2
レムズと出会ったのは九年前ーー僕が十三歳の頃だ。
僕は孤児だった。
どこかの森で捨てられていた赤ん坊だった僕を、通り掛かった村人が拾ったんだ。
その村はフォード大陸の北西にあるラミチスと言う村。
小さい村だけど、身寄りのない子供が集う場があってね、僕はそこに引き取られた、名前を与えられた。
なぜ、自分は捨てられていたのか‥‥いや、捨てられたかどうかはわからない。
両親の顔も何も、知らないのだから。
それから僕は十三年間そこで過ごした。共に育った子供達と、面倒を見てくれている村人と共に。
そんなある日だ。
ある日、一人の旅人がラミチスを訪れた。
深くフードを被って、顔もすっぽり隠した男だ。
それが、レムズだった。
あの時もレムズは『綺麗な場所』を探して村や国を転々としていたのだろう。
じっくりと、ラミチスを見ていたよ。
すると、誰だったか記憶は曖昧だけど‥‥
僕らの中の誰かーー子供がふざけてレムズのフードを取ってしまったんだ。そして現れた。
エルフと魚人の、ハーフの姿が。
僕も子供達も、その姿を見てもよくわからず、首を傾げるだけだった。
だが、大人達の反応は違った。
最初に、女性の悲鳴。
次に村人数人のざわめき。
次に野次馬。
次に畏怖と差別の目。
次に、偏見の言葉たち。
あの頃の僕にはそれらがわからなかった。その意味がわからなかった。
何も‥‥知らなかったんだ。
それら全てを向けられた旅人レムズは‥‥何も言わずにただ、村を去って行った。
僕はなぜか、そんな彼を追い掛けたんだ。
「お兄さん!お兄さんはなんなの?」
子供だった僕は好奇心からそんな質問をしてしまった。レムズに厄介払いされたけど、何度も何度も聞いた。
そしたらレムズが折れて、ハーフの話を聞かされた。
人は、自分と違う存在を忌み嫌うのだと。
僕にはそれがわからなかった。
なぜ嫌う必要があるのか。
僕はその時に感じた。
今まで世話になって来たラミチスの大人達が気持ち悪くなった。
彼らは僕たち子供に優しさを振り撒いてくれていた。
だが、ハーフである旅人に、あんな態度を見せた。
あの優しさが全て嘘のように思えて、僕は全てを疑った。
ーー逆に、目の前の旅人は【真実】に見えた。偽りのない姿に見えた。
「お兄さんは、なぜ旅をしているの?」
僕の質問にレムズは困ったような様子を見せるも、
「綺麗な場所を、探している。亡き友の‥‥ために」
それを聞いた僕はーー‥‥全く意味がわからなかった。けれども、興味が湧いた。
一緒に行きたいと僕は言ったんだ。
綺麗な場所を、僕も見てみたい!
旅を‥‥してみたい!
当然レムズは困惑していた。だけど、僕はもうラミチス村のことなんて一切頭になかったんだ。
何度もレムズに頼んだ。
ようやくレムズが諦めて、首を縦に振ってくれて‥‥そうして僕らは旅仲間になったんだ。
僕はその日、名前を棄てた。ラミチスで与えられた名前を棄てた。
なんて名前だったかは、もう忘れてしまった。
いろいろ考えて、僕は頭の中に浮かんだ名前を名乗ることにしたんだ、カルトルートって名前を。
ーーそこまで話し終え、カルトルートはクリュミケールの顔を見る。
クリュミケールは目を丸くしていて、
「なんか、カルトルートって好奇心旺盛だったんだな」
と、意外そうに言われて、
「思い返したら自分でもそう思うよ。ただ、ラミチス村にずっと居て、あの頃の僕にはレムズが新しい世界に見えたんだと思う」
カルトルートは小さく笑い、
「九年間、一緒に旅をして来てさ‥‥何度も何度も、レムズは人間達に差別の眼差しや言葉を投げ掛けられていたよ。でも、レムズは強かった。挫けなかった」
自分のことのようにそう話す。
「かつての友達と‥‥カルトルート君。君がレムズ君を認めてくれているから。それがレムズ君の支えになったのでしょうね」
クナイは言った。カルトルートは照れ臭そうに苦笑いする。
「九年前か。フォード国建て直しを始めた時期だったな‥‥そうか、その頃に‥‥」
クリュミケールはそう思い返し、
「そういえば、カルーも孤児‥‥だったんだな。それに、森で、か。私もだからさ‥‥なんか奇遇だよな。私もリオラも森の中で捨てられてた」
クリュミケールは苦笑する。
「ただ‥‥まだいまいち、私はシュイアさんに出会う六年間、何をしていたのか‥‥本当にサジャエルが私を森の中に捨ててシュイアさんと出会わせたのか‥‥そこが曖昧なんだよな。もう確かめる術もないし」
以前、サジャエルはこう言っていた。
『とある日、私は一人の赤ん坊を拾いました。それがあなたです。女神【見届ける者】を失った私は考えました。私はその赤ん坊に【見届ける者】の細胞を埋め込んだのです。細胞を埋め込まれたあなたは自我を失くし、私の元で人形のように数年間過ごしました。そしてあなたを世界に放った。シュイアの元に。そして頃合いを見て、再びあなたの前に現れたのです』
だが、これは途中まではリオラのことだったのだ。記憶が狂ってしまったサジャエルの滅茶苦茶になった記憶の話。
でも、森の中でリオとシュイアを出会わせたのは、確実にサジャエルのはず。
じゃあ、自分はその間、どこにいたのだろう?
