意思
『ただいま』
そう言って小屋に入って来た少女はリオだった。
エナンに貰った服はボロボロになり、首に巻いた黄色いスカーフは穴だらけ。
腕にいくつかの火傷のような痕がある。
肩まで伸びた綺麗だった金の髪が、焼けてしまったのであろう。耳の下ぐらいまで短くなっていた。
頼りなさげだったエメラルド色の瞳が、今では強く輝いている。
四年経ち、身長もほんの少しだけ伸びているが、それでもまだ十六歳。
あどけなさが残る。
「エナンさん、あれから何年経ちましたか?」
リオが幻を見るように呆けているエナンに聞けば、
「よっ‥‥四年、じゃ」
と、エナンの声が震えた。
「四年も!?ははっ‥‥二、三年程って言われたのに、四年もかかってしまったのか」
リオはため息を吐く。
「リオ‥‥くん?」
そんな、震えるような声の方をリオは見る。それは、泣きそうな顔をしているハトネだった。
リオはエナン以外の六人の姿を見て驚く。
それと同時に、まだ世界は壊れていないんだと確信した。
「リオ君‥‥リオ君なんだね?本当に、リオ君だ‥‥」
ハトネは何度も確認するように言う。
「ハトネ‥‥それに、皆、なんでここに?」
「なんでじゃないでしょう!?」
ーーパシンッ‥‥と。
「は‥‥?」
リオは頬に走る痛みと共に、渇いた声が出た。
「フィレアさん、なんで‥‥」
フィレアに頬を叩かれたリオは、なぜ叩かれたのか分からず、ヒリヒリする頬を押さえながらしばらく呆然とする。
「どうして人を頼らないの!?私達を頼らなかったの!?どうして一人で‥‥四年間も‥‥」
フィレアは怒鳴っていたが、次第にその声は弱々しくなり、
「こんなっ‥‥こんなにボロボロになって。こんなに‥‥あなた女の子なのよ?あなたがこんなに傷付く必要があるの?せっかくの綺麗だった髪も‥‥こんな、短くなっちゃって‥‥あなたはこの四年、いったい何をしていたの‥‥?」
フィレアは涙を流した。
ーーリオにとっては、、たったの一週間過ぎ。
彼女達にとっては、四年。
その、時間の流れの重さをリオは感じ取る。
リオは、ちらっとレイラの目を見た。レイラの瞳も、以前とは違う。
無邪気だった輝きが消えていて‥‥
次にリオはレイラから視線を外し、カシルを見た。
「世界はまだ、無事なんだな。あなたには、聞きたい‥‥ことが‥‥」
そこまで言って、リオの体がふらつく。
声が出ない。聞きたいことがあるのに、一週間、飲まず食わずの生活と、歩き続けた疲労のせいだろう。
(サジャエルとどういった関係なのか‥‥私のことを知っているような口振りをするのはなぜなのか、聞きたいのに‥‥)
何度かふらつくリオを、誰かが支えた。
それは、銀の髪と、金の目をした少年で‥‥
「‥‥君は、ラズか?‥‥大きくなったな」
一瞬、誰か分からなかったが、印象的な髪色と目の色で確信してリオは薄く微笑む。
「リオさん‥‥良かった‥‥」
ラズもフィレアと同じく、泣いていた。
すると、ハトネがカシルに向かって声を上げる。
「あなたのせいで‥‥!カシルさん‥‥同じ魔術を持つ者同士、わかるはずです。リオ君から感じる、この魔術の気配‥‥これでリオ君は、私達と同じなんですよ!不老なんだよ!!あなたが‥‥あなたが王女様を惑わしたせいで!!」
泣き叫ぶハトネの言葉に、フィレアとラズとレイラだけが目を見開かせた。
しかし、ハトネの言葉を宥めるように、静かな声が流れる。
「ハトネ、違うよ。これは私が自ら選んだ道だから。他の誰のせいでもない、私の意思だよ」
リオはそう言って、ハトネに笑いかけた。
そして、赤い目を見つめる。レイラの目を。
二人はしばらく無言で見つめ合った。
「レイラ‥‥久し振りだね」
