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「なんか、寂しくなったな」
クリュミケールが言い、この場に残ったのは自分とカルトルート、カシルだけだったからだ。
だがそこで、泣き腫らした目をしたフィレアが帰って来た。
「あっ、フィレアさん‥‥レムズは?」
少し困ったようにカルトルートが聞けば、
「えっ、ええ。まだ少し、アイムおばさんの墓にロファースといるって‥‥そっ、それより‥‥」
フィレアが動揺するようにそわそわしているものだから、クリュミケール達は不思議そうに彼女を見る。
「クリュミケール」
「?」
ふと名前を呼ばれたが、それはここに居る誰のものでもなくて。
フィレアの後ろから、二人の人物が現れた。
玄関の扉を閉める前、ふわりと吹く風に金の長い髪が揺れる。
「お帰りなさい‥‥そして‥‥この大地では初めまして。会いたかったわ、クリュミケール」
クリュミケールは彼女を凝視した。
美しい、まるで本物の女神のような女性ーーリオラがそこにいた。
隣には、漆黒の鎧を脱ぎ、旅装束という身軽な衣類に身を包んだシュイアがいて‥‥
クリュミケールは、二人に二年振りに会う。
いや、リオラと生きてこうして会うのは、初めてだ。
クリュミケールは二人を見つめ、まず、リオラに微笑み、
「初めまして、リオラ。やっと会えたなーー世界を救ってくれて、ありがとう」
そう言った。
それしか言葉が浮かばない。
だって、リオラは自分を憎み続けていたのだから。あまり自分と会話をしたくないだろう。
自分からシュイアを、人生を奪った存在ーーリオラにとってクリュミケールはそんな悪なのだ。
だが、リオラは急に涙をぽろぽろと溢し、
「ーーっ‥‥クリュミケール!」
そう声を張り上げてクリュミケールに駆け寄り、力強くクリュミケールを抱き締めた。
思いも寄らない彼女の行動に、この場の誰もが驚く。
リオラの体が小刻みに震えていて、本当に泣いていて‥‥
「どうしたんだい?」
クリュミケールは彼女を抱きしめ返し、彼女の長い髪を優しく撫でながら尋ねた。
「ごめんなさい‥‥ごめんなさい!私、あなたに酷いことをした‥‥酷いことを、たくさん言った!なのに、あなたはこんな私に生きろと言って、人生を委ねてくれた‥‥もう一度、シュイアに出会わせてくれた‥‥!」
思いも寄らない言葉にクリュミケールは目を見開かせ、
「君が謝ることは何もない。悪いのは全部、私だろう?私のせいで君の命は‥‥。それなのに私はのうのうと生きている。君に謝らなければいけないのは私だ」
クリュミケールのその言葉にフィレアが身を乗り出そうとしたが、カシルが制止する。
フィレアは何度もクリュミケールに怒っていた。なんでもかんでも自分が悪いと言い、全てを抱え込んでしまうクリュミケールを。
だって、クリュミケールは悪くないのだから。
「リウスのことも、本当にありがとう」
リオラはリウスの願い通り、彼女をアドルのもとへ連れ帰ってくれた。ようやくそのことにも礼が言えた。
「謝らないで、クリュミケール。あなたと不死鳥‥‥人形の女の子が私を説得してくれた。でも正直、あの時は自分のことしか考えれなかった。なぜ、私だけ不幸なのかって‥‥月日が経ってわかってきた。あなたが私に生きろと訴えてくれたこと‥‥あなたが私を世界に連れ戻してくれたこと‥‥あなたがっ‥‥」
リオラはクリュミケールを抱きしめたまま、すがりつくようにして泣きじゃくる。まるで、幼子のように。
聞きながら、クリュミケールは目を細める。
「あなたが憎かった‥‥でも、私の勝手な感情だった。だってあなたは‥‥あなたは‥‥」
「‥‥」
目の前で自分より大きな女性が泣いていて、言葉を詰まらせてしまって、どうしたものかとちらっとフィレアを見た。フィレアも困ったようにこちらを見ていて肩を竦める。
「リオラ」
そこで、いつの間にかシュイアが二人の側まで来ていて、リオラの肩を優しく掴んだ。
リオラは顔を上げ、クリュミケールから離れる。
「‥‥っ、ごめんなさい。クリュミケール、この二年で言葉をまとめたつもりだった。でも、うまく、言えなくて」
「うん」
「あのね」
「なんだい?」
自分と同じエメラルド色した目が涙をためてこちらを見つめ、
「もう、あなたを憎んでない」
「‥‥そうか」