サジャエルが自分の母親だとしても‥‥色々と時間の辻褄も合わない気がするなとクリュミケールは眉間にシワを寄せる。
「そっか‥‥実際、サジャエルの元に居たのはリオラさんだったんだよね。確かに謎だよね‥‥」
カルトルートはちらっとクナイを見た。彼なら何か知っているのではないかと思ったからだ。
しかし、この話題は続かなかった。
クナイが答えるはずもなく、しばらく三人はただただファイス国へと足を進める。
ファイス国へは三、四日‥‥夜通し歩き続ければ二日でつくだろうが、そういうわけにはいかない。
クリュミケールはのどかな景色を見つめながら、
(本当に、世界は平和になった。こんなに歩いても、魔物はいない。戦いのない世界)
魔術だとか神だとか‥‥二年前までのあの日々が夢だったように今では思える。
(あなたはどう思う?)
心の中で問い掛けて、クリュミケールは苦笑した。未だに不死鳥に語り掛けていた癖が抜けなくて、時折‥‥もう居はしないのに語り掛けてしまう自分がいて‥‥
全てが動き出したあの時代から十四年。
そして、今からは何が始まるのか‥‥
ーーアズナル村を越え、港町シックライアについた頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。
一行はシックライアで宿をとり、今日はもう休むことにした。
(仕方ないが‥‥カルトルート、不安なんだろうな)
クリュミケールは思う。
彼は一刻も早くレムズを助けたいのであろう。ここで立ち止まり、休むことを少しだけ拒む素振りを見せたが、夜通し歩き続ければ彼の体はもたない。
クリュミケールがそれを気にして軽く説得すれば、なんとかカルトルートは頷いてくれた。
クリュミケール自身もよく、一人で無茶をして来たからわかる。
(昔は一人で行動しては、皆を心配させてしまったからな‥‥だから、友達の為に焦る気持ちは、私もよくわかるよ)
‥‥夜風が冷たい。
宿の外にあるテラスの椅子に一人腰掛けて、夜の海を見つめていた。
こうして平穏に過ごしていると、闇を感じてしまう。罪悪感のような、闇を。
すると、背後から静かな足音が聞こえて来て‥‥
振り向くと、クナイがこちらに歩いてきて、何も言わずにテラスまで進み、クリュミケールの前の席に座る。
「寝ないのか?そのフード、夜ぐらい取ったらどうだ?」
ずっとフードを被って顔を見せないままの男に言うも、
「君は幸せですね」
なんて、いきなり言われて。クリュミケールは目を丸くした。
「君は女神なのに生きている。創造神も他の神も死んだ。そしてリオラに全てを押し付けて‥‥」
「何が言いたい?」
クリュミケールは真っ直ぐに彼を見る。
「君はたくさんの犠牲の上で生きている幸せ者だと言いたいんですよ」
そう言われて、
「自分が幸せ者かどうかはわからない。でも、たくさんの犠牲の上で生きている‥‥それは、その通りだと思う」
シェイアードはクリュミケールを行かせる為にロナスとクナイの足止めをして、致命傷を負った。
世界の平和の為とは言え、自分達は神々の命を消した。自分も消えるつもりだったのに、なぜか生きている‥‥
不死鳥も、イラホーも、サジャエルも、ハトネも消えたのに。
そして【見届ける者】としての代償は自分ではなく、最初に呪文を唱えたリオラが負ってしまっていた‥‥
「私が‥‥死ぬつもりだったのにな」
ぽつりと、クリュミケールは言う。
「お前はどうなんだ?そんなことを聞いてくるお前は、幸せ者ではないのか?」
そう問いを返すも、
「クリュミケール。君は、レイラが好きでしたね」
「は?」
「ハトネは君のことが好きでしたね」
「は?」
先程から質問に答えず、妙な話を振ってくるクナイを訝しげに見れば、
「それは紛れもない恋でしたよね」
「恋って‥‥女‥‥」
「じゃあ、ハトネの君への愛はただの友達としてですか?彼女の愛は、大きかったはず。度が過ぎるほどに」
クナイの言葉にクリュミケールは押し黙る。
「君は必死だった。レイラの為に、レイラの為に‥‥と。君はレイラに恋をしかけていた。けれども君はその後でシェイアードに出会い、彼に本当の恋をした。だから、レイラへの想いは友としての想いに成った」
クナイは一息吐き、
「僕の言っている意味がわかりますか?」
そう聞かれても、クリュミケールは首を横に振るしか出来なかった。
「神は恋をする性別なんて関係ないんですよ。男でも女でも、愛を注げる。性別じゃない。心を愛するから」
「心を?」
「ハトネは君の何が好きでしたか?」
「何って‥‥」
クリュミケールはハトネのたくさんの言葉を思い出す。
ハトネは外見が好きだとは言っていなかった。
リオだとかクリュミケールだとかじゃなく、個人として自分を見てくれていて。
何度、彼女は自分の為に涙を流してくれていただろうか?
