僕が傷つけたのに君が許したこと


ーーカラン、と。
ナイフが床に落ちた。
何があっても、どんな時でも強さを見せてくれた彼が、今は力なく、ぐったりと隻腕の青年に凭れ掛かるようにして動かない。
システルは涙を堪えるように、唇をきゅっと噛み締めた。

とうとう、皆いなくなってしまった。
ロスも、シャイも、ヴァニシュも、ディエも。

あの日、友とも仲間とも言えなかった、共に過ごした人達。それでも、数ヵ月の間、五人で過ごした日々。

ロスもヴァニシュもディエも、他の誰かの為に死んでしまった。
シャイは、自分の願いの為に動き、でも、叶わないまま逝ってしまった。

(なんで‥‥どうして私なんかが残っちゃったの。私は‥‥皆みたいに、誰かの為にも、自分の為にも生きれないのに。誰かに任せてばかりの生き方をしていたのに)

システルはクルエリティの背中を見つめる。
彼は、ゆっくりとディエの体を地面に横たわらせ、ゆっくりと立ち上がった。彼はシステルに背を向けたまま、

「ふ‥‥はは、ははは。あはは‥‥」

と、そんな乾いた笑い声を上げる。

「僕はただ‥‥幸せに、生きたかっただけなのに」

ぽつりとそう言い、

「どうして僕は幸せになれなかったんだろう。僕を‥‥僕をようやく見てくれた人がいたのに、死んじゃった‥‥」

くるりと、システルの方に顔を向けて、

「おとうさんが‥‥死んじゃったよぉ‥‥」

向けられたその顔は、涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。

「囚人も、フェイスお姉ちゃんも、口だけだった。誰一人、結局、僕の傍には居なかった。でも、この人は‥‥僕が生きていて良かったと‥‥僕が生きていることで救われたって言ってくれた。囚人も、同じことを言ったよ?でも、でもね」

彼は左手で自身の右肩をギュッと握り締め、

「囚人が僕を心配してくれたのは知ってるし、捜してくれたことも、救おうとしてくれたことも、家族だと思ってくれてたのもわかってる‥‥でも‥‥」

右肩から手を離し、床に落ちた自身のナイフを拾い上げて、

「お前の顔を見てると気分が悪いんだよぉぉおーーーー!!!!」

そう、涙に濡れた顔のまま、しかし血相を変えてシステルに飛び掛かって来る。ディエが言った通りだった。
システルはキョロキョロと辺りを見回し、ディエが横たわっている傍らに、彼のナイフが落ちていることに気付く。クルエリティから逃げながら、彼女はそれを拾い上げ、ここまで駆け上がって来た階段の方へ走った。

「何?逃げるのかい?ははっ。でもそんな動きじゃあ時間の問題だねぇ?!」

嘲笑うかのように言いながら、クルエリティもこちらに走って来る。

(‥‥っ)

システルはクルエリティからなんとか距離を離しながら必死に走り、信じられないと言うような顔をしていた。
ほんの一瞬だけ、頭の中に声が響いたのだーー下に向かえ、と。
そんな、よく知った‥‥ロスの声が。

(ロス‥‥ロスなのね!ミモリさんじゃないわ、これは、ロスの声ーー!!下に何があるのかはわからない‥‥けど、ロス。あなたは‥‥ここに居なくても、私を見守ってくれているのね‥‥)

それを感じ、涙を溢しながらもシステルは階段を駆け降りる。
後ろから同じように階段を駆け降りる足音が聞こえて、システルは振り返らずに、前だけを見て必死に走った。
しかし、ぐいっーーと、服の襟元を後ろから引っ張られ、システルの体は階段の途中にドンッと叩き付けられる。

「いっ‥‥!」

頭を打ち付け、くらくらと視界が歪んだ。ぼんやりと、眼前に紫が映る。

「はぁ‥‥はあっ‥‥そこをっ、退いてちょうだい‥‥!」

走り続けて荒くなった息のまま、システルはそう言った。
左手に持ったナイフを今にもシステルに突き刺そうと振り上げたクルエリティが、馬乗りになって彼女の前に居たのだ。

