33.


改造人間3体を倒し、七海を助けようと屋上から飛び降りた虎杖が目にしたのは、今まさに真人により姿形を変えられそうになっているなまえの姿だった。


「っ!!みょうじ先輩!!!!!」


喉が焼き切れそうな叫びを上げる。
しかし無情にも真人は"無為転変"を唱えた。
ああ嫌だ、また目の前で人が死ぬんだという、血を吐くような絶望が胸を占める。思い出すのは、自分が死んだことになってから、あの暗く湿っぽい地下室にいつも来てくれて、気にかけてくれていたなまえの笑顔だった。


「真ぁぁぁ人ぉぉおぉお!!!」
「いけない!虎杖君!!」


七海の制止の声を振り切って、真人に殴り掛かろうとする虎杖。しかし真人の"無為転変"を受けたなまえだが、一向に姿が変わる気配がない。それどころか、自身の顔面を掴んでいる真人の手を掴むと、振り子のように脚を後ろに揺らすとその勢いのまま、真人の腹部を蹴り上げた。吹き飛ばされる真人がコマ送りのように見えた。なまえがやったことなのかも、見ていた光景が現実的に思えず虎杖は立ち尽くす。ようやっと地に足を着けたなまえは、掴まれていた頭部の痛みを払うように左右に首を振った。


「っ、痛った………」
「なまえさん、大丈夫ですか」
「いやいや……いきなり頭鷲掴みします?めっちゃ痛いんですけど」
「………相手は呪霊ですから」


ぐぐっと寄せた皺を伸ばすようになまえは眉間を摩った。七海との挨拶も状況説明などもせず、さもずっと居たかのように会話を続ける。
この場でなまえに"無為転変"が効かなかったことを理解出来ているのは、おそらく七海だけだった。虎杖と同じく、裡に個ではない他を秘めている。真人の話だと魂の形を変えることによる人体形成において虎杖の宿儺、なまえの中にいる神々の精神のような複数の魂は、干渉の邪魔になるようだ。


「ん〜?何、君?なんか凄く気持ち悪い」


真人は蹴られた箇所に触れ、けほっと小さく咳をした。しかし放たれた言葉はなまえに思いの外ダメージを与えた。「気持ち悪い……」と半ばショックを受けたように唖然と呟いた。そんな彼女に気にしないように、と気休め程度に宥めていると、虎杖が戻ってきた。その顔は焦りとも戸惑いとも取れる表情をしている。


「みょうじ先輩?!えっ、大丈夫?っていうか何でここに?!?」
「落ち着いて虎杖君。伊地知さんから連絡受けたの。私は大丈夫だけど……虎杖君こそ、大丈夫?」
「大丈夫!」


そう、と息を漏らすようになまえはとりあえず肯定した。ちらっと七海に視線を移したが、その顔色に変化はない。他人の心配よりも、虎杖の方が余程重傷に見えたのだ。烏色の制服に滲む濃い染みはおそらく血の跡。しかし今は虎杖の"大丈夫"という言葉を信じて、目の前の敵に専念する他ない。


「話は後です。今は、」
「コイツをぶっ倒す!!」
「援護します」


タイミングを見計らった訳でもなく、七海と虎杖は同時に真人の元に駆け出す。
速い。一級術師である七海のスピードに虎杖は付いていっている。いや、虎杖の方が速いかも知れない。これは、2人の独壇場だ。真人はもう、手も足も出せない。一方的な、暴力と言う名の正義。あの地下室の映画観賞から数日、五条の手解きがあったとは言え目まぐるしい成長だ。こんな状況だというのに、なまえはそんな虎杖の姿を見て、片方の広角を小さく上げた。が、それをすぐ紡ぐことになったのは、真人から放出される今までとは異なる呪力の形。声を上げた時にはもう、遅かった。


