忘れは‥‥


「すっ‥‥」

リオは口をぽかんと開け、

「すごい‥‥」

と、言った。

「これが、シェイアードさんの家‥‥?でっ、でかい‥‥」

リオは呆気にとられている。
ーー家と言うより、屋敷だ。
庭もあって、池もあって、リオの視線は忙しい。

「ああ。無駄にでかいが、住んでるのは俺と使用人だけだ」
「え?」

リオは困ったような顔をした。それに気付き、シェイアードは、

「家族は死んだ」

ーーと。聞きもしないのに、彼は顔色ひとつ変えずに言う。
リオは、気まずそうにして、それから、

「そっ、そうなんだ。私も、家族はいないんだ」
「死んだのか?」
「ううん、わからない。私は小さい頃の記憶がないんだ。今も小さいけどね」

と、リオは苦笑した。

「記憶喪失か」
「たぶん。そんな私を、シュイアさんって方が拾ってくれて‥‥それからずっと、その人と旅してきて‥‥」

リオは忘れもしないあの、運命の日を思い出す。


ーー‥‥今でも鮮明に覚えている。
あれはどこかの森の中だった。

(‥‥声が‥‥聞こえる‥‥)

森の中で倒れていた少女はうっすらと目を開け、その目に映したのは‥‥青に映える、黒。

それは、青い空の下、黒い髪、黒い鎧に身を包んだ青年の姿であった。

「無事か‥‥名は、わかるか?」

青年はそう問い掛けてきたが、少女は首を横に振る。

名前?
自分は誰?
この人は誰?
ここはどこ?

倒れたままの少女は視線を落とす。

「思い‥‥出せない?記憶が‥‥ないか?」

察したのか、青年が言った。

「私はシュイアだ。カシルという男を追って旅をしている。危険な旅かもしれないが‥‥」

青年、シュイアはリオに手を差し出し、

「来るか?」


ーーなぜ、シュイアがあんなにも簡単にそう言ったのか‥‥今でもよく、わからない。

ただ、無知だった少女はこくりと頷いた。

「行こうか、リオ」
「‥‥リオ?」

青年が名を呼んだので、聞き返す。

「‥‥お前の名前だ」


‘リオ’

それは誰なのか。
シュイアがくれた名前なのか。
それとも違う誰かの名前なのか。

もしくは、本当に自分の名前なのか‥‥

それはわからなかったが、少女ーー‘リオ’はあっさりその名を受け入れた。


◆◆◆◆◆

「それからずっとシュイアさんと旅をして。えっと、私が今、十六歳だから‥‥シュイアさんと出会ったのはもう十年前かぁ‥‥」

リオは寂しそうに青空を見上げる。この空の下、今、彼は何をしているのだろうと。

「そのシュイアという人のことが好きなんだな」
「うんっ!だいす‥‥って、違うよ!?変な意味の好きじゃないよ!かっ、家族って言うか、うん!」

慌てるリオに苦笑しつつ、

「幼い頃の記憶がない‥‥というのはどんな風なんだ?楽か?」

不意に、シェイアードにそう聞かれて、

「‥‥楽?うーん‥‥たまに、思い出せたらとは思うよ。自分に家族がいるのなら、知りたいし‥‥楽では、ないかなぁ」
「‥‥そうか。そろそろ入るぞ」

シェイアードは何かを振り切るかのように首を振り、屋敷へと入る。


「うわぁあーーーー!!!!?すごい!!」

リオの驚きの声に、シェイアードはため息を吐いた。
屋敷の中に入った瞬間から、中も広く、高価そうな装飾品が多々飾られていて‥‥
床に敷いてある絨毯もふかふかしている。