「ははっ。お前のことは別にどうでもいいんだけど、囚人の妹だ。だから殺すよ」
「‥‥妹だから?関係ないわ、そんなの。私はあの人の妹なんかじゃないーー!!」
「はぁ?妹だろ、本物の!」

システルはカッと激怒するかのように顔を真っ赤にして、先程拾っていたディエのナイフをクルエリティに向けて横殴りに振る。
彼はそれを避け、システルの体から離れた。

「あなただけじゃないわ!私だって、あの人に捨てられた!!私と彼は本当の家族よ?でもあの人は‥‥私じゃなくて、違う家族を選んだ!私のことを、他人に押し付けてーー!!」

そう叫び、システルはボロボロと涙を溢す。

「あの時だって、そう!両親が殺された日も、あの人は家出して‥‥肝心な時に居てくれなかった‥‥真っ赤よ?真っ赤な生温い液体が、私を取り囲んだの。どうしたらいいか、わからなかった‥‥わからなくて、私は‥‥頭の中が真っ白になって、何もかもどうでもよくなっちゃった」

それに、クルエリティは目を見開かせる。泣いているはずの目の前の少女は、奇妙な笑みを浮かべたのだ。

「両親が殺された家から出た私のことを、皆、ニコニコ笑って見ていたわ。なんで笑っていたのかなんて知らない。両親の血にまみれた私の体を見て、皆、笑ってた‥‥だから、私は知ったの。私は、守られて生きていたんだなって。外の異常さなんか知らず、守られて生きていたんだって。だって、笑顔って‥‥幸せな時に浮かべるものだと思ってたから。だから、私は毎日毎日、笑ってたのに‥‥」

だから、皆、あんな時でも笑ってたから。自分も笑うことにしたんだ、どんな時でもーーと。システルはそんなことを口走る。

「今思えば‥‥笑うことが当たり前なんだろうなって、あの時に植え付けられていたんだと思う。不幸なことが私に起きたのに、周りは皆、笑ってたから‥‥だから、ディエさん。あなたのお父さん。彼を初めて見た時、楽しそうに赤にまみれる姿を見た時‥‥私は安堵したの。ああ、私は‥‥おかしくないって。私は、まともなんだって」

次に、システルは顔に浮かべていた笑みを消し、真剣な表情でクルエリティを見つめ、

「でも、皆、足掻いて生きていた。色んな苦しみから、逃げるように。異常に逃げていた。私も、ディエさんも‥‥そして、あなたも。でも、私達は変われたわ。周りの手助けがあったから。だからクルエリティーーあなただって変われるわ‥‥いいえ」

システルは首を横に振り、

「あなたは、ミモリさんと私の兄のせいでこんなことになってしまっているのよね。だから、変わるんじゃなくて‥‥本当のあなたを見つけましょう」

そう言って、彼に手を差し出した。それを見たクルエリティはおかしそうに笑い、

「ははっ!?囚人に捨てられたとか言うけどさ、そんなの僕と全然違うだろ?僕の方が」
「不幸だと言いたいの?」

ピシャリと、システルは言う。

「私はあなたが羨ましいわ。だって、あなたは本物の家族に抱き締められた。本物の家族に必要とされたじゃない。私には、見えるわ。あの場面にヴァニシュがいたら‥‥彼女も、あなたを喜んで受け入れてくれたって」

そんな想像を容易にして、思わずシステルは微笑んだ。それから、寂しそうに笑い、

「‥‥私は結局、抱き締めてももらえなかった。目の前で、あの人‥‥シャイさんのことは抱き締めたのにね。シャイさんのこと、好きだったのかな?」

そう、囚人のことを口にする。

「あなたが不幸だったのは事実よ。囚人の妹として、ミモリの妹として‥‥謝らせてちょうだい。本当に、本当にごめんなさい」

システルは真摯にクルエリティの目を見つめ、静かに頭を下げた。そうして顔を上げて、

「でもね。本当はもう、わかっているんでしょう?あなたはね、決して、不幸なんかじゃないわ、クルエリティ‥‥囚人も、フェイス達も、ミモリさんも‥‥あなたを想っていたのは事実よ。それが、形に成らなかっただけ。だからーー」
「ーーるさいっ!!!!!」

