悪魔と商人
「な、なんですかこれはー!!?」
ネヴェルに着いて歩いていたカトウはそんなことを言った。
「…勝手に着いて来て何を言ってる」
と、ネヴェルは呆れて言う。
「な、な、だって、なんなんですかこれは!?」
城内の階段を上がり、一番上…つまり屋上まで来た。
そこから見えた景色は、カトウにとっては信じがたいものである。
城から見て、西には白銀の大地。
東には先ほどまで居た魔界のような紫の大地…ではあるが、木々が覆い繁っているのだ。
そして、そんな二つに囲まれるようにして、中央にはカトウのよく知る世界…
そう、人間界があった。
「さっきから言っていたろ。世界は一つに戻ったんだ。これが…本来の世界だ。まさか、再びこの光景を見れる日が来るとはな…」
「本来の…世界」
カトウは目を丸くして、夢のような光景に見入っている。
それから、何か思い付いたようにネヴェルを見て、
「じっ…じゃあ!母さんも父さんも…村の皆も…ジロウさんの村の人達も、皆みんな無事…」
「それはわからんな」
カトウが言い終える前にネヴェルは首を横に振った。
「黒い影の原理がよくわからんからな。飲み込まれて…果たしてそれが死を意味するのか、もしくは中で生きているのか…どちらにせよ、テンマ達をどうにかせねばな」
「…ネヴェルちゃんは、これからどうするんですか?」
カトウが尋ねると、
「英雄の剣を持つジロウが目覚めてからだな。テンマ達の行方を突き止めて…奴等のしようとしていることを止める…。ジロウやハルミナなら、そう言うだろう」
ネヴェルは言いながら、鼻で笑う。
「…テンマさんは、無事に、戻って来てくれるでしょうか…」
ぽつりと、俯いて言うカトウにネヴェルはため息を吐き、
「悪いが、俺は奴を許すことは出来ない」
「…あ」
カトウは'しまった…'と、自分の軽率な発言に思った。
「恋人さんの…」
「それもあるが、奴は散々、魔界を滅茶苦茶にした。多くの魔族が奴に何かを奪われ、服従し、その手を汚すこととなった。…俺も…」
ネヴェルは自らの両手を見つめ、
「俺も、女子供、老人も関係なく、同族を殺した。百年前はあれほど必死に守ろうとしたものを…俺は自分の手で壊してしまった」
グッと、両手を握り締め、
「だから俺は、魔王だったテンマと必ず決着をつける。…散々、惨いことをしてきた俺が言うべき台詞ではないが…、傷付けて、そして黒い影に飲み込まれた若い魔族が居る……そいつへのせめてもの償いの為にも、俺は奴を、道連れにしてでも仕留めてやる」
厳しい眼差しをしながら、まるで自分に言い聞かせるように、カトウの存在を忘れているかのように、ネヴェルはただただ、自分の……散々殺めてしまったと言う、その手を見ていた。
「だ……ダメです、ダメです!!」
そんなネヴェルの両手をギュッ――…と、急にカトウは力強く握って言うので、
「貴様の私情を聞いている場合ではない。いくら貴様があの男に惚れていようが…」
「そんな意味ではありません!!」
「っ?!」
ネヴェルは強く否定されて、思わずギョッとする。
「ネヴェルちゃんはまさか、自分も死ぬ気なんじゃないですか!?」
「なん…」
「私にはわかります!絶対にそうです!!ネヴェルちゃんはテンマさんを倒して自分も死ぬつもりだと言うことが、私にはよくわかります!!」
「おい、カ…」
「そんなの絶対に、絶対に!!ダメです!!私もジロウさんもハルミナさんも、ネヴェルちゃんのお仲間さんも絶対に許しませんよ!」
「少しは人の話を聞け!!」
一人白熱気味に言葉を紡いでいくカトウにネヴェルはとうとう怒鳴った。
しかし、
「聞いています!なら、ネヴェルちゃんは死ぬ気はないって言えますか?」
カトウは動じずにそう聞いてくる。
「…貴様には関係ない」
「あります!!」
「はぁ?!」
何を言っても瞬時に言葉を返してくるカトウに、さすがのネヴェルも降参したい気分になった。
「縁あって、と言いますか、銅鉱山でも魔界でも、私達は一緒でした!私は助けられてばかりで何も出来てないけれど、それでも私にとってネヴェルちゃんは大切な友人なんです!確かに…テンマさんも大切です。でも、私はジロウさんもハルミナさんもネヴェルちゃんのことも…もうこんなにも大好きですから…!」
カトウはネヴェルの両手を強く握ったままそう声を上げ、
「だから、誰にも死なないでほしいんです。人間の世界は…魔界と全然違うから、人を殺すとか、そんなの日常ではないから。だから、ネヴェルちゃんの苦しみなんて到底、私にはわかりません。でも!それでも!ネヴェルちゃんが死んでも、テンマさんが死んでも、私は泣きますよ、泣いちゃいますよ、むしろ怒ります!!」
「……」
ネヴェルは呆気にとられたように、必死にそんな、甘い考えを吐く人間を…カトウを見ていた。
「…わかった、わかったから、落ち着け。手を離せ、俺やテンマの為なんかに泣くんじゃない」
ネヴェルはカトウを落ち着かせる為に、自らも落ち着いた声音で言ってやる。
「うっ…す、すみません。私、熱くなるとすぐ、泣いちゃって……うぅー…」
