空間の渦
ーーエウルドス王国崩壊から??‥‥
薄紫色のマントがなびき、緑色の上着。
髪をひとつに結んだ青年ーー水色の髪で、結んだ部分は金色であった。左頬に古傷がある。
水色の大きな瞳が印象的だ。
その青年は、金の髪が印象的な、まだ小さな小さな、五つぐらいの歳であろうか。
眠り続ける少女を慈しむように見つめていた。
「もうすぐ、お別れだな」
青年は小さく呟く。
「リオ。強く‥‥育つんだよ。そして、優しく有れ。いつか大きくなったら、彼女のことを止めておくれ。そしてどうか、彼女を憎まないでおくれ」
青年は金の髪を優しく撫でた。
「眠り死んでいる少年を救ってやってくれ。紅の魔術師に出会い、初めての約束をどうか守るんだ。そして、あの子に、護れなかった大切な息子にも‥‥出会ってほしい。何もかも押し付けてごめんな‥‥オレも彼女も、親らしいことをしてやれなくて‥‥ごめんな‥‥」
震える青年の声を遮るように、真っ白な空間がピシピシと音を立て始めた。
「とうとう彼女がここを見つけてしまった。もうオレはお前を護ってやれない。‥‥リオ、君にはこれから、様々な苦しみが待ち受けているかもしれない。お前には関係のない過去のせいで‥‥辛い目に合うかもしれない。でも、リオ、いつかきっと、幸せを手に入れておくれ。道のりは遠いかもしれない、それでも。どうか世界よ、この子を愛してくれる存在が居る世界に‥‥」
ーー過去の因縁を絶ち切り、君がいつか、本当に幸せな笑顔で笑えるように‥‥
最後に青年は、力強く小さな手を握る。
「リオ、そして息子よ。そして、サジャエル‥‥オレは君たちを愛しているよ。これからも見守っているから。さあ、行っておいで、リオ。君の人生の始まりへ‥‥絶望が待つかもしれない、それでも光の先を目指せる世界へ」
青年の姿はその場から消え去った。残されたのは眠るリオただ一人。
同時に空間が割れるような音が激しくなって、真っ白な空間に色が見えてきた。
それは、世界。
空間の渦が世界と繋がったのだ。もはや、リオを護るものは何もない。
「やっと、見つけた。けれど何処?存在を感じるというのに、引き寄せたはずなのに‥‥何処にいるのです、器よ、リオラの器よ‥‥」
深い森の中、サジャエルは言った。
ーーリオラ。
数十年前に死んでしまった女神。
今は水晶の中で肉体を保存し続けている。
そのリオラを生かす為に、サジャエルは器を待っていた。
世界を壊す【神】を待っていた。
『リオラには、彼女によく似た器がいます。あなたが以前出会った‥‥リオラにそっくりな人を覚えていますか?』
『お姉、ちゃん‥‥?』
『そう。その人は、リオラの細胞を与えられ、リオラの力を持った少女。彼女がリオラの力を奪っています。彼女がいるからリオラは苦しんで来たのです。女神は二人も要らないのですから‥‥放っておけばあの少女が女神になり、リオラは永遠に喪われるでしょう』
ーーあの日、嘘が始まった。
いや、サジャエルにはもはやそれが嘘か真実かもわからなくなっている。
深い深い憎悪が渦巻くその心では‥‥何もわかるわけがない。
ずっとずっと、感じていたのだ、何処かの空間で、自分やリオラに良く似た何者かが居ることを。
捜して捜して、ようやく見つけた。
どれくらいの時が経ったかはわからないが、ようやく‥‥
「さあ、何処に居るのですか、器よ‥‥」
サジャエルはくすりと笑い、木の幹の裏側を覗いた。
するとそこには、五歳程の子供が眠っていた。
その子供を見てサジャエルは目を細める。
(美しい金の髪‥‥器なのに、まるで女神の様ですね)
そう、思った。
「あなたが器。リオラによく似ていますね‥‥うっ!!」
