ウェルとマグロとラダン
先刻、マグロちゃんが深刻な表情をして、わたくしの家に来た。
任務後らしく、ラダンさんも居て。
マグロちゃんはいきなり聞いてきた。
「ウェル先輩。あなたは先日カーラ先輩が言っていた、死んだ上級天使のことを知っているんですよね。お願いします、その人のことを教えて下さい」
どうしてマグロちゃんが知りたいのかはわからない。
知っても、死んでしまった人のことだし…
「お、俺も気になる。俺は、その人が女性で、黒い影との戦いで死んだ…ってことしか聞かされとらんし。今は代わりに影武者が居るってだけやし…。なーんか、前から不気味やったんっすよ」
ラダンさんがおずおずと言った。
ラダンさんは興味本意なのだろうけれど、マグロちゃんは一体?
ハルミナさんの件から、マグロちゃんの幼さはどこか成りを潜めて、表情には影を帯びている…
「ねえ、マグロちゃん。どうして知りたいの?もう、とっくの昔に死んでしまった人のことを…」
わたくしが問うと、マグロちゃんは真っ直ぐにわたくしを見て、
「あの日、カーラ先輩がオレに問い掛けたから。その上級天使は本当に戦いで死んだのか、影武者はいったい何者なのか…って。きっと、何か意味のある問い掛けだと思ったんです」
「んー、どないやろな。カーラのことやから、なーんも考えとらん気もするけど」
「はは」
ラダンさんの言葉にマグロちゃんは失笑し、
「それに……何か嫌な感じがするんです。これから。オレは今まで何も見てなかった。決まった事をただ守っていただけだった。でも、決まりに抗っているカーラ先輩とハルミナさんを見て、…急に態度を変えたマシュリ先輩を見て、あの日から違和感しかないんです」
うまく、言えないんですけど……と、マグロちゃんは言葉を詰まらせる。
でも、確かにそれは、マグロちゃんだけが感じているわけではないわ。
わたくしもラダンさんも、今は不安と不信感しかないのだから。
わたくしが考えていると、
「お願いします、ウェル先輩。きっと、あなたしか話してくれない」
マグロちゃんは、真剣な眼差しをわたくしに向ける…
…この子は、変わろうとしている。何かを、変えようとしているのね。
「わたくしの知っていることは話すわ。ただ、今後に役立つとは思えないけれど…そうね、まずは…」
まずは何から話そうかしら、わたくしは考えた。
「そうね、まずは死んだ上級天使について、マグロちゃんとラダンさんが知っていることを纏めて下さるかしら」
わたくしが言えば、二人は顔を見合わせて、各自話し出す。
…と言っても、二人の知っていることは同じだけれど。
現在、上級天使は8人。
しかし、一人は影武者である。
頭から足元まですっぽりと白いフードを纏っていて、姿形はわからない。
マグロちゃんがまだ小さかった頃、ラダンさんが上級天使になる前に、黒い影との戦いで命を落とした。
しかし、その上級天使の死を、民は知らない。
上級天使に就任した人しか聞かされていない。
理由としては、天界を護る上級天使が死んだ、なんてニュースは、あまり良いものじゃないから。
――…マグロちゃん、ラダンさん、そしてこの場には居ないけれどエメラさん。
三人の知る、死んだ上級天使の情報は恐らくこの程度。
「…それじゃあ、わたくしの知る、彼女の話をするわね」
「お願いします」
マグロちゃんが言う。
「彼女の名前はフェルサ。わたくしが彼女に出会ったのは、50年程前かしら。でも、ミルダさんとカーラさん、そしてフェルサさんは、世界がまだ一つだった頃からの知り合いなの」
「へえ、ミルダ先輩とカーラは世界が一つだった頃から生き……て!?ちょ、ちょっ!?ウェルさんおかしないっすかその話?!世界が一つだったのって、百年も前…っ…!」
ラダンさんが驚愕して、
「か、カーラは俺と同い年やで?昔……っても、まあ、40年前くらいやけど、俺とカーラはその頃から一緒に…」
「…そうね」
わたくしは頷き、
「カーラさんの話は、今は置いておきましょう。それは、本人が話すべきでしょうし…」
わたくしが言えば、カーラさんと幼馴染みのような関係であるラダンさんは勿論、困惑の表情を浮かべ、マグロちゃんも疑問の表情を浮かべていた。
「フェルサさんの話に戻るけれど、ミルダさんとフェルサさんは夫婦だったの」
「え!ミルダ先輩と!?」
マグロちゃんが声を上げる。
「ええ。お腹に子供も居たそうだけれど……。わたくしが彼女に出会って数年後。その時から現れ出した黒い影に襲われて、彼女は死んだ……と。天長と、その頃に上級天使だった、わたくしとミルダ先輩とカーラさん、それから、上級天使になる前のマシュリさんだけに知らされたわ」
「…まさか、あのお堅いミルダ先輩が結婚しとって、子供産まれる前やったとか……なんや、なんとも、言えへんな」
ラダンさんが言い、
「あの、その頃マシュリ先輩は上級天使じゃなかったのに、なぜマシュリ先輩にも?」
マグロちゃんが的確な質問をしてきた。
「フェルサさんはね、歳はだいぶ離れているけれど、マシュリさんの姉だったの。姉と言っても、血は繋がっていないの。マシュリさんは早くに両親を亡くしたらしく、それをフェルサさんが引き取り、弟として一緒に暮らしていたわ。」
「……!……そう、なんですか」
それを聞いたマグロちゃんは一瞬驚き、一つ頷く。
「…わたくしが知り、話せる内容は、たったこれだけ。彼女が死んだ後は、ご存知の通り、影武者が人数調整の為だけに用意された……と言うことね」
特に、この話は役に立ちそうになかったでしょう?