カトウはようやく握っていたネヴェルの両手を解放し、ごしごしと、涙の溜まった目を擦った。
ネヴェルはそれを見て、次に、一つになった世界の景色に再び目を向ける。
「…百年も前の話だがな。俺はよくここで…彼女と、メノアとここで景色を見て、語り合った」
ネヴェルはコツコツと前に進み、城壁の窪みに腰掛けた。
「わわ!危ないですよ!」
カトウが慌てて言えば、
「慣れた場所だ。それに落ちても翼がある」
ネヴェルはそれだけ言って、ただただ景色を見る。
「今思えば…ハッタリだったのかもな」
「え?」
そう呟いたネヴェルに、カトウは首を傾げた。
「メノアの亡骸の話だ。彼女を失った時の俺は、まだ子供だった。彼女を奪った魔王の言葉をまんまと信じ、彼女の亡骸を返してもらう為だけに俺は生きた。冷静に考えれば、滑稽な話だ。亡骸なんて…本当はもう、無いのだろうな」
「…ネヴェルちゃん」
「だからこそ、俺は自分が許せない。目先だけしか見えず、もはや後戻りすら出来ない場所まで来てしまった自分が…な」
ネヴェルは一つ息を吐き、いつも首に掛けているペンダントに触れる。
「そのペンダント、手作りなんですか?」
カトウが聞けば、ネヴェルは頷き、
「よくわかったな」
「私、これでも商人ですから!」
と、胸を張った。
「昔、メノアに贈ったものだ。…今では形見になってしまったがな…」
「…そ、そうなんですか…すみません、変なこと聞いちゃって…」
「いや…」
ネヴェルは静かに首を横に振り、
「…ジロウに、ハルミナ、カトウ。お前達に会えて、俺は昔の自分を思い出すことが出来たよ…」
「昔のネヴェルちゃん?」
「ああ…俺も昔は馬鹿なことばかり言っていた」
言いながら、ネヴェルは可笑しそうに笑う。
戦いたくないだとか、誰かを助けたいだとか、犠牲を出したくないだとか――…
そんな、甘いことばかりを言って、ヤクヤや仲間に'やんちゃ坊主'と呼ばれ、馬鹿にされていたと、ネヴェルは語った。
「ネヴェルちゃんが…。ふふ、まるでジロウさんみたいですね!」
「ああ。お前とジロウみたいだろう?」
「え!」
自分の名前も出されて、カトウは目を丸くする。
「私とジロウさん、テンマさんにもそっくりって言われますが、そんなに似てますか?」
「ああ。言ってることがほぼ同じだからな」
「うっ、言われてみれば…」
カトウは腕を組みながら思い浮かべた。
「だが…これだけは譲れない。メノアを、彼女を俺の目の前で殺したあの男を…俺は絶対に、許さない。だから、俺はお前にとって最悪の結果を取ることになるだろう」
「…」
そう言った、景色ばかりを見ながら言うネヴェルの背中をカトウは見つめて、
「でも、ネヴェルちゃんはとても変わりましたね。初めて会ったあの時は、凄く恐い感じだったし、言葉も冷たかったです」
…よいしょ、と言いながら、カトウもネヴェルと同じように城壁の窪みに腰を掛ける。
「おい、危ないぞ」
「私、商人ですから!色んなところに行ってるんですよー!平気です、へーき」
カトウは笑いながら、ネヴェルの隣に並んだ。
「話は戻りますけど。えーっと、ネヴェルちゃんが変わったって話ですね」
カトウはそう言い、
「だから、私は信じてます。優しいネヴェルちゃんなら変われる。きっともう、その手を汚すことはない。きっと、生きたいって思ってくれるって、友人として、私は信じてますから」
「……」
カトウのその言葉に、ネヴェルは息を吐きながら目を閉じ、
『ネヴェルは優しいから。だから、辛かったらもう、前に立たなくてもいいんだよ』
いつかの日に、自分を優しいと称した、遠い遠い記憶の中に在る少女の言葉。
それが重なって見えた…
「カトウ。お前は本気でテンマが好きなのか?」
「え?」
そう問われてカトウは口をぽかんと開け、
「…えへへ。好き、なんだろうけど、ただの一目惚れだとか、気になるだとか…そんな感じなんですよね。…だから、ネヴェルちゃんのメノアさんに対する好きとは、全然かけ離れています」
「…そうか」
ネヴェルは頷き、
「それでも、それは好きと言うことだ。……少しは考えてみるさ。もし次にテンマと対峙した時に、熱くなりすぎないように、歯止めになるように…お前の今の言葉を思い出す」
「…え」
それは、魔界の城で、広間で見たものと同じだった。
カトウが二度目に見たネヴェルの微笑みで…
「な、なんでですか、急に?」
「俺も、お前くらい若い頃はそんなだったからな」
言われて、ネヴェルが百年以上は生きていることをカトウは思い出した。
「…ジロウさんの治療が無事に済んだら、ジロウさんとハルミナさんにお話するんですか?メノアさんのこと…」
「ああ。約束したからな。…それに…」
ネヴェルは百年振りに見る青空を見上げ、
「今までちゃんと話せなかった分、あの二人とはしっかりと話をせねばな」
ハルミナの目の前で殺めた魔族の少年。
ジロウの前でレイルを傷付けようとしたこと。
それらを思い浮かべて、ネヴェルは自分がどうするべきかを考えた。