「一人で住むにはつまらんがな」

シェイアードはぽつりと言った。

「シェイアード様、お帰りなさいませ」

すると、女性の声がして‥‥振り向くと、メイド服を着た女性がいた。
先程、シェイアードが言っていた使用人だろうなと、リオは察する。

「そちらは?」

女性はリオを見た。
その女性はとても美しく、歳は二十歳過ぎであろう。
肩まで伸びる茶髪と、黒い目が綺麗だった。

思わず、リオは慌てて身形を整える。

「俺と同じ大会参加者だ。異国から来たそうで、大会まではここに泊めてやることになった」

シェイアードが説明すると、

「まあっ!?あのシェイアード様が‥‥!!」

女性は何か驚き、それからやんわりと微笑むと、リオにつかつかと歩み寄って来たので、リオは首を傾げた。

「シェイアード様は見た目は怖そうですが、本当はとてもお優しい方なんですよー。不器用な方なので、シェイアード様のこと、頼みますね」

女性はこっそりと、シェイアードに聞こえぬよう、リオの耳元で言う。

「え?どういう意味ですか?」

女性の言葉の意味がわからなくて、リオが聞き返すと、

「だってあなた、シェイアード様の恋人様でしょう?あの堅物なシェイアード様が女性を連れてくるなんて‥‥!使用人として嬉しいことですよ!」

今度はシェイアードにも聞こえるように、はっきりと言った。

「こっ‥‥恋人!?」

リオとシェイアードの声が重なる。

「ハナ、違うぞ。そんな理由でこの俺が女を連れ込むわけがないだろう。低俗に見るな」

シェイアードは怒ったような声音を出し、女性をハナと呼んだ。

「あらぁ‥‥言いながら、お二人ともお顔が赤いですよ?」

まだハナはからかってくるので、

「ちっ、違いますよ、シェイアードさんはただ、困ってる私を‥‥あれ?」

弁解しようとしたリオの目に、ふと、何かが映る。棚の上に置かれた写真だった。

写真には、幼いシェイアードともう一人、赤毛の少年が写っていて‥‥
まじまじと写真を見るリオを横目に、シェイアードは何も言わず、一室へと入って行く。

すると、ハナが、

「気になりますか?その方はシェイアード様の弟君です。ある事件でシェイアード様のご両親が亡くなり‥‥そして弟君も恐らくは‥‥もう、いないんですよ」
「事件?」
「私の口からは到底、言えません。ただ、シェイアード様の右目も‥‥その時の事件でああなってしまったのです」
「そう、なんだ。家族を‥‥」

リオは目を閉じ、

(私にも、本当にいるのだろうか?家族なんてもの‥‥ああ、そうだ)

リオは首にかけたペンダント、青い石に触れ、

(シュイアさんや‥‥レイラが‥‥)

リオは思い出しながら、寂しくなって、首を横に振る。

「さて、恐らくシェイアード様は自室でお休みになられたようですね」

ハナが言うので、

「ええっ!わっ、私‥‥どうすれば?」
「そうですね。空き部屋はたくさんありますから、休んでいただいても構いませんし‥‥書庫にはたくさん本がありますよ」
「ーー!」

リオは思い出した。

(ロナスが‥‥ラズ達が言っていた。悪魔についての本。そういえば、ロナス‥‥彼は、生きて‥‥るのかな)

あの時、ロナスの姿がなくなっていたこと。
リオはそれをずっと疑問に思っている。

「じゃあ‥‥まだ時間も早いし、書庫で本を読もうかなぁ‥‥」
「ええ、では案内しますね」


◆◆◆◆◆

案内された書庫もとても広かった。
天井までの空間も高く、見上げても本があるという状態。
悪魔についての本を探すつもりだが‥‥
これほどの量から探すのは困難だとリオは思う。

聞こうにも、ハナは掃除だの夕食の準備だのと忙しそうだ。

「まぁ、頑張って探してみるか」


忘れるわけがない。
フォード国での一件を。
平気そうに見えるが、リオはまだ引きずっていた。

それはこの先、ずっと消えることのない【キズ】なのだろう。

たとえどれほどの時が経とうとも、忘れない。

燃え盛る城を。
女王と王女の死を。


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