先に言ったのはリオ。
レイラは戸惑ったような目をするだけで‥‥
レイラはそんなリオを見て、以前までのリオとはどこか違うと感じる。
以前までならきっと、
『久しぶりだね、レイラちゃん!』
そういう口調だったに違いない。
「リオ‥‥変わったわね」
「変わってないよ、私は何も」
そう。本当は、何も変わっちゃいない。
「皆にとっては四年間。私にとっては、たった一週間過ぎだったんだから」
そうーーフォード国の一件から、リオの中ではまだ数ヵ月。そしてフォード国を出てからは一週間程しか経っていないのだから。
それを聞いたレイラは口ごもる。
「話したいことがたくさんある。だけど、どうやら彼が話したいようだな‥‥」
リオは一人、そう呟いた。
すると、リオの体が一瞬白く光り、
「‥‥!」
心底驚いたような顔をしたのが、エナンであった。
リオの隣に、先程まではいなかったもう一人がいたのだ。
「不死鳥‥‥」
エナンは小さくその名を呼ぶ。
「不死鳥だと!?」
ロナスは目を見開かせた。
「そう。我が不死鳥だ」
「不死鳥って‥‥人間だったの?」
フィレアが驚いた風に聞けば、
「我は人ではない。この世界の神の一人だ。だが、この姿も本来の鳥の姿も、どちらも我だ。我に実体などないのだから」
青年の姿をした不死鳥は無表情のまま言う。
ーーそして‥‥
懐かしい、長い長い虹色の髪。黒い瞳。
エナンはただ、彼を見ていた。
「我はこの小さき者、リオと契約した」
「そうか、そうか‥‥やったのじゃな、リオ」
嬉しそうなエナンの言葉に、リオは静かに頷く。
リオは再びレイラを見つめ、
「戻って来る気はないか?」
リオはレイラに手を差し出した。
レイラは目を見開かせる。
火傷痕のひどい腕が、見ていて痛々しい。
(私の、せいで?)
レイラはそう思い、
「リオ‥‥私は」
レイラは首を横に振り、涙を流した。
リオはレイラの涙を見て思う。
「何か‥‥あったの?レイラちゃん‥‥」
以前のように、優しい声で聞いた。
レイラの体は震え出し、
「私、戻れない‥‥あなたと、行けないわ」
レイラの答えを、リオは知っていたから、だから、静かに頷く。
「あーあ‥‥友情ごっこはまだ続いてたのかよ」
そんな、退屈そうなロナスの言葉を聞き、リオはギロリと彼を睨み付けた。
「うわっ、こわっ!だが、なかなか良い目をするようになったじゃねーか。もう、綺麗事を吐くだけのお嬢ちゃんじゃないなぁー。でも残念。王女様は救えませんよっ」
そう言い、ロナスは笑う。
「何が言いたいんだ?はっきり言えよ」
我慢できず、ラズがロナスに言えば、
「言ってもいいのか?後悔はないんだな?」
そんな、話を長引かせるだけのロナスに、カシルはため息を吐きながら、
「人を殺した」
一言、そう言った。
「あーっ!カシル!オレのセリフ取りやがったな!?」
ロナスがギャーギャーと騒ぐが、カシルとロナス、レイラとエナン、不死鳥以外の四人は言葉を失う。
「なっ‥‥なんて?」
ハトネが声を絞り出せば、
「だぁからぁ!!王女様は人を殺したんだって!わかんなかった?」
ロナスが嘲笑った。
それを聞いたリオは、ロナスとカシルを見た。それからまた、震えるレイラに視線を戻し、
「レイラ!それでも、君自身の意思でやったんじゃないんだろう?無理矢理だったんだろう?」
「ちが‥‥違う、違うの‥‥私‥‥」
レイラは俯き、両手で自分の顔を覆い、
「私は自分の意思で人を‥‥フォード国からの追っ手の兵を‥‥殺したのよ‥‥」
「‥‥っ」
ーーただ、絶句した。
「自分の意思でって‥‥王女様‥‥」
ハトネな声を震わす。
レイラの容姿からして、戦いや武器の似合わない女性だ。