サジャエルは急に頭を抱える。
似たような光景が、頭の中に広がった。
ーーどこかの森の景色。
そこにはサジャエルが立っていた。
木の幹に籠が置かれ、その中には赤ん坊がいて、
『可哀想に‥‥捨て子ですか。でも‥‥ちょうど良い。あなたに祝福の名を与えましょう。リオ‥‥いいえ、【リオラ】。かつて失われた神の名です』
サジャエルは赤子を抱き上げ、森から姿を消す。
リオラと名付けられた赤子は、水色の液体に浸されている。その液体に、サジャエルは少量の血を注いだ。
『ふふ。この血の持ち主は本当に愚かでした。リオラ‥‥あなたはあの愚かな女神を越えた本当の女神になるのです。私の考えが理解出来ないあんな未来の女神など必要ないのだから』
◆◆◆◆◆
「‥‥っ!」
サジャエルは我に返る。
「リオ、ラ?愚かな、女神‥‥器‥‥未来」
ぶつぶつと、焦点の合わない目をちらつかせ、
「あ‥‥ふふ、ははは」
奇妙に笑い出せば、
「そう、でしたね。あなたは、そう。私が作り出した器。ずっとずっと、塔の中に閉じ込めていた器。リオラの細胞を埋め込み、自我を失くした人形」
目の前で眠る子供を見て嘲笑う。
ーーその日、嘘は確信に変わった。
狂った女神はそれを真実だと捉える。
目の前の幼子が、自分の実の娘だと理解できずに。
「さあ、器よ。出会いなさい、シュイアに。そして、憎まれなさい。シュイアはもう、あなたではなくリオラを愛しているのだから!」
森に、女神の高笑いがこだました。
◆◆◆◆◆
ほぎゃあ、ほぎゃあっーー‥‥
『‥‥女の子が産まれたのね』
『ええ‥‥名前は決まっているわ。名前は‥‥リオよ。あの人がくれた、物語の主人公の名前よ。私の可愛い娘。さあ、どうかたくさんの笑顔を私に見せて下さい」
ーー‥‥女神は狂った。
全ての記憶を嘘で埋め尽くし、大切な存在すら忘れて。
『とても懐かしい‥‥遥か遠い昔のことを思い出します‥‥』
いつかの時代で彼女が紡ぐこの言葉、それはいつの日を思い出してのことなのか。
狂った彼女の真相は、誰にもわからない。
◆◆◆◆◆
ーー森の中で倒れていた少女はうっすらと目を開け、その目に映したのは‥‥青に映える、黒。
それは、青い空の下、黒い髪、黒い鎧に身を包んだ青年の姿であった。
「無事か‥‥名は、わかるか?」
青年はそう問い掛けてきたが、少女は首を横に振る。
名前?
自分は誰?
この人は誰?
ここはどこ?
倒れたままの少女は視線を落とす。
「思い‥‥出せない?記憶が‥‥ないか?」
察したのか、青年が言った。
「私はシュイアだ。カシルという男を追って旅をしている。危険な旅かもしれないが‥‥」
青年、シュイアはリオに手を差し出し、
「来るか?」
無知だった少女はこくりと頷いた。
「行こうか、リオ」
「‥‥リオ?」
青年が名を呼んだので、聞き返す。
「‥‥お前の名前だ」
‘リオ’
それは誰なのか。
シュイアがくれた名前なのか。
それとも違う誰かの名前なのか。
もしくは、本当に自分の名前なのか‥‥
それはわからなかったが、少女ーー‘リオ’はあっさりその名を受け入れた。
そして、サジャエルの計らいにより偶然少女を見つけたシュイアは理解した。
一目見た瞬間、分かった。
この子供こそが、サジャエルが言っていた‘リオラ’の器だと。
理由はわからないが、かつて出会った大切な人‥‥『お姉ちゃん』なんだと。
だが、遅すぎた。あれからもう、随分と年月は過ぎてしまった。
だから、決めた。
この子が愛しい女性を苦しめる存在ならば‥‥憎み切ってやろうと。
たとえ、愛していても、それでも‥‥遅すぎたから。
【これはまた、別の時代の物語の始まり】