父のこと
目の前に現れた老婆は、アドルの父、カイナの母親だった。
「カイナからは一切の連絡はありませんでしたが、あなたの母から定期的に手紙が送られてきたのですよ」
彼女は皺だらけの頬を緩め、そう話す。そんなことを知らなかったアドルはぽかんと口を開け、大きく目を見開かせた。
「手紙と共に、あなたの写真も同封されていたんですよ」
「‥‥そ、うなんですか」
言葉が見つからなくて、アドルは視線を泳がせる。
「でも、どうして‥‥何十年も経って、どうしてあなたは今日、私に会いに来たのかしら?どうして‥‥」
どうして『今更』なんだと。
どうして『今頃』なんだと。
きっと、そう言いたいのだろうとアドルは感じた。なんだか申し訳ない気持ちになってしまい、それでも意を決して口を開く。
「実は‥‥」
しかし、アドルは口ごもってしまった。
父ーー彼女の息子が亡くなったことを、この優しげな老婆である母親に伝えなければいけないのだ。
老婆は俯いてしまったアドルをじっと見つめ、
「アドル。せっかくあなたが来てくれたんです。外で立ち話もなんですから、中に入りましょうか。お友達の方もどうぞ」
と、老婆はクリュミケールとキャンドルを見て微笑む。しかし、促された二人は目配せをし、
「あっ‥‥いえ、オレ達は、待ってます」
クリュミケールがそう言った。それから二人はアドルの方に行き、
「とりあえず、お前の家族の話だからな。俺達がいるわけにもいかないだろ」
キャンドルは小さな声でアドルに言い、彼はそれに頷く。
そうして、アドルは老婆と共に屋敷の中に入り、
「オレ達はどっかで時間潰しとかなきゃな」
と、クリュミケールが言って、
「だな。‥‥ん?」
キャンドルは頷いた後で、どこか一点を見つめた。クリュミケールは不思議そうに彼の視線の先を見ると、こちらを見ている少女がいることに気づく。
「お前の知り合いか?」
と、キャンドルに聞かれ、クリュミケールは「うーん」と、難しそうな顔をした。
そこで、少女の連れの銀髪の青年がこちらに気づき、
「あ、クリュミケール!君もファイス国に着いてたんだね」
と、銀髪の青年ラズがこちらに声を掛ける。
「ああ、昨晩ね」
クリュミケールはそう言って、ちらりとまだ遠目からこちらを見ている少女、ハトネを見た。
「そうか。僕らはついさっき。あれ?アドルは?それにそっちは‥‥」
ラズはアドルがいないことに気づき、それからキャンドルを不思議そうに見る。
「アドルは今、祖母のところに行ってるよ。彼はキャンドル。オレも会ったばっかだけど、アドルの幼馴染だそうだ」
「おう。紹介されたはいいが‥‥えーっと」
キャンドルは当然、状況が飲み込めていなかった。
「ああ。こっちはラズ。あの女の子はハトネだったかな?ここに来る道中、偶然シックライア付近で会ったんだ」
と、クリュミケールは説明する。
「それで?ラズ達はどうなんだ?捜してる人は見つかりそうか?」
「うーん‥‥なかなか」
聞かれて、ラズは苦笑した。
「それで?あの子はなんであんな遠目からこっちを睨んでんだ?」
キャンドルはハトネの方を指して言い、
「あ、あはは‥‥なんだろうね」
ラズは苦笑したまま言う。すると、
「クリュミケールさーん、兄ちゃーん」
なんて声が後ろから聞こえてきて、それはこちらに駆けて来るアドルの声だった。
「えっ?もう終わったのか!?」
と、クリュミケールとキャンドルが驚くように聞けば、アドルはにんまりとしたまま頷く。
「あっ、ラズさんにハトネさんも来てたんですね」
二人に気付いたアドルはそう言い、
「ああ。じゃあ、君達は話があるだろうし、僕らはこれで‥‥」
ラズはそう言って、遠目からこちらを見ているハトネの方に行った。
クリュミケールはそれを見た後、
「それで?どうだったんだ?アドル」
と、彼に聞けば、キャンドルもアドルを見る。
「えっと‥‥」
アドルは口を開いた。
◆◆◆◆◆
「さあ、アドル。どうぞ座って」
屋敷の一室に招かれたアドルは、老婆にいかにも高そうなソファーに座るよう促された。アドルは緊張しながらも慌てて座る。
「名乗るのが遅れましたね。私はルアと言います。それで‥‥アスヤさんとカイナは元気にしていますか?」
老婆ーールアは優しく微笑みながら聞いた。
「ルア‥‥さん。あの、これ‥‥」
アドルはアスヤに持たされた小さな箱をルアに差し出した。ルアは不思議そうに箱を受け取る。
アドルはルアと視線を合わせることができず、床に敷かれた赤い絨毯を見つめながら、
「中身は知らないのですが、父さんの、遺品だと‥‥母さんが」
アドルは震えた声で言葉を吐き出した。
「‥‥!」
彼の言葉にルアは驚き、ただただ箱を見つめる。
「父さんは‥‥去年、亡くなりました」
アドルはギュッと目を瞑り、
「ニキータ村に魔物が入り込んで来たんです。おれの前にも魔物が現れて‥‥おれは、何も出来なかった‥‥父さんはそんなおれを庇って、魔物に‥‥」
その時の光景を鮮明に思い浮かべ、アドルは歯を食いしばり、震える拳を握りしめた。
「全部、おれのせいなんです。父さんが死んでから、母さんも体調を崩してばかりで‥‥」
ルアは黙ってアドルの言葉を聞いていたが、
「あなたのその二双の剣は飾りなのですか?」
と、アドルの両腰に下げられた剣を見つめる。
それに、アドルは顔を上げ、疑問の表情をルアに向けた。
「あなたはもう、立派な男の子でしょう?カイナはきっと、あなたを大切にしていたのでしょう。だから、身を呈して家族を守った‥‥だから、自分のせいなどと言わないで」
ルアは微笑んでそう言い、
「私は最低な母親です。息子が‥‥カイナが私に紹介した女性はニキータ村の女性。ですが、貴族は貴族と結婚するものだーーそんな古い風習を、私は曲げられなかった。だからカイナはこの家を出て行きました。地位も姓も捨てて。カイナが選んだのは、あなたの母‥‥アスヤさんとニキータ村でした」
そう話す彼女の声は、しかし穏やかなものだった。
「私が意地を張り続けたばかりに、何十年もカイナの姿を見ることもできなくなり‥‥今日に至りましたね。亡くなった夫には、本当に申し訳ないことをしてしまいました‥‥」
「亡くなった‥‥?」
アドルが聞き返すと、
「私の夫ーーあなたのおじいさんは、もう二年も前に病で亡くなりました」
「‥‥」
それを聞いたアドルは、一目も見ることも会うことも叶わなかった祖父を偲んだ。
すると、アドルはルアの視線に気づく。
「でも、こんな私は‥‥今日こうしてあなたに会えました」
そう言ってルアは微笑み、優しくアドルの髪を撫でた。
◆◆◆◆◆
「ルアさんは、おれのことも母さんのことも憎んでなかったんだ‥‥」
先刻の会話を思い出し、アドルは胸に手を当てる。
「そっか‥‥そういや、その遺品の中身はなんだった?」
キャンドルが聞き、
「確かに気になりはするが‥‥お前、デリカシーってもんが」
クリュミケールがキャンドルに言おうとしたが、アドルはクスクスと笑い、荷物の中から使い古した感のある一本の短剣を取り出した。
「これが、遺品の中身だったよ」
ーーと。