狂い
「ちょっと!」
ハトネが怒ったように言い、
「私のこと完全無視!?」
カシルはまだしゃがんだまま、リオを抱き締めていたのだ。
リオはそのままずっと考え事をしていたので、ハトネの言葉で、はっと我にかえった。
「すまない」
カシルがようやくリオから離れ、ハトネに謝る。
(‥‥夢の中の女の人の言葉ばかり思い出してた。そうだ、シュイアさん。シュイアさんを捜さなきゃ)
リオは慌ててそう思うが、
「ところで」
と言うカシルの声に思考は遮られた。
「この小僧はお前の恋人か?」
いきなりカシルはハトネにそんなことを聞く。
「えっ?」
「‥‥はいっ!?」
ハトネとリオは同時に驚き、だが、
「えっ‥‥ええ‥‥そのうち、そうなるかと‥‥」
ハトネは頬を赤く染めながら、ちらりと横目でリオを見て答えるので、
(いやいやいや!ならないから!絶対に!)
リオはややこしくなりそうな気がして、口には出せずにいた。
(と言うか私、そんなに男の子に見えるかな?ハトネさんもカシルさんも勘違いしてるし‥‥まあ、いいけど)
諦めるようにため息を吐く。
「あ」
リオが急に声をあげるので、ハトネとカシルはリオを見た。
「‥‥あの、カシルさんとシュイアさんの関係って‥‥」
リオはどうしてもシュイア自身に聞けないことをカシルに聞こうとした。
六年もの間、ずっと知りたかったこと。
「シュイアから聞いていないのか?」
「はっ、はい‥‥捜してるとしか‥‥」
そのリオの言葉にカシルは「なるほどな」と言い、なぜか小さく笑って、
「そうだな‥‥俺たちは‥‥」
待ち望んだ答えを知りたいと、リオは真っ直ぐにカシルを見つめる。
「敵だ」
「ーー!?」
しかし、そう発したのはカシルではなかった。
「シュイアさん!?」
リオは驚き、その名を呼ぶ。
少し離れた前方に、シュイアがいたのだ。
「やっと会えたな、カシル」
シュイアはそう言いながら、腰に下げた剣を抜く。
「なんだよ、久々の再会に‥‥こんな街中で剣だか魔術でも出すのか?人に危害が出るぞ?」
カシルは嫌味に笑いながらそう言って、リオとハトネは状況が呑み込めず、ただ茫然と二人の会話を聞いていた。
「それなら安心しろ。すでにこの国の時間は止められている。恐らく‥‥奴だな」
シュイアはそう言うが、リオにはわけがわからない。
「そういえば‥‥さっきから人の気配がない!?」
ハトネのその言葉にリオも気づき、
「ほっ、本当ですね‥‥そういえば、街中に人がいませんでした。でもそれって今は朝だから、皆まだ家の中にいるだけなんじゃ‥‥」
リオは頭の中がこんがらがってきた。
「ううん、リオ君‥‥多分、これは魔術だよ」
ハトネはそう言いながら、何かを指差す。
その先は、時計台だ。
針が動いていない。秒針も、止まっている。
「闇の魔術、か‥‥それに、奴だと?ふん‥‥」
カシルは目を細め、そう言った。
そういえば、先日シュイアに聞かされたばかりだ。
魔術には属性があると。
それは、火・風・水・雷・土・光・闇。
その、闇の魔術とやらを使った『奴』とは?
「ふ‥‥今更、俺を見つけてどうする?殺すのか?」
カシルは薄く笑いながらシュイアにそう聞けば、
「ああ」
ーーと。
シュイアはそれだけ言い、剣を構え、真っ直ぐカシルに斬りかかった。
ガキンッーー!!
「っ!氷の刃か」
カシルはどこからか氷の剣を出し、シュイアの剣を受け止める。
「何あれ!?」
「あれも魔術の一つだよ、リオ君」
隣で驚くことしかできないリオに、ハトネはそう教えた。
ーーガキンッ、ガキッ‥‥ゴゥンッ!!