「眠っている間、ずっとあなたを近くに感じていた。あなたの世界を見ていた。何も憎む必要がなくなった今、あなたの軌跡が、あなたの叫びが、あなたが何を守ってきたのか‥‥私の心に響いた」
リオラはクリュミケールの両手を握り、
「私ね、あなたと家族になりたい」
「‥‥家族?」
クリュミケールは不思議そうにリオラを見つめ、シュイアをちらっと見て、フィレアとカシルに振り向き、
「えっ‥‥私に君の娘になれと?」
思わずそう聞いてしまう。
だって、シュイアとリオラは恋仲で、シュイアはクリュミケールにとって父親みたいなもので‥‥
「ふふっ、違うわよ。だって、みんな家族なんでしょう?ニキータ村では」
「‥‥ああ、なるほどな」
それを聞き、クリュミケールは苦笑した。
「君が、それでいいのなら。私は構わないよ」
「‥‥本当に?」
「ああ‥‥何て言うか、うん」
「ーーっ!」
何がなんなのか、本当にわからない。調子が狂う。
感極まってか、再びリオラが抱きついてきた。
「リオラ」
すると、少し彼女を叱るようにシュイアがもう一度名前を呼ぶ。渋々というようにリオラはクリュミケールから離れた。まだ何か話したいようだ。だが、
「リオラ、俺もよくわからないが‥‥シュイアと話をさせてやってくれないか?」
見かねてカシルが口を挟む。まるでリオラは子供のようにふてくされるが、
「リオラ。私は帰って来た。君もここにいる。また、ゆっくり話そう」
クリュミケールがそう言えば、リオラは大きく頷いた。
◆◆◆◆◆
カシルとフィレアが二人でゆっくり話せるようにと気を遣い、ちらかってはいるがラズの家で話をすることになった。
家具類はまばらであるが設置されている。
クリュミケールとシュイアは向かい合いテーブルを囲んでいた。
「久し振りですね、シュイアさん」
「そうだな」
昔からそうだ。
互いに語ることは少ない。
クリュミケールはシュイアを見つめ、先刻のーー英雄の姿を思い出す。
自分の本当の父親だ。
亡霊だと言うのに、とてもあたたかかった。
何があったのかは知らない。
だが、その父親は自分を、サジャエルを、カルトルートを今でも愛してくれていた。
だが‥‥
「でも、驚きました。リオラ、どうしちゃったんですか?」
クリュミケールが聞くと、
「リオラはこの二年、お前のことをよく話していた。最初は‥‥憎たらしいとか、嫌いだとか」
「はは。それでこそリオラですよ。なのに、なぜ?」
「‥‥リオラが言った通りだ。お前の叫びが届いたんだよ」
「うーん」
いまいち理解し難い。
叫びが届いたと言われても、自分はリオラの意思を変えれたとは思えない。
まあ、リオラの思いは彼女にしかわからないが。
「それで、リオラの体はどうですか?元気そうには見えましたが、でも‥‥」
クリュミケールはあの日のハトネの言葉を思い出す。
『リオラさんは世界を生かしてくれた‥‥でも、やはり【見届ける者】の器である彼女の力は完全じゃないの。今はね、ザメシアの呪縛が解け、リオラさんの半分程の命で世界が保たれている中途半端な状態なの。
寿命と言った方がわかりやすいかな‥‥』
クリュミケールは【見届ける者】の力の使い方がわからなかった。だから、リオラに使わせてしまった。こんな結果になるとも知らずに‥‥
「日に日に、体調は悪くなっている。だが、今日は元気なんだ。たまたまこの国に寄って、たまたまお前がいた‥‥お前のお陰だ」
シュイアは優しい声音で言うが、
『君はたくさんの犠牲の上で生きている幸せ者だと言いたいんですよ』
数日前のクナイの言葉が突き刺さる。
「何も気に病むな。だからフィレアはお前に怒るんだぞ。お前は責任を抱え込もうとする」
「‥‥」
今はもう、この話はよそう。
シュイアの目はそう言っていた。
クリュミケールはしばらく間を置き、決意するように口を開く。
「シュイアさん。実はさっき、私は父親に会ったんです」
クリュミケールが言うと、シュイアは不思議そうな顔をする。
カルトルートのことは伏せ、あの日、ザメシアとの戦いで現れた存在ーーそれが父親だったと話した。
「そうかーー亡霊と言うのは辛いかもしれないが、お前は両親を知れたのだな」
クリュミケールは真っ直ぐにシュイアを見つめ、
「それでも、あなたが私の父であることに変わりはない。私はあなたに育てられた‥‥だから、父さん。これからもあなたが私の父さんです」