キンッーーと、張り裂けんばかりの声をクルエリティは絞り出す。

「だったら‥‥だったら誰が僕を幸せにしてくれるんだよぉ?もう、もう誰も居ないのに‥‥嫌だ、嫌だよ。こんなに寂しいのに。こんなに寂しいまま‥‥死にたくないよぉ‥‥」

再び、子供のような言葉を吐き出し、クルエリティはガタガタと震え出した。システルはそんな彼に手を伸ばそうとしたが‥‥

「クッティーー!!!!」

後ろから、彼の名を呼ぶ声が響く。

「‥‥マー、シー?」

クルエリティは目を見開かせ、自分が殺そうとした少女の姿を捉えた。ここまで走ってきたのであろう、顔を真っ赤にしたマーシーは息を整えながらゆっくりとクルエリティの方に近付き、

「くっ、来るな!!!お前は死ぬんだ、もうすぐ死ぬんだぞ!!?」
「知ってるよ!そんなこと!!」

マーシーはそう言い返し、にっこりと笑ったまま、クルエリティの胸に飛び込んだ。

「ちがうでしょ?クッティは寂しくなんかないでしょ。あたしがいるよ。あたしとクッティは、友達だから」
「違う‥‥違う!!!」
「ちがわないよ、クッティ。もう、にげなくていいんだよ。言ったでしょ?あたしが死んだらクッティがひとりぼっちになっちゃうから‥‥だからあたし、元気になるって。ほら、まだ、元気だよ、あたし」

ガタガタと、左手に握ったナイフをクルエリティはゆっくりと持ち上げ、マーシーの背筋に当てている。しかし、システルは動かずにその光景を見ていた。
もし、奇跡があるのならーー突如現れたこの少女に託してみたいと。

「聞いて、クッティ。どんなにつらくても、いつかゆきどけはくる。どんなにわるいひとでも、そのいのちをうばうのはまちがっている。いきていれば、しあわせがいつかくる、えがおになれるひがくる。あきらめなかったからーーあたし達はまだ、生きてるんだよ、クッティ」
「‥‥」
「友達を助ける為に、あたし、ここまで来たの。クッティが、苦しんでいる、泣いているような気がしたから‥‥へへっ、正解だったね」

ぽた‥‥と。マーシーの頬に温かい滴が落ちてきた。
ぽた、ぽたぽた。
止まることなく、雨のように降り注いでくる。

「あたしね、コアって友達が出来たよ。後でクッティにも紹介してあげる。リフェ先生も‥‥外で待ってるんだよ、あたし、元気にならなきゃだから、まだまだ先生に診てもらわないと」
「‥‥馬鹿だなぁ、マーシー。もう、間に合わないよ。もう、君は死ぬんだ。本当に馬鹿だ。騙されてるとも知らないで‥‥はは、ははは」
「バカはクッティだよ。だってあたし、ぜーんぶ知ってたもん。でも、あたし怒ってないよ!クッティは何も、信じられなかったんだよね」

それを聞き、クルエリティはカランと、握っていたナイフを落としてしまう。

「は‥‥?知っていた、だって?知ってて、僕と居たのか?君は‥‥」

動揺するクルエリティの声に頷き、

「だから、ねえクッティ、聞いて」

マーシーはクルエリティの胸に顔を埋め、

「あたし達は、同じだよ。誰にも愛されなくて、優しい言葉をもらえなくて、毎日毎日、痛みをがまんする日々。でもね、クッティ。おばけ達は、クッティを愛してた。だって、顔のない女の子や囚人が、クッティの手を引いてくれたんでしょ?あたしは‥‥なかった。誰かに手を握ってもらえるなんて‥‥されたことがなかった。だから、あたしはクッティが羨ましい‥‥」
「‥‥!!」