剣声が響き渡る。
シュイアが斬りかかっても、カシルはその剣を氷の剣で受け止める。
カシルが斬りかかっても、シュイアはその剣を己が剣で受け止める。
ーー互角だ。
次にシュイアは恐らく呪文を呟き‥‥ーービュッ!!と、鋭い炎が辺りに舞い上がる。
「あっ、あれが、火の魔術‥‥ですか?」
さすがにリオでももう理解した。
だが、そんなことよりも‥‥
(あんな怖い顔をしたシュイアさん、見たことない‥‥)
シュイアの目は、怒りと憎しみで溢れていると言ってもいいだろう。でも、それはカシルも同じだ。
(‥‥二人はいったい?)
二人の関係が、まったく読めない。
「‥‥がはっ!!」
カシルの剣圧に耐えきれなかったのだろうか、シュイアが激しく地面に倒れこむ。
「えっ‥‥シュイアさんっ!!!」
リオはシュイアに駆け寄ろうとしたが、
「リオ君‥‥だめ!!」
それをハトネが止める。
「状況はまったく読めないけど、今行ったら、リオ君きっとたたじゃ済まないよ!ケガしちゃうよ!」
ハトネが半泣き状態でそう言うが、リオの耳には入らない。
「シュイアさん‥‥シュイアさん!」
いつの間にか、目からは涙が溢れ出た。
「ぐっ‥‥」
シュイアは剣を支えにし、よろりと立ち上がる。
「ははっ」
カシルは静かに笑い、
「愛されてるじゃねえかよ、シュイア‥‥それを、お前は‥‥だから、その為に、俺は強くなった。お前を、殺す為だけにーー!!」
カシルはそう言って、剣を振り上げる。
「いやっ‥‥!!シュイアさん‥‥!!」
今度こそリオは飛び出した。ただただ、シュイアに手を伸ばしながら‥‥
「ダメです‥‥リオ‥‥」
「!?」
どこからか優しい声が響き、ぴたりと、カシルの振り上げた剣が止まる。
リオは伸ばした手をゆっくりと、力なく下ろし、はっとした。
「夢の、人‥‥」
ーー先日、夢の中に出てきた女性‥‥
彼女がリオの目の前に立っていた。
「夢じゃありませんよ、リオ」
女性は優しく微笑む。
「夢じゃ、なかった?」
リオはボロボロと涙をこぼしたままだ。
「道を、開く者‥‥さん?」
「!」
リオのその言葉に、シュイアはため息を吐き、カシルは心底驚いたような顔をしている。
女性はリオがそう呼んだのを聞き、柔らかく微笑んだ。
「ええ、リオ。いいえ、見届ける者よ」
夢の中と同じことを彼女は言っている。
あれは、夢じゃない。
夢じゃ、なかった。
「はっ‥‥!懐かしい顔だな。だが‥‥見届ける者だと?貴様‥‥その小僧をどうする気だ」
カシルが女性を見て、まるで憎悪混じりに言った。
「やはり、リオは‥‥」
シュイアは目を細める。
「リオ‥‥小僧、名をリオと言うのか‥‥?」
カシルにそう聞かれ、リオは無意識に頷いた。
「道を開く者。お前の力だとは思ったが、何故ここに」
シュイアが女性に聞けば、
「私はいつでもリオの傍に居ます。リオに道を示すために」
まるで聖母のような微笑みなのに、だが、リオはなぜだか気持ちが悪かった‥‥
何がなんだかわからない。
「道を示す?はっ‥‥道を狂わすの間違いだろ」
カシルは鼻で笑い、次にシュイアを見て、
「‥‥ふん。引き上げだ。シュイア、俺が退いてやる。ありがたく思えよ」
「カシルーー!」
シュイアの右腕からは血が流れ出ていて、カシルを止めようとしたが、シュイアはその傷を押さえる。
カシルはシュイアから視線をはずし、状況が分からず、ただ涙をこぼし、震えているだけのリオに、
「こんな世界から出ていけ。この女に道を狂わされる前に‥‥この俺に、殺される前に‥‥全てに‥‥狂わされる前に‥‥お前は‥‥」
カシルは何か言い掛けて、だが、この場から姿を消した。魔術、だろうか。