と、わたくしはマグロちゃんに苦笑しながら言った。
でも、マグロちゃんは真剣な表情のまま、何か考え込むように黙っていて。
そして、顔を上げ、
「いえ、ありがとうございました、ウェル先輩。本当に、ありがとうございます。遅くなりましたが、ラダン先輩も……先程は助けてくれてありがとうございました。それじゃあ…」
マグロちゃんはわたくしとラダンさんに一礼し、わたくしの家から出て行った。
「な、なんやぁ?」
「マグロちゃん…。ところでラダンさん。マグロちゃんを助けたとは?黒い影の戦いからですか?」
「い、いや。なんや、マシュリがマグロの所におったんすよ。しかも、マシュリの奴、殺気立ててやがって…」
「……殺気を?…なぜ」
わたくしは不安になる。
マグロちゃんは、フェルサさんの話を聞き、何を思ったのか。
何を、しようとしているのか……
「しっかし、ミルダ先輩が結婚してて、マシュリの姉がその人で。……なんや、キナ臭い話やな」
「え?」
「前から、マシュリとミルダ先輩はつるんどるやないっすか?俺らにはなーんも話さんことも多い。…ハルミナちゃんの件もや。モルモットとかなんや呼んで。で、二人はそのフェルサって人と深い関わりがある」
確かに、ハルミナさんが人間界に降りてから、ミルダさんとマシュリさんは黒い影討伐の任務を、マグロちゃんとラダンさんとエメラさんに任せっきりな様子で……
二人は何をしているのか…
「…それに、カーラのことも、気になるな。牢屋に閉じ込めるのはええけど、今後はマシュリとミルダ先輩しか会われへんとか、なんか妙やし。ウェルさんの話を聞いて、カーラに聞きたいねんけどなぁ、話」
ぽつり、と、ラダンさんは呟く。
「ごめんなさい、カーラさんのこと、わたくしの口から話せなくて…」
「いやいや、ウェルさん責めとるわけやないんすよ?!つか、なーんであいつは年齢ごまかしとんねん!しかも、世界が一つだった頃から生きとるなんて、やっぱあいつ……凄い奴やな。まっ、カーラのことはええわ。あいつは……多分、自分でなんとかできる奴やし。問題は……」
「マグロちゃん…」
わたくしとラダンさんは頷き合う。
「多分、マグロはなんかする気やなぁ。まあ、マシュリのこと尊敬しとったから、マシュリに対して…かもしれん…」
「…まさか、フェルサさんの話を、マシュリさんに持っていく気かしら?」
「わからんけど、ヤバい感じはする。あの、マシュリの殺気が気になる。多分、もしマシュリがほんまにマグロとやりあったら……マグロは勝てん」
大した話ではない。
そう思ってわたくしは話してしまったけれど、視野を広げたマグロちゃんには何か役立つ話だったのかもしれない。
「戦えないわたくしを、マグロちゃんはいつも励ましてくれた。無自覚なんでしょうけれど……でも、わたくしはマグロちゃんの素直な言葉に救われていたから…」
「俺らが守ってやらな、ですね」
「ラダンさん…」
「そうと決まれば、マグロが行動起こす前に追わなあかんな!」
ラダンさんも、ハルミナさんとカーラさんの一件からとても変わった。
立場上、わたくしと同じで、言いたいことを言えなかったけれど、今のラダンさんには恐いものはないと言う感じで。
「あ、あ、ところでウェルさん」
「はい?」
「ウェルさんって、カーラのこと……好きとかじゃ、ないっすよね?」
「わたくしがカーラさんを?どうしてです?」
思わぬ質問に、わたくしは首を傾げた。
「い、いや。まあ、あいつ黒い影と戦ってばっかで、しょっちゅうウェルさんのとこ通って治癒してもらってたから……その、昔のあいつは女グセ悪かったし…」
「まあ、ハルミナさんが来る前は、よくナンパみたいな事は言われましたよ」
思い出しながら、ウェルさんはクスクスと笑う。
「あ、あいつぅうー!!」
「でも、わたくし、カーラさんを好きとかそんな目で見たことはないですね。大切な仲間ですし。それに、今のカーラさんは一途ですしね」
「そっ、そうっすか。あ、はは。よ、良かったー」
「え?」
「い、いや!なんでも!さっ、さあ!はよマグロ追い掛けなあかんな!」
言いながら、ラダンさんはそそくさと外に出た。
カーラさんが動けなくて。
ハルミナさんが居なくて。
マグロちゃんが何かしようとして。
ミルダさんとマシュリさんの考えもわからず。
天長からは一切招集もなく、会えず…
わたくし達はこれから、どうなるのだろう。