「ナナミンっ!!!クソっ!!!」


なまえは目の前に広がる暗闇が、心情なのか現実なのか一瞬俯瞰にいるような気がした。それを引き戻してくれたのは、虎杖の殴る鈍い音と必死な声だった。
七海が領域に引き込まれた。その事実は、イコール"死"に直結する。胃から喉を伝り、口の中で鉄の味がする。動いていないはずのなまえの額に汗が滲む。気持ち悪い、身体は冷たいのに心は熱い。


(ダメ、嫌だ…七海さんっ……死んじゃ、…っ)


考えるより早く足が出た。闇雲に領域を強打する虎杖に叫ぶ。


「虎杖君!!!こっち!ここから破って!!」


円球に広がる領域の上部から叫ぶ。呪符を握る手からは閃光の如く突き刺した簪が鳴っている。
多分、この領域は生まれて間もない。まだ洗練されていないのだ。でなければ、普通はこの場にいる全員を領域内に入れるはず。もしくは、虎杖となまえを自身の地雷と読み、敢えて外したか。どちらにしろ、七海を助けるには破るほかない。それでも千家家の簪をもってしても、なまえの力では破るに至れない。悔しいがそれが自分の実力だと受け入れるしかないが、今は一人じゃない。虎杖がいる。
虎杖が拳に力を入れて、なまえの手元に向かって振り下ろす。硝子が割れるような亀裂音とともに結界が破れー、


「?!ちょっ、……!」


何の迷いもなく虎杖が領域内へと踏み入れ、驚愕した。その、余りにも躊躇が無さ過ぎて。本来入れたら"勝ち"が確定するような領域に自ら入ることはしない。なまえはハナから七海をこの中から"連れ出す"ことしか頭になかったが、虎杖は"真人を祓う"ことしか考えていなかった。
その一瞬の行動に見た、呪術師としての在り方。虎杖悠仁の呪術師としての素質。
それを目の当たりにして、何かを思う前に広がる視野に映ったのは、肩から吹き出す飛沫を抑えて両膝から崩れて落ちる、真人の姿だった。
領域後の呪力消費に加え、負わされた手傷の大きさ。祓うならば、今しかない。思いが一致する。

虎杖の覚醒した自我を占める思想は、ただ"真人を殺す"という透明な殺意。込めた拳を肥大化した真人に撃ち込むが、会心の一撃も風船のように破裂した音と共に感じるのは、手応えのなさだった。
何処、何処に行った。残された残穢を追う。ここで逃すわけにはいかないと、呪符を握る手が熱を持ち、ふやけそうになる。


「バイバぁ〜い」


楽しかったよ、と巫山戯た挨拶を残して排水溝へ吸い込まれていく。結界を張ろうとした一瞬すら、逃げられる、と理解してしまった。


「待て!!」
「七海さんっ」


勢い良く振り被った鈍も、七海の舌打ちに全てを悟る。


「私達も追いましょう」
「はい!」


しかし、その背後で落ちた音と振り返った映像になまえの身体から、冷や汗が吹き出すのが分かった。


「虎杖君!?」


目が、肌が血の気を失ったように白くなっている。不味い。駆け寄った七海の声も届かないまま、虎杖の意識は遠退いていく。


「私が治します!七海さんは追ってください」


制服を脱ぎ、ワイシャツの袖ボタンを外して捲る。まずは止血からだ。と仰向けに起こした虎杖の身体に手を翳す。


「いや……あっちは猪野君に連絡しましたので、任せましょう。ここにはまだ学生がいるようです。なまえさん、お願いしていいですか」
「大丈夫です。その為に来ましたから。外に伊地知さん含めて補助監督を集めてます。重傷者から運びましょう」


虎杖の身体に流れる血が止まっていく。先程よりも顔色が戻ってきたようで安心から額を拭った。応急処置を済ませ、七海が虎杖を担ぎ上げる。それがまるで終わりの合図のように、頭上から"帳"が晴れた。呪霊が去ったのだから、なまえが下ろした"帳"は役目を終えた。
似つかぬ高く広がる空が、呪われた世界をまるで羨むように見下ろしていた。




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