34.


雲のない夜になった。冷えた風の中で月が冴えている。
安置所の前でなまえは立ち尽くしていた。あれだけ重傷を負い、いくら家入の治療を受けた身体でも安静だと言うのに虎杖は姿を消した。家入は立腹だ。だからこうして探しに来たというのに、扉の中から聞こえてくる七海の声に入る頃合いを完全に逃した。
虎杖の、数ヶ月前までは普通の高校生だったと言うのに、端々で聞こえてくる言葉は術師として、呪いに侵された言葉ばかりだった。"正しい死"、なんて考えなくても良い世界に彼はいたのに。もたれた混凝土の冷たさが背に伝わる。笑っているかのように浮かぶ三日月が、嫌に憎い。


「………いたんですか」
「少し前から。何か入り辛くて」
「別に、大した話はしてませんよ」
「そうかな、」


静かに響くなまえの声は澄んだ空気に溶ける。荒んだ心に沁みる、落ち着く言葉に七海もなまえの隣で同じように扉に背を預けた。


「私に術式が通用しなかったのは、私の裡にいる神様のお陰なんでしょうね。……虎杖君と、同じ」


"無為転変"を唱えられたあの時、今まで感じたことのない感覚があった。精神のもっと深い、心など一言で表せないような場所で掻き乱される、気持ちの悪い感覚。"私"ではない、"私"。なまえ自身で、裡なる神々の存在を認識することは皆無だった。命の危険が迫った時、自分の力ではない"何か"に守られる一時でしかその存在を垣間見ない。散々言われてきたし、裡に"いる"ことは分かっていたのにそれを無理矢理に押し付けられたような。やっぱり普通じゃなかったんだな、そんな事実だけが残された。まあ、普通なんて求めたことはないけれど。


「虎杖君は、…貴女に似ていると思いました」
「え…そうですか?まあ、宿儺も神もあまり変わりないですもんね」
「そういう意味ではありません」


腕組みした七海の少し険しい顔が若干崩れる。


「虎杖君もなまえさんも他人を優先し過ぎるでしょう」
「いや……」
「まあ、今日はそのお陰で助かったんですが。しかし君達は、何処かで"自分は死なない"と自負している。考える前に行動しているだけかもしれませんが、」
「只の阿保じゃないですか」
「そうですね」


自虐を含んだつもりだったのに、七海はあっさりと肯定した。覗き込むように腰を曲げて見ようとするその表情も、透明な空気のように涼しい顔をしている。なまえも諦めて息を吐いた。


「別に死なないとは思ってないですよ。人は、いつか死ぬ。さっき七海さんも言ってたじゃないですか」
「立ち聞きとは良い趣味で」
「違いますって、」


さっきから茶化してます?と疑いの目を向けると「まさか」とやはり涼しく言った。


「七海さん。私は、"死に急ぐ"って言葉が嫌いなんです」
「…………」
「死は万人に平等、その通りですよ。でもね、自ら死を選びに行くことは許されちゃダメなんです」


伏黒と始めて合同任務に就いたのは、自殺の名所として知られている場所だった。自ら死を望む負の感情に沸いて出た呪霊。そしてなまえを産んだ実の母も、自害のうえ呪霊へと転じた。その最期は何を想い、何を見たのだろう。なまえから吹き出すような乾いた笑いが口から漏れた。


「呪術師が何言ってんだ、って話ですよね」
「…………いえ」
「私達は、不幸に見えますか?可哀想だと、思いますか」


呪いが視える人間は一握り。術師になるのも、上級に上り詰める人間も、さらに篩にかけられた人間しかなれない。その中でもなまえや虎杖は特に稀有な存在なのだ。だからこそ、五条や家入、七海、沢山の大人が手を差し伸べてくれた。信頼出来る、仲間も出来た。


「私はあの日、最初に見つけてくれたのが悟と七海さんで良かったって思ってます」
「私は、また五条さんが面倒な仕事を持ち込んで来たなと思ってました」
「あはは、酷い…と言いたいとこですが、そりゃあそうですよね」


そう笑った顔はあの頃と変わりはない。たった6歳で背負った使命に、曇りなき眼で真っ直ぐに前を見続けて来た。虎杖からもそれと似た決意のようなものを見た、気がしたのだ。


「それで東京に来て、七海さんに鍛えてもらえて、硝子さんに出会って。東京校に入学出来たこと、」


同級生に真希、パンダ、乙骨、そして……狗巻棘に出会えたこと。忘れていた記憶と再会、今想っている気持ちも。


「全部、全部私は運が良かったなって」


これも、神様の加護のお陰ですかね?
今にも片目をつむって見せるのではないかと思うほど悪戯っぽく笑うなまえに、七海は思わず呆れた。大人のこちらが重く受け止め過ぎているのか、彼らがそう思わせないようにしてるのか。そう考えていること自体が、既に重いのかも知れない。
さてと、となまえは寄っ掛かった背を起こす。


「また虎杖君共々、ご指導宜しくお願いしますね、ナナミンさん?」
「……それは止めてください」


珍しく本当に嫌そうに歪んだ表情に、また同じように笑って七海と別れた。虎杖を迎えに来たことなど忘れていて。
一人になると寒さが急に染みてくる。
もう寮まではそこまで距離はないほどまで歩いたところで、悩んでいたがやっぱり、と一つの名前を選んで通話をタップした。


「もしもし、棘?………うん、ちょっと前に帰って来たんだ。………うん……、うん、ただいま。…大丈夫だよ、」


ワンコールも経たずに聞こえてくる声。通話の奥で、見えない手振りをしてくれているんだろう、と想像が出来てしまって。そうすると、無性に会いたくなってしまって。耳をつくのはおにぎりの具なのに、それがとても心地が良い。目を瞑るだけで胸がきゅっとする。
暫くして男子寮からテンポの速い足音が、遅れてスマホからも聞こえてきた。通話を切るのを忘れたままその手を下ろしたなまえは、目を細めながらその入り口を見つめていた。




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