片恋
※元々は38話に上げたり上げなかったりした話です。(どっち)話の前後は一緒なので、心の目で繋げてお読み下さい。
AM10:00前。
色々あった一晩も、ようやく目的地に到着した。駅では何年か前に流行りに乗せられ作ったと思われる猫のゆるキャラが出迎える。朝は途中の駅で駅弁を買うのに降り立った。牛肉のわっぱ飯にしようか、幕の内弁当にしようか、悩んでいるところを横から狗巻にひょいと取り上げられ、自身の分を含めた三つのお弁当を買ってくれた。結局二つとも食べてしまったのに、昼にはなまえが贔屓にしている夫婦が営んでいるお蕎麦屋で、十段重ねの割子蕎麦まで食べた。
そして現在、夕方までの時間潰しに二人でゲームセンターに来ていた。狗巻と一緒だととても楽しい。射的のゲームをしたり、パンチングマシンをしたり。真希だったらきっと新記録だねと笑い合う。仙台の時は仕事が念頭にあった上、想定外のことも起こってしまったから楽しむどころじゃなかった。
でも、今日は違う。純粋に、二人で過ごす休日が楽しい。この地に降り立って、楽しいと思えたのは初めてだった。
「ねっ棘、見て見て!パンダがいる!」
目に付いたのはUFOキャッチャーの中身。小さいパンダのぬいぐるみのキーホルダーが転がっていた。
「このパンダ、パンダに似てない?」
「おかかぁ」
「え〜似てるよ、ホラちょっと綿が詰め過ぎなところとか」
そう言うと狗巻は笑った。パンダが、パンダに似ている。他人が聞いたら可笑しな会話だろう。前者が普通名詞で、後者は同級生を示す固有名詞。きっと、二人にしか分からないこの会話になまえも笑う。楽しいなぁ、こんな、普通の高校生みたいなことが出来るなんて。そんな思いを噛み締めるなまえの横で、狗巻は財布から小銭を取り出して投入口に入れた。
「え、やるの?」
「しゃけ!」
力強い肯定だった。力瘤を作ったその腕がUFOキャッチャーのアームを動かす。正面と、真横からと位置を確認しながら繊細に動かすそのアームが、特定の位置で止まった。ゆっくりと下ろして開いたその腕が、小さいパンダを掴む。
「すごいすごい!棘上手ー!」
落ちたパンダのキーホルダーを取り出し口から拾った狗巻は、少し得意気な顔だった。こんなことまで器用にこなしてしまうなんて、本当にずるい。
「…くれるの?」
「しゃけしゃけ」
「嬉しい、ありがとう」
差し出されたパンダを受け取る。ふわふわしてるけど、綿が詰まって意外にがっちりしている。やっぱりパンダに似てる。嬉しそうに両手で包んだパンダのぬいぐるみを、なまえは自分のリュックに付けた。揺れると一緒に付いてる小さい鈴が鳴る。
「…可愛い。なんか、あれだね。パンダのこと好きなんだと思われちゃうね」
「……おかかっ!」
「え、え〜大丈夫だよ、だってパンダだよ?」
何が大丈夫かと言われるとなまえも分からないが、でもパンダだ。それ以外の言葉はない。それでも狗巻は、再びUFOキャッチャーに小銭を入れて動かし始めた。さっきと同じような軌道を描いたアームは、二個目のパンダを掴み切った。こういう良し悪しは正直分からないが、こんな簡単に取れるものなのだろうか。
「棘、上手過ぎない?よく来るの、ゲームセンター」
「おかか、明太子!」
「たまたま?本当にー?」
そう横目で笑うなまえと同じパンダのぬいぐるみを、狗巻も自分の荷物に付けた。同級生の形をしたぬいぐるみキーホルダーをお揃いでつける。なんだか急に恥ずかしさが込み上げて来た。
「お揃いでいいの?恥ずかしくない?」
「しゃけ、すじこ」
「え〜?」
狗巻は、本当に何も思っていないのだろうか。なまえはふと疑問に思った。二人で遠い地に来ること、一緒の部屋で寝ることになってしまっても、お揃いのキーホルダーをつけることにも。狗巻はきっと知らない、なまえが狗巻を下の名前で呼ぼうとする度に、心臓が音を立てること。嬉しくて、何度でも呼びたくなってしまうこと。
ゲームセンターを出て、ようやく千家の家へと向かう道。少し日が傾き始めた時間を歩く。隣で歩く狗巻の荷物から、お揃いのパンダのぬいぐるみが揺れる。二つの小さな鈴が鳴る。本当は、同じように揺れる狗巻の手を、繋ぎたかった。
もし、もしも、なまえが狗巻の手を取ったとしたら。きっと狗巻は驚いて、でも困ったように笑って、繋いでくれるだろう。狗巻は優しいから。どこまでも、優しい人だから。拒むこともせず、受け入れてくれる。でもその優しさはなまえにだけじゃない、この先、狗巻の前に別の新しい相手が現れたとしたら、きっとその人にも優しくする。嫉妬、なんて烏滸がましい。自分に、そんな権利は露ほどにもないのだから。心臓が今度はちくりと痛んだ。
" ねぇ、棘は気付いてる?私は、今この時間を、デートのように思ってるんだよ "
そう、言えたらどんなに良かっただろう。狗巻は、どんな顔をしてくれるだろう。
歩くに連れて、周りは住宅も人の気配すらない場所に辿り着く。なまえのそんな気持ちすら塗り潰すように現れたのは、三メートルは優に超える黒い塀に覆われた『千家大社』、その跡地。なまえが6歳まで生まれ育った、その家だった。
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