何度も何度も『好き』だとか『大好き』だと言うあの言葉を、彼女はどんな想いで自分に伝えていたのだろうか?
そんなに深く、考えていなかった。ハトネは大切な友だったから。
だけど彼女は‥‥たくさんの言葉を、想いをくれていたのだ。
「僕にもね、神の血が流れているんですよ」
クナイがそんなことを言い出すものだから、
「冗談だろう?神だったら‥‥あの時に消滅しているはずじゃないか。まあ、私も例外だけど‥‥」
「人口的に身体に流した血液ですから、本物の神ではないんです。けれどもその血によって、僕は高い魔力と、先ほど言った神の特徴を受け継いでしまったんですよ」
「人口的って‥‥リオラみたいな?」
リオラはサジャエルによってクリュミケールの細胞を埋め込まれて神に近づいた。
クナイの話はそれに似ている気がして‥‥
「いきなりそんな話をするってことは、お前も女性だけでなく、男も好きになったりするってことか?まさか‥‥レムズ‥‥」
「レムズ君は友達です」
「じゃあ、ロファース君?」
「大事な友達です」
「‥‥」
じゃあなんでそんな話をしたんだとクリュミケールは目を細めた。
「そんな君は、今は誰が好きなんですか?シュイアかカシルか」
クナイに聞かれて、
「‥‥待て。なんでその二人が」
「だって、君の幼い頃の淡い初恋はシュイアでしょう?で、カシルは君に想いを伝えた。君にとって二人は特別なはずです」
「え、なんでそんなこと知って‥‥」
「別にいいじゃないですか。それで?結局どっちが‥‥むしろやはりまだ、シェイアードが一番ですかねー?」
「教えません」
と、クリュミケールはぷいっと顔を逸らす。そして、
「‥‥話を戻すけど、私は幸せかどうかはわからない。あの日々は本当に必死で、大切な人達を守りたくて、最後には、死ぬつもりだったから。たくさんたくさん、消えない後悔がある。忘れてはならないことがある」
それから目を細めて、
「でも、フィレアさんがこの前言ったんだ。『あなたは誰かの為にばかり生きて、自分の為に生きていなかった。他人には幸せを与えて、自分の幸せは掴めていなかった。だから今度こそ、自分の為に生きなさい、幸せになりなさい』って。正直、どうしたらいいか今でもわからない。だから‥‥そういう恋って言うのかな。そういう幸せは‥‥望まない。でも、違う意味で、幸せになってみようと思う。アドルが‥‥家族が居る、あのニキータ村で」
それまで静かに話を聞いていたクナイは小さく笑い、
「僕は君が嫌いですから、君がどんな形であれ幸せになるのは微妙な気分ですけどね」
なんて言ってきて、なぜこんなに嫌われているのか。
クリュミケールは理由がわからず、聞き返せばまた嫌味や皮肉が返ってきそうだからやめておいた。
クリュミケールは椅子から立ち上がり、冷えて来た頃だし、宿に戻って休もうと思った時に、
「まあ‥‥同じかもしれません。僕も幸せは望みません。ただ‥‥大切な友達を救いたい。彼の幸せを願いたい。それだけです」
大切な友達と彼。
大切な友達はロファースとレムズのことだろう。彼が誰なのかはわからない。
クリュミケールはクナイに背を向けて宿へ向かう。
表情はわからないが、少しだけクナイが寂しそうな顔をしているのではないかと感じた。
ーー‥‥遅い時刻の為、宿は一室しかとれなかった。クリュミケールが部屋に戻ると、疲れていたのであろう、カルトルートはぐっすり眠っている。
今のカルトルートは昔の自分に似ている気がすると感じてしまう。無茶をしないように見守らないとなと思う。
(そういえば、クナイ‥‥本当になんでも知ってるな。まるであの日々を見ていたような話しぶり‥‥まあ、サジャエルと組んでたんだから情報はどこからでも手に入るか)
やれやれと息を吐き、目を閉じた…