31.


暦は9月になった。まだ夏の暑さが残り香として染み付いている頃だった。
虎杖は例の"重めの任務"に就いているらしく、以前のように頻繁に映画を観ることはなくなった。虎杖が実力的に十分なのは分かっている。ただただ、なまえは虎杖の精神面において大きく心配していた。


「悪かったみょうじ、やはりお前に頼むんじゃなかった」
「どうして?…………大丈夫だよ」


手袋とマスクを外しながらなまえは家入に答えた。ちょうど今、2体の御遺体の解剖を終えたところだ。2体、と呼んでいいものなのか。横たわるその御遺体は、今や人間の姿とは程遠い。どちらかと言うと呪霊に近い姿をしていた。だが本来、呪霊を祓えば姿は消えてしまい、残らない。だからこそ目の前で解剖されたそれは、人間なのだという事実が否が応でも押し付けられる。

.

月曜日の或る日、朝から高専の医務室は慌ただしい。神奈川県川崎市のとある映画館から変死体が3体見つかったと連絡があり、家入は朝から解剖室に篭り切りだ。呪術界にとったら週始めなど関係ないが、それでも月曜日からと嘆く。その3人は高校生らしき制服と身分証があった為、個人の特定に時間はかからなかった。解剖自体も変形した頭部のみで済んだのだ。
しかし、その後さらに運ばれて来た呪霊へと改造された人間を前に悩んでいた。前例の3人は辛うじて人間としての節は見えた。が、これから解剖を始める2体は前の3人とは変態の仕方が違った。さすがにこれは人手が一人では足りない。では誰を呼ぶか。ただの手伝いなら迷わずなまえにする。しかし、今回は違う。この事例をなまえに見せるのは余りにも酷では、と思ったからだ。
そう思いながらも結局なまえを呼び出したのは、家入にある思惑があった。それは、なまえに医師としての道を諦めさせること。呪術師で術式を持ちながらも、他者への反転術式をも使えるなまえは今や現場で重宝される存在だ。しかし彼女にとってその才能がなまえの足枷になっているのでは、と家入は最近のなまえを見て思うようになった。それに、医師しかも呪術界の医師は甘い道ではない。仲間の死も常に受け入れ、それでも前を向き続けなければならない。

なまえにその覚悟があるか。否、それは難しいと思った。覚悟がない訳ではない、みょうじなまえは優し過ぎる。その温情は時に自らをも蝕む毒となりそうな程に。
だからこそ酷だと知りながら現実を突き付けるつもりで呼び出したが、家入のその考えは意外にも覆されることになる。現場を見たなまえは一瞬動揺したような表情を見せたが、すぐに戻した後はいつも通りの処置をして見せた。その態度を見て思い出す、以前虎杖の一件のことで"私情を挟むな"となまえに言ってしまったことを。ああそうか、その言葉すら、呪いとなるのか。


「硝子さん」


視線は床に伏せたまま、その表情はなんとも言えない顔をしていた。呼ばれた名前に短く返答する。


「これは、…………呪霊の仕業?それとも、…呪詛師?」
「呪霊、だろうな。七海の話だと監視カメラには何も写ってなかったらしいから」
「そっか」
「みょうじ、」


泣く、かと思った。なにかに耐えるよう眉間に力を入れ、口を強く結ぶ。なまえの事を五条と七海が保護して、初めて出会ってから10年、そんな顔をするなまえは見たことがなかった。だが違う、泣きそうなのではない、これは。


「虎杖君は…………大丈夫かな」
「……………」
「あの子、凄い優しい子なんだと思う。自分が、殺しちゃったって………気にしてないかな」


どうしても、気にするのは他人のことばかりなんだな。その自身に宿った感情をも制御して、優先するのは自分以外のことで。しかしその懸念は家入も気にしていることではあった。そして、虎杖となまえは似ている。見た目云々ではない、根の部分が何処と無くという意味でだ。それで肩入れしていると思うのは、余りにも私情が過ぎる。


「それは、私の方でフォローしておく」
「うん。………お願い」


家入の言葉に、何処かほっとしたように目元を緩めた。そして白衣を脱ぎ捨て背を向けるなまえに向かって、家入はもう一度呼びかける。振り返ったその目はただの学生ではない、呪術師として既に向けるべき相手へと向けた意志を感じた。


「呪霊なら、いずれお前も遭遇するかも知れん。出会ったら迷わず逃げろ、祓おうとするな。お前がどうにか出来る相手じゃない」
「……うん。分かってる。大丈夫だよ、ありがとう硝子さん」


背を向けたまま振り返ったなまえは、少しだけ笑って出て行った。
きつい言い方だったかも知れない。面と向かって「お前は弱い」と言われたようなものだろう。しかしなまえも家入の言いたいことは分かっていた。只の念押しではなく、心配してくれているのだと。

"大丈夫"。彼女のその言葉ほど信用ないものはない、と今はもう部屋を出たなまえに向かって家入は肩を落とした。他人のことは心配するくせに、自分のことは大丈夫だと信じて疑わない。勿論、その信ずるところが加護の力由来なのは分かっている。しかしなまえは、もう少し自分を大事にすることと、自分のことを心配している人間がいることを分かって貰わねばならない。

なまえのあの、心の底から、目の奥から感じる湧き上がる悲しみは。あの表情の真意は、"怒り"だろう?
その怒りが、向けるべき相手へと呪術師としての宿命を彼女も背負っているのか。やはり、なまえは医者になるべきではない。何があっても、例え現場で仲間の命が脅かされてもこの白い箱からは出られない。ただ、負傷した仲間を待つことしか出来ない状況を、なまえは耐えられないだろう?あの子は仮に仲間に危険が迫ったとしたら、自ら動く以外の選択肢はないだろうから。
だからこそ家入はこの高専の医務室で今日も待つ。いつ、誰が運ばれて来ても良いように。呪術師としての誇りを背負った小さい背を思い出しながら、まるで煙草の煙を吐くように家入は細く呼吸をした。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -