ネヴェルと天使の少女

「勝手をしたようだな、ナエラ」

俺が言えば、ナエラは上目遣いに俺を見て、

「だってぇ、あの女、きったない手でネヴェルちゃんに触るからー」
「で、あの天使はどうした」
「気絶しちゃったから、牢屋に放り込んで来た」
「……話が出来る状況じゃないな」

そう、俺は息を吐く。
何故かは知らないが、ナエラは俺を好いているらしく。あの天使が俺の頬を叩いたのが相当気に食わないようだ。
わざと避けなかったと言ったのにな。
それに、このナエラが本気になれば、その天使が目覚めるのも時間が掛かるだろう。
厄介なことをしてくれる。

「あれ。ネヴェルちゃんどこ行くの?」
「俺の勝手だ」

そう言って、俺は踵を返した。
力を恐れ、従順な部下が多い中、ナエラは厄介だ。
力がある、そして、頭に血が行けば勝手をする。
戦力としては充分なのだがな……

そんなことを考えながら、俺はその天使の女が居る牢屋へと向かった。
まあ、当分は目覚めないだろうが…

「!」

しかし、俺が牢屋を見れば、それはもう、身体中酷い傷だ。
だが、驚いたのはそこではない。

「女、貴様、その傷でよく気を取り戻したな」

俺は言う。
緑色の髪をした天使の女は、身体中の痛みに目を細めつつも、牢内の壁に凭れるように座り込んでいた。

「まあ、おかしくはない話か。扉を開くことができるのは階級の高い天使だからな」
「……」

それに、天使の女は俺を睨む。

「ああ、あれか。さっき俺が魔族の子供を始末したのが気に食わないのか。しかし、貴様は天使のくせに、魔界の住人に肩を持つのか?」

だが、やはり女は何も答えない。いや、答えられないのかもしれない。
傷の痛みに耐えるので精一杯なのであろう。

「まあ、話せるようになったら質問する。魔界に何をしに来たのかをな。それまではせいぜいそこで…」
「私は…あなた達を、どうこうする為に、来たわけじゃ……ない」
「…ほう、話せるのか」

ひ弱そうな女で、魔界では天界の住人は力を出し切れないと言うのに、意外だな。

「だから、こんな所に……閉じ込められるのは…迷惑、です…」

肩で息をしつつも、女は言った。

「まあ、理由はどうあれ、貴様は天界の住人だ。簡単には信用できないし、俺達は昔から因縁のある種族だ。貴様を野放しには出来ないな」
「……典型的な、魔族ですね、あなたは」
「?」
「因縁なんて、遠い昔の、話。今の私達にはもう……関係ないのに…」

女の言葉に俺は頷き、

「確かに、魔族と天使が争ったのは昔の話だ。……貴様らは空に、俺たち魔族は地底に追いやられたと言う結末だがな」
「…追いやられた、だなんて…そんな……うっ、ゴホッ……」

言葉の途中で女は噎(む)せ、口から血を吐き出す。

「見苦しい。貴様、魔界で力を出しきれないとはいえ、少しは治癒術が使えるのだろう?自分にかけろ、それから話せ」
「……」

女は言われた通りに手を自分の体に翳し、治癒術をかける……が、

「貴様、それは天界のものではないな?魔界の術じゃないか」

女は力を出し切れないはずなのに、傷はほとんど完璧に回復していた。
それに、手から溢れる治癒の光はほとんど天界の気ではない。
魔界の、少しどす黒さが混じった気だ。

「……そうです。私は幼い頃、魔界で暮らしていたから…」

女はようやく、はっきりと言葉を発する。

「魔界で?」
「はい。……私も詳しくは知らないんです。両親に捨てられた…と、聞いていたのですが…」
「まるで、違う風な言い方だな?」
「…いえ。事実は、もう私にもわかりません。でも、私は魔界で暮らしていました」

女は言い、

「お世話になった人が居たんです。私はただ、その人に会いたかった。それだけなんです」
「……」
「だから、お願いです。私は、行かなければ。その為に……私の我が儘のせいで…苦しめてしまった人が居るんです」
「……」
「……」

何も答えない俺に、女も黙りこむ。

「……魔界の力を使える天使、か。面白いな。そうだな、魔界で自由に動きたいのなら、魔王様の部下になれ」
「…え」

俺の提案に、女は眉を潜めた。

「俺達は魔王様の部下であり、ここは拠点地だ」
「……魔王、まだ、存在していたんですか」
「当たり前だ。魔界の統治者なのだからな」
「……」

女は俯き、

「そんなものには、なれません」

そう、答える。

「まあ、そうだろうな。では、貴様はいつか天界を落とす時の人質だ。そんな扱いでいいんだな?」
「…そんなこと……天界と争うなんて、やめて下さい。もう、争う必要なんて…」
「別に、天界だけじゃない。人間界も落とすつもりさ、我らが魔王様は」
「え!?」

女は大きく目を開かせた。

「知っているだろう。根源はなんだったかを」
「人間の…英雄を指しているのですか?」
「そうだ。かつて、人間の英雄がいた。奴が、たった一人で、魔族と天使の理を変えた」
「…でも、それが、正しい道だった」
「貴様は、その時代に生きていたか?」

そう聞かれて、女は「まさか」と、そんなわけない、と、首を横に振る。

「だって、それはもう、百年も前の出来事ですよね。確かに、天使も魔族も寿命はとても長いですが……あの時代に生きた人々は、ほとんどが戦死したと聞いています。そんな争いを、人間の英雄が終わらせた、と…」

女の言葉に俺は頷き、

「だから、そのせいで魔族は暗い暗い地底に落とされた。自然に恵まれず、同族を食いだす輩まで現れた。今度は生きる糧を求め、魔族同士で争いだ。だから、魔王様は魔界の住人を全て支配しなければならない。そうしないことには、人間にも、天使にも、復讐できないからな」
「復讐だなんて…そんな…」
「裕福な暮らしをする天使にはわからないさ」

そう言った俺に、女は強く首を振った。

「私、魔界が好きです。自然に恵まれなくても、探せば小さな自然はありました。水が流れる場所だって。私の恩人は、そんな生き方を教えてくれた。生きる為には、自分で努力して、自分で生きる術を探せって…」
「それが、出来ない魔族が多い。魔族のほとんどは、理性が足りない者が多いからだ。そんな小さな生き方、出来るわけがない。お前の恩人とやらは、たまたま理性のある魔族だったということだ」
「……あなた、ひねくれた考え方ですね」
「……」

言われて、しばらく俺は牢屋の中の女を睨んだ。

「まあ、いい。貴様は捕虜扱いにする。殺しはしないが、ずっと牢屋の生活だ」
「…」
「…が、ナエラの攻撃を受けてピンピンしている。そして、魔界の力を使える。そこは面白い。魔王様の部下になる方が自由が利くと思うがな」

それに、女は迷った。
恐らくこの女は戦う程の力は無い。
自分は無力だと悟っている。

「……考え…させて下さい」

女は言った。

「頑固だな」

俺は言う。

「だっ……だって、私、あなたのこと、絶対に、仲間だと思えないし、好きになれません、信用できません」
「はっ。好きだ信用だ、そんなもの魔界では不要だがな。まあ確実なのは、俺も貴様のことは絶対に好きにはなれないな。天使という時点で気味が悪い」

言われて、女は立ち上がり、

「種族が違うだけでそんな言い種…やめて下さい」
「なんだ急に。天使は天使、魔族は魔族。違いすぎるだろう」
「だからって、気味が悪いなんて言い方、その言葉、嫌いなんです」
「では、貴様は天使も魔族も等しいと言うのか?」
「等しいと言うか…和解できると思うんです」

俺は今度こそ本当に思った。思ったから、

「…やはり気味が悪い」

と、言ってやる。
女はそれにまた何か言おうとした為、

「貴様はもう黙れ、若い奴の相手は疲れる」
「…見た目はそんな、歳、変わらないじゃないですか」

女は見た感じ、18歳程だ。しかし、それは見た目で。
天使も魔族も、何百、何千年と生きる種族なのだ。

「俺よりは生きてないだろう」
「こっ、これでも……」
「別に女の歳を聞く趣味はない」
「あの、さっきから、'貴様'とか'女'とかやめて下さい。私には、ハルミナと言う名前が…」

女は、ハルミナはそう言ったが、

「名前なんてますますどうでもいいだろう。俺に名乗った所で、何も意味を成さないだろう」
「名前は大事ですよ。挨拶の基本です。昔、魔界でお世話になった方が言っていました」
「…理性がある以前に、呑気な魔族も居たものだ。しかし、そんな魔族であればもう、始末されて…」
「そんな、酷いこと言わないで下さいっ!」

そこで初めてハルミナは怒るような声を出した。
余程、その魔族が大切なのだろう。天使のくせに。
しかし……

「貴様、本当に気味が悪い上に、目障りで耳障りな奴だな」

俺は牢屋の鍵を挿し込み、

――ガチャ

と、開けてやる。

「……え?出して、くれるんですか?」

ハルミナは戸惑いながらそう聞いてくるので、

「いや、ナエラではないが、少しムカついた。もう一度、気絶させてやる」
「え!?」

俺が右手に魔力をこめれば、ハルミナは怯えた目をして後ずさる。
まあ、当たり前の反応だ。

俺は'悪魔'。
魔王様の次に力を持つ。
そのことを知らないハルミナも、直感はしているのだろう。
本気を出して気絶させる必要はない。
本気を出せばこいつは死ぬ。
しかし別に殺す必要はない。
天使の捕虜なんて、滅多に捕れないからな。

ただ、あまりに煩くて綺麗事しか吐かない奴は、魔界には気味の悪い毒でしかない。

狭い牢屋だ。
ハルミナに逃げ場は無い。

「じゃあな、またしばらく眠っていろ」

俺は魔力を軽く溜めた右手をハルミナに向けて言った。

「っ!!?」

――ドンッ

鈍い音。
俺が放った魔術の音ではない。
俺は咄嗟に、手に溜めた魔術を消した。消さなければ、危なかった。
…危ない、なんて、この俺に…

「き、貴様っ…」

ハルミナに逃げ場は無い。
だが一つ、牢屋を開けたのが、俺の汚点だった。

魔術を放つ寸前、ハルミナは俺の胸に飛び込んで来た。そのまま俺は体勢を崩し、床に倒れ…
鈍い音は、俺が床に頭を打ち付けた音だ。
あのまま魔術を放っていたら、危うく城を少し破壊していたかもしれない。

俺は上半身を起こし、自分の胸に飛び込んだままのハルミナの前髪を鷲掴みして、

「貴様…この俺にふざけた真似をしてくれる!捕虜などどうでもいい、この際、殺…!」

しかし、俺はハルミナの様子に言葉を止める。

全身ガタガタと震えていて、目からは涙をボロボロ溢していて…
意味のわからない行動に、意味のわからない言葉を吐くのに、なんなんだこいつは…

「…お、おい」

なんて、俺は間抜けな声を掛けてしまう。鷲掴みした前髪を離してやった。

「うっ……な、な、なんでも、ありま……う…」

これで、これだけ恐怖して、なんでもないはないだろう。
今の天使と言うのは、こんななよなよしているのか?
これでは、怯える下魔と変わりないではないか。

「おい貴様、いつまで人の上で…」
「き、貴様なんかじゃ、ない、です、うっ…うぅ」
「…」

この天使は、少しおかしい。魔界が好きと言う時点で、おかしい。
しかし、扉を開けるのは位の高い天使だけ。

「……ハルミナ。わかったから、牢屋から出してやるから、落ち着け、泣くな。落ち着いて、もう少し詳しく話を聞かせろ」

俺は何をしているんだ。
悪魔だぞ、俺は。
しかし、このハルミナ。
先ほど出会った時も、牢屋での会話も、俺を前に虚勢を張っていただけか。
いや、それでも…この俺の調子を狂わせるのは、こいつの持っている何か、か。

「うっ、ひっ……ぅ」
「…だから、泣くなと言ってるだろうが」


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