当に何でもないんです」
だから大丈夫と言うと、彼女は腑に落ちない顔をしながらも部屋を出ていった。
「…………千景さん」
また一人になった部屋にため息が零れる。
いったい幾度めなのか、既に数えることは叶わない。
……思えば、遠くまでやってきたものだ。
新選組の行く末を見届けるべく、無理を言って箱館まで連れて行ってもらったがそれよりもここは遠いような気がする。
『気持ちの整理がついたら自分の元へ来い、来なければ必ず迎えにくる』
そう言い残して場所も告げずに帰ってしまった彼は、医者として江戸に留まっていた私のもとに再びやってきた。
新選組のことを未だ想い、頭領の妻としての覚悟や誇りを持てないのならついて来るなと言い捨てた彼の隣で生きることを選んだのは私自身。
「…………」
覚悟したつもりでいた。
けれど、私の覚悟の何と甘かったことか。
私は結局、何もわかっていなかった。
『継嗣が未だ成らずとは何たることか』
『やはりとうに絶えた一族の女鬼など』
『子を為せぬなら側室を迎えるなり何か策を講じるべきではないのか』
『御館様は……千景様は一体何を考えておられる』
私は忘れていた。
初め、千景さんと出会った頃彼は私を『子を為すための道具』としか見ていなかった。
……それでも、共に過ごすうちに心を通わせたつもりでいた。
「そう思ってたのは私だけ…なのかな」
風間に嫁いでから数年経つというのに、未だ私に子供が出来ることはなく。
分家を始め、西の鬼の一族は私に向かって直接言うことはなくともそれを苦々しく思っているようだ。
千景さんは……何も言わない。
私と違って彼は一族の不満をはっきりとぶつけられているだろうに。
それでも、彼は何も私に言わない。
顔を合わせることさえもしてくれないのならいっそのこと、子が出来ないのはお前のせいだと責めてくれたほうがどんなに楽だろうか。
離縁もせず、かと言って慰めてくれるでもない。
ただこうして時間ばかり過ぎていくのでは飼い殺しと一緒だ。
「…………っ」
こらえていた涙はついに溢れる。
――何故、私はここにいるんだろう。
あの時、新選組と離れなかったら。
もしかしたら私は今よりも幸せであったかも知れない。
たとえそれが破滅の道であろうと、私は。
彼らと生きたかった。
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