そう言って、にっこりと笑う。
シュイアも微笑み、幼き日々のリオを思い出す。
小さい頃はよく自分にくっついてきた。
歳が十を越えた頃は、照れ臭そうにしながらも、いつも隣に居た。
何十年も前、優しい約束をしてくれた。
交わす言葉は少なく、今は共に過ごせなくても、この絆はきっともう壊れない。そう信じている。
「リオ。お前に渡すものがあるんだ」
シュイアはそう言って、荷物の中から古びた本を取り出し、クリュミケールに差し出した。クリュミケールは不思議そうにそれを受け取り、
「救われた世界の物語?」
表紙に書かれた題名を口にする。本を開き、パラパラとページを捲っていき、文章を読みながら目を見開かせる。
「崩れた神の塔の跡地で見つけた。一応、第二の故郷でな。旅の中、リオラと向かった時に‥‥瓦礫の下にあった」
それだけ言ってシュイアは立ち上がり、部屋から出ていく。一人で読めと言うことだろう。
文章には懐かしい場面もあった。懐かしい名前もあった。
ーーサジャエルが昔よく読んでいた本だと言っていた。狂いながらも彼女はこの本を大切に持っていたのだろう。
シェイアード・フライシル達の物語だ。
実際の結末は、シェイアードもルイナも死んでしまう物語だとサジャエルから聞かされたことを思い出す。
リオが介入したことにより、ルイナは死なずに済んだが‥‥
(この本では、ルイナ様も‥‥)
だが、読んでいて違和感を感じる。あり得ないことがあった。あり得ない名前があった。
「どうして‥‥」
一人になった部屋で、思わず声が漏れる。
ルイナ、シェイアード、ナガ、イリス、ハナ‥‥そして『リオ』という少女の名前があったのだ。
金の髪とエメラルド色の目をした、少年のような少女だと‥‥
そして、物語のラストページには、
『ーー世界は救われた。
女王ルイナ、そして仲間であるナガ、イリス、シェイアード‥‥別の世界から訪れたリオの手によって。
この世界に残ることを決めたリオは、大切な仲間達、そして互いに愛しい人と共に末永く幸せに暮らしました』
そんな一文を読み、
『この世界の記憶を選ぶか、現実世界の記憶を選ぶか、選びなさい、リオ』
あの日、サジャエルが言った選択肢。
選びたくても選ぶことの出来なかった未来。
リオがあの時選べなかった未来の一つが、この中にあった。
幸せになれなかったシェイアードとリオ。
それが、物語の中で幸せに暮らしていると言う。
それを思うだけで、クリュミケールは苦しさを感じつつも、不思議なこの出来事に感謝した。
かつては決意を固め、流してあげることの出来なかった涙。
今は、流してやれる。愛しかった人の、人達の、愛した世界の物語の為に。
ーー大切な本だ。
大切な人達の記憶‥‥そしてサジャエルの、母親の形見の本だ。
◆◆◆◆◆
クリュミケールとシュイアはフィレアの家に戻った。
カルトルートとクリュミケールで、シュイアとリオラにレムズ、クナイ、そしてロファースのことを軽く話した。
シュイアはサジャエルの下に居た頃、クナイとは何度か会っていたそうで『真面目そうだが何を考えているか真意はわからない奴』と話す。
「そういえば、ロファースを連れたまま、レムズは戻ってこないな。ラズとクナイも」
クリュミケールが言い、不安そうな顔をしているカルトルートに、
「答えは決まったか?」
そう尋ねた。
ーー答え。カルトルートは一瞬考え、ついさっきのことだなと気づく。
これからカルトルートはどうするかという話だ。
「ううん、まだ。だって、ロファースがどうなるか、だしね」
「私の考えだけどな。たぶん、クナイはロファースが目覚めても目覚めなくても‥‥レムズを連れて行くと思う。レムズはお前を誘うだろうけど、クナイとロファースが居たら、お前はやりづらいよな」
クリュミケールは察するように言い、
「だから、お前がどんな答えを出しても私は協力するよ」
そう言ってやる。
「なんの話なの?」
フィレアに聞かれ、
「カルトルートの今後について、だな」
クリュミケールはそう答えた。
カルトルートはやはり不思議そうにクリュミケールを見上げる。
『レムズと行くなら行く。行かないなら、もう一つの選択肢を用意してるからさ』
どうしてクリュミケールがここまで言ってくれるのかもわからない。
過ごした時間は、短いのに。