最悪な物語
笑い声が聞こえた。
文句を言うような声が聞こえた。
懐かしく、だが‥‥遠い遠い、声。
「なんだ、元気そうじゃないか」
ああ、元気というわけじゃないけど、まあ、元気だよ。
「それに、幸せそうだな」
そうかもね。やっと、幸せを手に入れたのかもしれない。望んだことはなかったけどね。
「望んでなくても、遅すぎるだろ」
‥‥そうだな。今更だ。遅すぎた。
「手放すなよ」
ああ。なあ‥‥
「なんだ?」
君はーー今はどうなんだ?今となったら‥‥僕を恨んでいるか?僕を見過ごしたことを、悔やんでいるか?
「あの時と変わらない。変わらないさ」
‥‥そうか。
「ああ、だから兄さん、あんたはそのまま幸せでいたらいい。俺達の分まで‥‥この時代に残った、懐かしい人達と共に‥‥」
‥‥僕を、兄と呼ぶのか。はは‥‥どうして、君だったんだろうね。
「ーークレスルド!!」
「ーーっ!?」
耳元に大声が響く。名前を呼ばれ、クレスルドは慌てて目を開けた。
日溜まりの中、木の幹に凭れて眠ってしまっていたようだ。
「お前、珍しく寝すぎだろー」
すると、名前を呼んだ人物、レムズが笑いながら言ってきて、
「‥‥ああ、レムズ君。そうか、夢か」
クレスルドは小さく息を吐く。
旅の途中、どこかの村に着く前に少し休憩していた。
「夢?そんなぐっすりと‥‥どんな夢だったんだよ」
興味津々に聞いてくるレムズにクレスルドは苦笑し、
「さて、忘れてしまいましたねー」
「なんだよそりゃ!」
二人のそんな声を聞き、
「あ、二人共、起きたんだね」
と、後ろからロファースが歩いて来て言うので、
「レムズ君も寝てたんですか?」
クレスルドが聞けば、
「ああ、つい、あったかくてな」
そう答える。
「レムズさん、寝言でカルトルートさんの名前を呼んでたよ」
ロファースに言われ、「嘘だろ!?」と、レムズは顔を赤くした。
「おやおや、カルトルート君が恋しいんですかー?」
茶化すようにクレスルドが言ってくるので、レムズは必死に否定を始める。そんなレムズの素振りを笑いながら、
「ロファース君もゆっくり休めましたか?」
クレスルドはそう聞き、
「ええ、充分です」
ロファースは頷いた。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「そうだなー」
言いながら、ロファースは先刻、街で買った地図を広げる。七十年前とは違う地名もあって、不思議な気分になった。
「早く行って、謝らなきゃなー!」
レムズの言葉に、それはエルフの長のことだとロファースは頷く。
チェアルは、今のエルフの長はロファースがよく知っている人物だと言っていた。
『俺はそのことも忘れて‥‥彼を村長なんだと最近まで思い込んでいた。また、一緒に会いに行こうぜ。彼に謝りたい。今まで何も言わずに俺をあの人の代わりに見守ってくれた、彼に』
レムズもそう言っていて‥‥
(一体、誰なんだろう)
レムズもクレスルドも、会ってからのお楽しみだと教えてはくれなかった。
クレスルドはレムズの横顔を見つめ、
(チェアル‥‥君がレムズのことを託した彼は、立派に君の願いを守ってくれたね)
レムズと【彼】が、その後どう過ごし、どういった経緯でレムズが旅立ったのかはわからないが、レムズはこうして生きているし、【彼】も無人のエルフの長として生きている。
まあ、今はロナスが住み着いていると言っていたが‥‥
三人は再び、エルフの里を目指した。
レムズと出会い、セルダーが死んだあの地へロファースは思いを馳せる。
青空の下、大きく腕を伸ばし、
「旅をしている間、日記でも書こうかな」
ロファースはそう言った。
「旅の日記?」
レムズに聞かれ、ロファースは頷く。
「アイムやセルダー、皆に伝えたい。俺が生きている今を。そして見つけたい。俺が眠りから目覚め、これから生きていく理由を」
アイムは自分を待っていてくれた。
死んでいった皆は、ロファースにこれからを託した。
これから自分が生きていく理由は、託されたからなのだろうか?
託されたから、眠りから覚めることができたのだろうか?
すると、
「理由、か」
クレスルドが呟いて、
「だったら、僕がここまで生き長らえたことにも何か理由があるのかも‥‥なんて考えてしまうね」
少しだけ、寂しそうな声だった。
「そんなことよりさ!これからを考えようぜ、これからを!俺達のこれからをさ!まずは彼に会いに行く!そこからがスタートだろ!」
仕切り直すように明るくレムズが言って、それにロファースとクレスルドは目を丸くしたが、小さく笑って頷く。
「さて。まだまだ歩きますし、昔話でもしましょうかね」
と、クレスルドが言うので、
「昔話?」
ロファースが尋ねれば、
「【紅の魔術師】と呼ばれた男の昔話を」
そう言ったクレスルドの言葉に当然、ロファースもレムズも驚いて顔を見合わせた。
「どっ、どういった風の吹き回しだよ」
「どうもないですよ」
レムズの言葉に微笑を返してロファースに視線を向け、
「クリュミケールみたいなことを言うのは不満はありますが‥‥まあ、この場合は仕方ない。僕らは親友で、家族みたいなものですからね。そう。何でも打ち明けよう的な」
クレスルドはそう言った。
「家族‥‥」
それに、ロファースはぽかんと口を開けた。
「へへっ。まあ、悪くねーな。じゃあ聞かせてくれよ。噂で聞いた【紅の魔術師】さんとやらの最悪な物語をさ」
レムズの言葉にクレスルドはニコッと笑い、語り出す。
ーー昔々、アシェリア帝国と呼ばれる国がありました。
【紅の魔術師】はその国に属し、世界を敵に回しました。
【フォード王】と【妖精王】を筆頭に、人々は協力していきました。
でも、【紅の魔術師】はそんな絆すらも打ち砕いていきました。
歪んだ望みと歪んだ生き方で多くを苦しめた【紅の魔術師】には弟が居て、その弟は‥‥
これはまた、別の時代の物語。
遠い遠い、忘れられた物語。
【紅の魔術師】がずっとずっと一人で抱えて来た、ザメシアにさえ話していないこともある物語。
そんな過去を、旧き時代を、クレスルドはようやく話せる相手を見つけた。話してもいいと思える相手を見つけた。
妖精王には今さら話せない。彼はラズとして歩き出した。そんな彼の道を、閉ざすわけにはいかない。
だから、彼らに語る。
ロファースとレムズに。
いつか自分がいなくなった時、この二人なら必要な人に伝えてくれるだろう。
(ロファース‥‥レムズ‥‥)
自分を変えてくれた、大事な大事な、親友へ。
この【最悪な物語】を贈る。
これからの、未来の為にーー。