英雄がいない!

――最後に。私は君達を導きましょう…

そう言ったレーツに、

「導く?」

ハルミナが首を傾げた。

「ええ。恐らくテンマが君に何かしたのでしょうが、ネヴェル、扉を開けるはずの君は、扉を開けない」
「ああ。だからジロウを…英雄の剣を頼ったのだが…」
「だからこそです。ハルミナ、君を天界に。ネヴェル、君を魔界に。その扉を私が開きましょう」

レーツが言うので、

「貴様は何者なんだ?」

ネヴェルが聞けば、レーツは静かに目を閉じ、

「…私は、ただの人間でした。そして今はただの亡霊……成仏できない魂なのです」
「死んでるってこと…?」

カトウがそう尋ねる。

「ええ。私はリョウタロウの妻でした。しかし、私はあの戦争が終わり、この地が人間だけの世界になった後に生まれた人間。英雄に祭り上げられ、一人苦しみを抱えていた彼の気持ち全てを私が理解するのは難しい。けれど私は、彼の傍で彼を支えていたかった…」

「れ、レーツさんが、英雄の……奥さん」

レーツの話を聞き、カトウは目の前の小さな少女を見て瞬きを数回した。

「彼は不老不死の身だから、私は先に死んでしまったのです。けれど、不老不死の身で生き長らえ、自ら命を断つことも出来ず、リョウタロウはずっとこの地で英雄の剣を見守り続けていた。結局、私も成仏すら出来ず、このような幼き姿の亡霊として、リョウタロウと共に見守り続けていたのです」

レーツはそこまで言い、

「しかし、再び世界はこうして動いた。でも、簡単に死ねない身であるリョウタロウにとってはきっと、転機だった。なぜなら、君達に託して逝けたから…」
「私…達に…」

ハルミナがそう言葉にし、レーツを見つめる。

「そ、そういえばさ、さっきのあの、ジロウをナイフで刺しやがった男とあんたは知り合いみたいだったけど…」

ユウタが言えば、「スケルですね」と、レーツは言った。

「え?ジロウさんを刺したのは、テンマさんじゃなかったんですか?!」

カトウが聞き、

「ええ。ナイフを投げたのはスケル。結果的に、それを抜き、少年を危機に陥れたのはテンマですが…」

そう、レーツが言い、カトウは複雑な表情をする。

「…スケルは、昔に存在したネクロマンサーの血を受け継ぐ、最後の子孫でした。しかし受け継ぐと言っても、今の時代にネクロマンサーなど存在しない。けれどスケルは違った。なんの因果か、彼は僅かな記憶を持って生まれたのです。…百年も前の、世界が一つだった頃の、ネクロマンサー達の記憶を…」

レーツのその言葉に、

「記憶を持って生まれる?有り得るのか、そんなことが…」

ネヴェルが目を細めながら言えば、

「わかりません。もしかしたら…過去のネクロマンサー達が遺伝子に何かを仕組んだのかもしれない。…長い年月が過ぎ、それがスケルに宿ってしまった……私は、そう考えているのです」

それはもう、過去のネクロマンサー達しか知らないことですが…と、レーツは言った。

「その為、スケルは幼少時から人の死に興味があった。彼は身近な自分の肉親を…殺してしまったのです。ネクロマンサーの性…と言えば聞こえはいいのですが…」
「よ、幼少時に自分の親を…」

それに、ユウタは苦い表情をする。

「そんな彼を私は見つけ、凶行に走らぬよう幼い頃から見守っていましたが……ネクロマンサーの狂気を抑えることは結局できず、このような結果になってしまった…。この場への出入りも私とリョウタロウで何度も止めましたが、それも届かず…彼はここで死体を使い、しかも天界と繋がり、何かをしていたようですね…」

レーツのその言葉に、

――まあ、フェルサさんとは協力関係にありますよ

…と言ったスケルの言葉をハルミナは思い出す。

「…もっと沢山、話せれば良いのですが、動き出さねばなりませんね」

レーツはネヴェルとハルミナを交互に見た。

「…私は天界に。ネヴェルさんは魔界に、ですね」

ハルミナが言い、

「ハルミナ。この先どうなるかは俺にも読めん。テンマはさっきのネクロマンサーを天界に送ると言っていた。どうも、天界は危険そうだ。気を付けろよ」

なんて、ネヴェルが言うので、

「…あなたがそんなことを言うなんて…驚きました」

ハルミナは目を丸くする。

「貴様の目には、いや、魔界に住む奴等の目にも、俺は残虐に映っているだろう。実際に、それだけのことを俺はしてきた。…俺には、魔王様に従う事情があった…」
「…え?」
「…今はまだ話せないが、もしまた会えたならば、話すさ。…ジロウにも、な」

どこかいつもと様子の違うネヴェルに、ハルミナは驚くが、

「わかりました。他にも、ネヴェルさんには聞きたいことがあるんです」
「ミルダやフェルサ、ヤクヤの話か?」
「やっぱり、ミルダさんやフェルサさんのこともご存知なんですね…」
「ああ。しかし、先程リョウタロウが言っていたが…貴様の両親とはな」

そう言われてハルミナは苦笑し、

「私だってさっき知ったばかりで驚いているんですよ?」
「…ふ。貴様も変わったな…やっと、笑うようになったか」
「…ええ。ジロウさんの、お陰です」
「あ、あのー…」

