魔王の元へ2
「頭を上げろ。話とはなんだ?ネヴェル」
魔王と呼ばれた、玉座に座る男が、跪き、頭を垂れたままのネヴェルに言った。
ネヴェルは立ち上がり、頭を上げる。
「無礼を承知で、まず一つお聞かせ下さい。貴方様は度々不在になることが多い。此度は魔族達が突如現れた黒い影に飲まれました。魔界の王である貴方が、何故、あの危機に姿を消していたのでしょうか?」
そうネヴェルが尋ねれば、
「ところでネヴェル。お前は人間界へ行っていたようだな」
「…魔王様、質問に…」
話を逸らす魔王をネヴェルが睨むも、
「しかしどうしたことか。今のお前はまるで、以前のお前のようだな」
「何を…」
「守るべき者を守れなかった、昔のお前にだ」
魔王がそう言うので、後ろで話を聞いている他の者達は不思議そうにした。
しかし、ヤクヤが一歩前に出るので、
「ヤクヤ!魔王様の御前だぞ!」
ネヴェルがそう叱咤する。
「いや、俺は魔王に会うのは初めてじゃし、俺が属すのはフリーダムじゃからな」
そう、ヤクヤは言った。そして、
「で、魔王。今の話は、ネヴェルの恋人の話でもしておるのか?」
そう続けるので、
「恋人?」
と、ナエラが首を傾げる。
「俺がネヴェルと行動を共にしたのは、世界が分断された時までじゃった。すなわち、今の世界じゃ。ネヴェルには恋人がおってな……世界がこの有り様になってからは、二人で静かに暮らすと言っておったのじゃがのう…」
ヤクヤは思い出すように言い、
「じゃが、ネヴェル。お前は何故か魔王の手下になり、残虐な行いを始めていた……俺はずっとそれが疑問じゃったんじゃ」
「ヤクヤ、貴様は黙ってろ。今はそんな話より…」
苛つくような目でネヴェルがヤクヤを睨むと、
「ふふ…」
魔王が静かに笑うので、一同は魔王を見た。
「ネヴェル、お前はよく働いてくれた。本当に…な」
そう、魔王は言う。
「力を持ちながらも、お前は人間に負け、世界が分断されてもその運命を恨まなかった。なぜならお前は大切な彼女との安息を望んだから。こんな暗い世界に落とされても、お前の幸せはそれだったのだから」
「……」
魔王が紡ぐ言葉に、ネヴェルは何も言わない。
ただ、一同は気付いていた。
ネヴェルの拳が、強く握られていることに…
「私はお前を従える為に、あの時、お前の恋人を…」
「…言うな」
魔王の言葉の途中でネヴェルがそう言うも、
「お前の目の前で殺してやったんだったな」
魔王は言い切った。
「…なんじゃと……あの娘は殺されておったというのか…」
それに、ヤクヤが驚くように言う。
「そして、その女の死体を私はネヴェルに渡してやらなかった。死体とはいえ、十分な人質になるからな。だからこそ、女の為に、ネヴェルは忠実な私の部下に…そう、残虐な…」
「…魔王様、何故、その話をべらべらと話すのですか?他の者も居ます。貴方にとって不都合な話では?」
ネヴェルが聞けば、
「…ん?だってもう、魔王なんて必要ないだろう?」
なんてことを魔王が言うので、
「ど、どういうことですか?」
と、ムルが聞く。
「魔界はもう終わったも同然だ。いや、天界も人間界も。ならば、新しい時代が来る。そうだろう?」
「魔王様が必要ない?新しい時代…?」
わからない、と言う風に、ラザルはポカンと口を開けた。
「必要だったんだ。多くの魔族の死体と力を持つ魔族が。だから、ネヴェルに行わせた。力在る魔族を残し、力無き魔族は排除させた。そう、今の魔界の仕組みだ」
それに、カトウ以外は思い浮かべる。
魔界では力こそが全て、支配こそが全て。
今の、魔界の原理を…