それを聞き、クルエリティは体を揺らした。
なぜなら、マーシーの言葉を否定し続けて来たから。
クルエリティにはマーシーの姿が薄れて見える。だって、マーシーは正常に近い異常者だから。
だからこそ、同じ境遇だと言うのに、異常に堕ちきっていないマーシーは【幸せ】なんだと、クルエリティは思い続けていたから。

「クッティ‥‥あたしにはね。この人生の中で、クッティとコアしか‥‥友達が、いなかったんだよ」

少女は、泣いているのだろうか。弱々しい声でそう言った。
それから、数秒経っただろうか。クルエリティもマーシーも、何も言わなくて。
それを見ていたシステルは気付いてしまった。

だらん‥‥と。クルエリティを抱き締めていた少女の腕が、ぶらぶらと力なく揺れていることに。
システルは思わず目を逸らし、静かに泣いた。

クルエリティはずるっと、壁に凭れながらその場に腰を下ろし、ようやく小さな少女の体を抱き締める。
本当は、自分よりも【不幸】だった小さな少女の体を‥‥
彼は乾いた笑みを漏らし、

「うそつき、うそつき‥‥ほら、ほらね。皆、口だけだ。皆、僕を、一人にする、裏切り者ーー‥‥」

ーーパシンッ。
クルエリティの言葉の途中で、静かな城内に頬を叩く音が響く。

「一緒に‥‥しないで」

目の前には、泣きながらクルエリティを見下ろすシステルの姿があった。

「その子とディエさんの想いを‥‥兄達と一緒にしないでーー!!その子とディエさんはあなたを裏切らなかった、一途に‥‥あなたを愛した!!その想いを侮辱するのなら、私はここであなたを殺すわ!あなたの為に死んでしまった二人の為に‥‥」

言われて、クルエリティはシステルを睨み付ける。

「でも‥‥さあ立ちなさい!その子が言っていたわね、コア達が待ってるって‥‥だったら、最後まで諦めないで‥‥立ってよ!!あなたはディエさんとヴァニシュの子供なんでしょう!?最後ぐらい、二人みたいに出来ることをしてみせなさいよ‥‥!」

そう言って、システルは再び彼に手を差し伸べ、

「一人で死ぬのが寂しいなら、生き残った私が、あなたの最期を見届けてあげるわ!それなら、寂しくないでしょう‥‥!?」

その言葉に、差し込む金の髪の光に、クルエリティは目を見開かせた。
囚人と同じ顔をして、同じような言葉を吐いて‥‥けれども、違った。
システルは無理に『生かそう』とはしなかった。
死を、見届けてくれるのだと‥‥
だって、こんな世界で、一人で生かされても、寂しいだけだから。

クルエリティはマーシーの体をギュッと抱き締め、力なく立ち上がる。差し出されたシステルの手を見つめるが、マーシーを抱いている為、それを取ることは出来なくて、戸惑うように視線を泳がせた。

システルはため息を吐き、クルエリティの腕からマーシーを取り上げる。
小さな少女は、眠るように息を引き取っていた。
彼女が誰なのかは知らない。だが、先刻ヴァニシュがこの少女を背負っていたことを思い出す。
そして今、システルは目の前で見た。

この少女の愛情を、慈悲を。

優しく、少女の髪を撫でてやり、もう片方の手で、クルエリティの左手を握ってやる。
子供のように怯え、震えるその手を強く強く握り、

(もう、私を守ってくれる人はいない。だから‥‥次は私が守る番。もう、私の手で、誰も傷付けないように‥‥だから、見ていて、あの日の私の‥‥仲間達‥‥!)

あの日、友とも仲間とも言えなかった、共に過ごした四人の姿をシステルは思い、あの日、異常に堕ちて暴走してしまった自分を思い、自分を守ってくれた人達を思いーー今は、自分がそんな人になろうと、強く、強く思った。


・To Be Continued・

空想アリア



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