そこで、ユウタが困ったような声音で口を挟み、

「な、なんか良い雰囲気中に悪いんだけど、俺はどうしたらいい?実際、何も現状を知らずに流れに着いてってるだけなんだよな…」

ユウタは天界や魔界はおろか、人間界の現状がどうなっているのかすら知らない。

「わ、私もどうしたら?ここに居たら、またあの黒い影が襲って来るのでは…」

カトウも言い、

「そうですね。では、お二人も天界か魔界へ送りましょうか」

レーツが言い、

「おい、簡単に言ってくれるな。誰が面倒を見るんだ。ちなみにその男を俺はまだ知らないが?」

ネヴェルがユウタを指すので、

「え?あ、俺はユウタ。ジロウの幼馴染みってだけの…ただの人間…です」
「…二人も人間の面倒を見る余裕は無いな」

ネヴェルが言い、

「なら、私がどちらかを天界に、ネヴェルさんがもう一人を魔界に…と言うのは?」

ハルミナが提案するも、

「貴様も簡単に言うな、ハルミナ。貴様は自分を守るので精一杯…」
「大丈夫です。私、もう逃げない。ちゃんと、戦います。それに、カトウさんもユウタさんも、ジロウさんにとっては大切な存在。私達が守らなければ」

ハルミナは胸に手を当てて、真っ直ぐにネヴェルを見つめた。
それにネヴェルはため息を吐き、

「…。ならばカトウ。貴様は俺と来い。ユウタ…だったか、貴様はハルミナと行け」
「ネヴェルちゃん、それはどういう配分ですか?!」

カトウが聞けば、

「ネヴェル…ちゃん?!」

ちゃん呼びにユウタが驚き、それをネヴェルが睨んだので、ハルミナが慌ててユウタに何か耳打ちをしている。

「カトウ、貴様は完全な荷物だ。しかしユウタ、貴様は先程ジロウの為に体を張ったな。なら、貴様はハルミナと協力し、俺は荷物を抱えるだけだ」

そうネヴェルは言った。

「まだ荷物扱いですか!?まあ、確かにその通りですけど」

カトウは頬を膨らませる。
そんな四人の様子をレーツは微笑ましそうに黙って見ていて、

「決まったようですね」

と、静かに言った。

「ですが、天長と魔王に会えば真実に辿り着けると英雄は言っていましたが…ジロウさんと、テンマ…さんの封印を解く際にはどうしたら?」

ハルミナが尋ねれば、

「恐らくは、その真実と言うものこそが、封印を解く鍵です」

そう、レーツは答えた。

「わからんが…とにかく行くしかない」

ネヴェルが言い、レーツは頷く。

「こ、この剣はどうしたらいいですか?」

カトウは手にしたままの英雄の剣のことを尋ね、

「あ。そういやあの紅い石はスケルって奴が持って行ったのか…」

と、ユウタが言う。

「危険因子は天界に集まっているようだ。カトウ、ジロウが戻って来るまで貴様がそのまま英雄の剣を持っていろ」
「わ、私がですか!わ、わかりました!」

ネヴェルに言われ、カトウは素直に了承した。

そのやり取りを見終えたレーツは、水晶玉を手にしたまま両腕を真っ直ぐに伸ばし、水晶玉が輝きを放ち出す…

「…少年、少女達よ。どうか、ジロウのことを…、私達の大切なあの子を…よろしくお願いします」

レーツがそう、優しい声音で言い微笑むので、

「え?」

と、ハルミナ、カトウ、ユウタは首を傾げ、

「君達を送るこの力を使い終われば、私はリョウタロウの元へ発ちます。ですから、もう、ジロウには会えません。不甲斐ない母で申し訳ないと……あの子に…。…いえ、今更あの子に、真実など、話すべきではありませんね」
「じ、ジロウの、母…?でも、ジロウにはちゃんと両親が…」

ユウタが言えば、レーツはただ静かに微笑んだままで。

「…絶対に、ジロウさんを助けてみせます。彼は私に勇気をくれた、大切な……英雄ですから」

ハルミナがそう声を上げた。

「ふん、ジロウが英雄か。…ならば、英雄様をしっかり助けなければ世界は救われないな」

そう、ネヴェルが苦笑しながら続ける。

「さあ、お行きなさい。そして、どうか真実に辿り着いて……スケルのことも、よろしく頼みます」

その、レーツの言葉と微笑みを最後に、辺りは眩く光に包まれ…

ハルミナとユウタは天界へ。
ネヴェルとカトウは魔界へ。

誰も居なくなった真っ白な一室で、レーツは一人佇む。

「この世界に、世界全ての英雄など、生まれるのでしょうか?」

人間しか救えなかった、造られた英雄。
そう、嘆き苦しんで来た、リョウタロウ。

「ハルミナ、ネヴェル、カトウ、テンマ。…そして、ジロウ。君達の誰が、英雄の重みを継ぐのでしょうか」

――ガシャン…
手にしていた水晶玉を持っている肉体が薄れかけて、支えを無くした水晶玉は地面に落ちて粉々に割れた。

「ですがきっと、もし、世界が再び一つになってしまったとしても…君達ならきっと、乗り越えられると信じています。リョウタロウが築けなかった世界を。彼が嘆いた世界を。天界と魔界が憎んだ世界を。……どうか、救って下さい」

――…
―――…

誰かの嘆きが聞こえた。
誰かの慈しむ想いを感じた。

(早く…行かなきゃ…)

深い眠りのような空間で、ジロウは思う。

(ハルミナちゃん、ネヴェル、カトウ、ユウタ、レーツ、リョウタロウ、ヤクヤのおっさん、トール、ヒステリック女、レイル……それから、テンマ)

この数日で出会った多くの人達。多くの出来事。

それは、これからに繋がって行く。

ジロウとテンマ。
二人の封印が同時に解けた時。

その時こそが、本当の始まりで、本当の終わりに繋がる。

まだこれは、真実に至る、道筋に過ぎない。

この、英雄のいない世界の、新たなる始まりへ続く、道筋なのだ。


『人間界』end


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