「…ネヴェルちゃんを、利用した?」
そこまでの話の流れで、まだよくはわからないが、ナエラはそう呟く。
「ネヴェルだけではない。力在る魔族の大切な者を、目の前で奪った。そうする事により、大抵の魔族は自分より強い存在に従うからな。で、後は集めた魔族達にお任せだ。すでに魔王としての地位を得た私は何もする必要はない。力在る魔族と、力無き魔族をお前達に分別してもらっていたと言うわけになる」
「…ぶ…分別……そんな、ゴミみたいな言い方しやがって…」
それまで黙っていたトールが震えた声音で言い、
「それで、俺の家族は殺されたって言うのか?!家族だけじゃない!ヤクヤさんが助けた魔族達も、たくさん殺されたんですぜ!?」
「落ち着くのじゃ、トール」
熱くなるトールを、ヤクヤが冷静に止める。
「ちなみにネヴェル。お前の恋人の死体だが…今もちゃんと残してあるぞ?お前はその死体を取り戻し、きちんと供養してやる為だけに、私に従い、多くの同族を殺して来たのだからな?」
「ネヴェルちゃんが…?」
ナエラは驚くようにネヴェルの背中を見つめる…
「して、ネヴェル。お前は今でも、恋人の死体を取り戻したいのか?」
魔王が聞けば、
「…当たり前だ。俺はそれだけの為に、それだけのことをしてきた。彼女を取り戻したら……きちんと俺は贖罪を受けるさ」
「ね、ネヴェル様?!」
ネヴェルのその発言に、ラザルが驚き叫ぶ。
「…ふふ。そうか。ならばネヴェル。最後の命令だ。ここに居る者達をお前の手で葬れ。そうしたら、大切な彼女を返してやろう」
「っ!?」
その命に、ネヴェルは硬直した。
「ま、まおー!ネヴェルちゃんがそんなことするわけないです!だってだって、ネヴェルちゃんは私を助けてくれた優しい友達なんです!」
カトウがそう言い、魔王は静かに笑う。
「…俺は…」
しかし、ネヴェルは一同に背を向けたまま、珍しく俯いてしまって…
「まさか、ネヴェル様が魔王様にそんな理由があって使われていたとは…」
「ああ…オレら、ネヴェル様のこと、何も知らなかったんだな…」
ムルが言い、ラザルが続けた。
「ネヴェルちゃん!ネヴェルちゃんに恋人が居たなんて知らなかったけど…でも、ネヴェルちゃんは今、なんの為に魔王様に会いに来たの?」
ナエラが泣きそうな顔をして言って、
「さっきネヴェルちゃん、言ってたよね、ジロウを助けるって。その為に、ネヴェルちゃんは魔王様に会わなきゃダメだって…」
そう、訴え掛ける。
しかし、やはりネヴェルは何も言えなくて。
背を向けたままの彼の表情はわからない。
そして、カトウは思い出していた。
先程、別れ際のネヴェルとハルミナの会話を…
――貴様の目には、いや、魔界に住む奴等の目にも、俺は残虐に映っているだろう。実際に、それだけのことを俺はしてきた。…俺には、魔王様に従う事情があった…
「ネヴェルちゃん…さっきハルミナさんに言っていた事情と言うのは、このことだったんですね」
「…」
「ネヴェルちゃん、私はネヴェルちゃんを信じてます。ネヴェルちゃんは優しい人だから、絶対に私達を傷付けないって」
カトウは真っ直ぐにネヴェルの背中を見つめながら、ギュッと、英雄の剣を抱き締めた。
「く……くそっ…、俺は今まで、彼女の為に、取り戻す為に、数十年を生きていたんだ。ここまで来て、魔王様の命に逆らうことは…」
「ネヴェル…」
弱音を吐くネヴェルを、昔の彼を知るヤクヤが憐れむように呼んだ。
…リョウタロウが魔族を地底に落として数日の頃を思い出す…
『行くのか?ネヴェル』
『ああ』
『こんな地下深い世界だ。協力して生きるべきではないのか?』