「さあ、リオ。私も行きましょう。いずれまた、会うその日まで。見届ける者よ」
そう言って、道を開く者も、カシルと同じように姿を消してしまった。
すると、カチッ‥‥と、
「時計台が‥‥」
状況を黙って見ていたハトネが呟く。
時計が動き出したのだ。
時間が、動き出した。
きっと、道を開く者の魔術だったのだろう。
「‥‥シュイア、さん?」
リオは彼の元に近付き、問い掛けるように、シュイアの名を呼んだ。
シュイアはリオから顔を逸らす。負傷した右腕を押さえながら。
一瞬、何か、憎悪めいた視線を彼から感じたのは気のせいであろうか‥‥
それでも、リオはただ、よろよろとシュイアに近付き、
「シュイアさん‥‥ひどいケガ‥‥早く、手当て‥‥を‥‥」
ーーバタッ‥‥
「リオ!」
「リオ君!?」
リオはその場に倒れてしまった。意識を失ったようだ。
わけの分からないことが一気に起きすぎた‥‥
(‥‥シュイアさんとカシルさんは、敵?敵って、なんなの?私は見届ける者?道を開く者さんはいつも傍に?カシルさんはなんて言ってたっけ?道を狂わす者‥‥って。こんな世界から出ていけって言ってた‥‥道を開く者さんに道を狂わされる前に‥‥カシルさんに殺される前に‥‥全てに、狂わされる前に‥‥?いったい…どういう意味なんだろう。あぁ‥‥そんなことよりも、シュイアさん、ひどいケガしてた‥‥大丈夫かな‥‥早く、手当てを‥‥)
「シュイア‥‥さん」
ーー目を開けたら、今朝と同じ白い天井が目に入った。
「リオ君ーー!」
がばっーー。
どうやらここは、今朝の宿屋のようで、リオはまたベッドで寝ていた。
そして、ハトネがリオに抱きつき‥‥
「ハトネさん‥‥?」
「心配したんだよ、リオ君、目‥‥覚まさないから」
ハトネはボロボロ泣いている。
「ハトネさん‥‥?大丈夫ですよ、気を失っていただけですし」
リオは微笑んだ。
「それよりシュイアさんは‥‥シュイアさん、怪我してた‥‥」
「何言ってるのよ‥‥リオ君はもう‥‥一ヶ月も眠ったままだったんだよ!?」
「‥‥え?」
ハトネのその言葉に、リオはゆっくりと目を見開かせる。
そういえば、体がひどく重い。
お腹も異常に空いていて、口の中はカラカラとしている。
「いっか‥‥げつ?」
信じられなかった。
「そうだよ!一ヶ月もだよ!」
ハトネはまだ泣いている。
「シュイアさんは‥‥?」
リオは自分の置かれている状況よりも、シュイアの姿がないことに疑問を感じた。
「シュイアさんは‥‥」
ーーリオは、嫌な予感はしていた。
カシルに出会った瞬間から。
ハトネが言うには、シュイアは一ヶ月前にカシルと戦った後、リオを宿に運び、そのままハトネに、『リオを頼む』そう言って、行方も告げずにどこかへ行ってしまったらしい。
覚悟はしていた。
シュイアがカシルを見つけたら、シュイアはどこかへ行ってしまうのだと。
なんとなく、察していたのに。
涙が、止まらない。
六年間、記憶のない自分と共に旅をし‥‥
家族のように‥‥接してくれた人‥‥
(私の‥‥だいすきな人‥‥)
唯一の道標が、消えてしまった。
「シュイアさんが‥‥いない。私は‥‥これからどうすれば‥‥」
ただ、情けなくそう呟くしかなかった。
一ヶ月前のことは、何一つ理解できない。
シュイアの行方は?
カシルはいったい何をする気なのか?
道を開く者は本当に傍にいるのか?
ハトネはどうして傍にいてくれるのか?
(見届ける者‥‥私は、なんなの?)
全てが狂い始めた。
シュイアと共に生きてきた無知な少女は、とうとう一人になった。
でも、それでも。
そして私は、君に出会ったのだから。
〜第一章〜遠い昔〜〈完〉