そんなレイラが‥‥?と、一同は耳を疑う。
しかし、よく見ると、レイラの腰のベルトには短剣が下げられていた。
「レイラ‥‥でも、追っ手とは?」
リオが聞けば、
「リオさんの居ない四年間。主のいなくなってしまったフォード国は荒れ果ててしまったんだ‥‥」
ラズが答える。
「え!?じゃあ、アイムさんは?それにラズのお母さんも‥‥」
ラズの母親に会ったことはないが、病気の母がいることは聞いていた。リオが心配そうに聞けば、
「それなら心配ないわ。貧困街の人達はフォード国の南東にある、ファナの村に移住しているから。アイムおばさんも、ラズのお母様も無事よ」
フィレアが微笑んで言い、
「ファナの村の人達が援助してくれてるんだよ。凄く優しい人達ばかりが住む村だから」
ラズがリオを安心させるように言う。
「そっか‥‥じゃあ、もしかして‥‥国が荒れ果てたのはレイラのせいだ‥‥みたいな、そんな感じで追っ手が?」
リオが困ったように聞くと、
「そう!そうなんだよ!さすがリオ君!」
と、ハトネが嬉しそうに言うので、
「笑い事じゃないでしょう!」
「あたっ」
不謹慎なハトネの頭をフィレアがパシッと叩いた。そんな二人を見て、リオはきょとんとする。
(この二人、こんなに仲良かったっけ?)
なんだか四年の内に、一人取り残されたような気がした。
「だいたいねぇ‥‥ハトネちゃんは無鉄砲なのよ!いきなり『ここからリオ君の臭いがするー』なんて言って魔物の巣に飛び込んで行く」
「だってだって!フィレアさんだってそれを信じてついて来たじゃない!」
言い争いはまだ続いていて‥‥
カシル達は呆れたようにその様子を見ている。
「リオさん、僕らはずっとあなたを忘れなかった。毎日あなたを捜して旅をして来たんですから」
そう言って、ラズはリオに微笑みかけた。
リオは静かに二人の言い争いを見ていたが‥‥
「ふ‥‥ふふっ、あははは‥‥!!」
いきなりリオは笑い出す。
「りっ‥‥リオ君?」
ハトネも、当然、他の者達も、驚いてリオを見た。
「ごっ、ごめん‥‥なんだかおかしくって」
「あなたのそんな笑顔‥‥初めて見たような気がするわ」
レイラが呟くように言う。
「そうかも。レイラ‥‥たとえ君が人を殺したんだとしても‥‥私は君を嫌いになんかなれない。だって、私達は友達だから」
再び、手を差し出した。
「リオ‥‥」
レイラは瞳を震わせ、腕を伸ばす。
今度こそ、レイラはその手を取った。だが、
「ごめんなさい」
酷く冷たい謝罪の声の後に、ーーズブッと、鈍い音がする。
「ーーっ!?」
リオは目を見開かせ、とっさにレイラの手を振り払った。
「主!」
と、不死鳥が叫ぶ。
視界が、赤く染まっていく。それがなぜか、リオはしばらく理解できなかった。
ズキズキと、目が、痛む。
レイラはーーリオの右目を切りつけたのだ。
リオは右目を薄く開けながら、冷ややかな顔をしているレイラを見た。
「もう、戻らないわ。そうね‥‥あなた、さっき言ったわね」
レイラはリオから視線を外し、ハトネを見る。
「カシル様が私を惑わしたって。それは違うわ」
レイラはため息を吐き、
「私は私の意思でカシル様と共にいるの。カシル様が喜んで下さるのなら‥‥あなた達を殺すことだってできるわ。今みたいに、平気で傷つけることだってできる」
レイラはリオの目の位置に合わせるように、短剣をちらつかせた。
その姿に、リオはゾッとする。
右目から、血が流れ出て止まらない。
いや、涙なのかもしれない。
どうしてこんなに変わり果ててしまったのか。
どうしてこんなことになってしまったのか。
「これが‥‥君の意思なのか」
リオは右目を押さえた。
二人の道が、完璧に狂い、別れた瞬間だった。