『すまないな、ヤクヤ。俺はもう、争いなんてウンザリだ。こんな世界でも…俺は彼女と生きる』
『そうか。止めはしないが…気を付けろよ。せっかく、あんな戦いで生き残った命だ。大切な女を、しっかりと守ってやれ』
『ああ、言われなくとも』
それが、かつての、ネヴェルとヤクヤの別れだった。
ヤクヤは覚えている。
ネヴェルと、恋人である女が、こんな魔界でも、幸せそうに寄り添っていた姿を…
「ネヴェルちゃん……ネヴェルちゃんは、魔王様の部下に殺られそうになっていた、子供だったボクを助けてくれたよね?だからボクは、ネヴェルちゃんに着いてきたんだよ?」
ナエラは唇を噛み締め、涙を滲ませる。
「ボクはネヴェルちゃんにとったらまだまだ子供だけど、でもボクは、あなたに憧れてたし、あなたが本当に愛しい。だから、悔しいんだ…ネヴェルちゃんが、大切な人の為に、人知れず戦っていたことに気付けなかった自分が…」
それに続き、ラザルが口を開く。
「オレも…ネヴェル様に力を認められてなきゃ、今頃死んでたかもしれません。ずっとずっと、ネヴェル様のことが恐ろしかったけど…オレが生まれた頃にはすでにこんな魔界社会だったから、ネヴェル様はもっと沢山、恐ろしい経験をしてきたんですよね…」
そんなラザルに続き、
「…俺も、ラザルと同じくネヴェル様が恐ろしかった。でも、人間界から戻って来た今の貴方は、恐ろしさを感じさせない。だって、今の貴方は、助けたい人達の為に、魔王様の前に立っているんですよね?」
そう、ムルが言った。
「とにかくだ!ネヴェルさんよ、あのバカっぽいジロウを助けるんだろ?もしくは恋人の死体を返してもらう代わりに俺らを殺すかなんだろ?どっちにしろ、ハッキリしてほしいですぜ!」
トールがヤケクソ混じりに叫ぶ。
「…ネヴェル、お前はどうしたいのじゃ?」
静かにヤクヤに問われ、
「俺は…」
「ネヴェルちゃんは優しいから絶対に、絶っ対に!私達をどうこうしません!ハルミナさんや英雄さん達との約束を守り、ネヴェルちゃんはジロウさんを……ぁ、あとテンマさんも…、と、とにかくネヴェルちゃんは助けてくれるって信じてます!!」
背を向け、俯いたままのネヴェルの言葉を遮り、カトウが力説するので、
「お、お前っ、本当にネヴェルちゃんに馴れ馴れしいな、人間!」
ナエラが眉間にシワを寄せながら言った。
すると、
「……はぁ」
ネヴェルはため息を吐く。
「ネヴェル様?」
ムルが疑問気に名を呼べば、ネヴェルはようやく一同に振り返り、
「貴様らは、本当に魔族なのか?と言うぐらい、恐ろしさが足りないな」
そう、苦笑して言うので、ナエラ、ムル、ラザル、トールは、ネヴェルから気まずそうに目を逸らし、ヤクヤだけは「俺はフリーダムじゃからな」と、威張るように言う。
「それから、カトウ。貴様は荷物のくせに一番ウルサイ」
「ガーン?!私はネヴェルちゃんを励まそうと…」
「煩いが…ジロウと同じ、バカだな」
「!?」
微笑んで言うネヴェルに、カトウは勿論、他の者達も驚いた。
「それで?答えは決まったのか?ネヴェルよ。目の前の生者を選ぶか、大切だった女の亡骸を選ぶのか…」
天幕で上半身はすっぽりと隠れ、足元しか見えはしない、魔王と呼ばれる男がネヴェルに問う。
ネヴェルは瞳を閉じ、
「重たい選択だな…」
そう、呟いた。
大切な女性の亡骸を取り戻す為に、自分が行って来た残虐の数々。
そして、今を生きる者達。
何よりも、ネヴェルとハルミナの為に行動し、今はテンマと共に封印されてしまっている、ジロウ。
簡単そうに見えて、ネヴェル自身には重たい選択だった。