22.


なまえは焦っていた。
あれだけお願いしておいて、遅れるなと念押しまで頂いて、時計は今ちょうど2時を指している。なんだか上手いこと実習を抜け出す理由がここにきて思いつかなかった、というのは言い訳だ。
慌ただしく身支度をしてマスクを着ける。ゴム手袋は部屋に入ってから着けよう。片手に束ねて、扉に手をかける。冷静に、冷静に。自分に言い聞かせるように、感情の制御に全神経を注いだ。


「硝子さん、ごめん遅れちゃっ、」


て。と入ったなまえに幾つか視線が注がれるのを感じた。しかし、今瞳に映っていて視線がかち合っているのは一人の少年だった。………全裸の。
いや、解剖は男も女も立ち会ったことがある。同級生には言えないがソレを見ることに恥じらいはない。だけど生きている人間となると話は別だ。仁王立ちで全裸男性が予期せずに現れれば嫌でもその逸物が目に入る。
なまえは額に手を当てて視線を外すようにくるっと背を向けた。


「…………………………露出狂?」
「違うよっ?!??」


呟いたそれに間髪入れない突っ込みの否定と、下品な笑いが背後に聞こえる。顔を少しだけ右に向けると、爆笑する五条とそれを焦るように宥める伊地知の姿があった。首を下げ、肺いっぱいに息を吐く。床しか見えない視界に家入であろう靴が入ってきたので顔を上げた。


「………どういうこと?」
「見ての通り。生き返った」
「硝子さんが治したの?」
「まさか。そんなん出来たら神だろう」
「宿儺の反転術式だろうね」


いつの間にか壁際から移動した五条は、家入となまえの会話に割って答えた。


「反転術式……」
「凄いねぇ、心臓まで治しちゃうなんて」


五条が虎杖の方に視線を送ると、ちょうど伊地知がかき集めてきた服に袖を通しているところだった。とりあえず露出狂疑惑は晴れそうだ、となまえもほっとしてようやくその姿を見ることにした。
桃色の髪は地毛だろうか。それ以外は本当に普通の男子高校生で、伊地知と話すその表情と声色だけで(あ、この人は根っから明るい子なんだな)と理解した。ともあれ、生きてて良かった。


「ねーえ?なまえもうちょっと『キャー』とか女子高生らしい反応しないの?」
「…すみませんね」
「それか、もしかして何?もう見たことあるとか?」


にやにや顔が目元を隠しても全く隠しきれていない。これが教師の言うことか?となまえがこんなに呆れた顔を向けるのは五条だけだろう。


「………誰の、とか聞かないですからね。そろそろ本当にセクハラで訴えますよ」
「いいぞ。私が証人してやる」
「ねー、硝子さん。これ訴えたら勝てるよね?」


悪そうにニヤッと笑った家入になまえも同じように薄く笑った。五条はと言うとさすがに居心地が悪くなったのか、音も立てずその場から立ち去り虎杖の元へ寄って行ったようだ。


「でも、まあ…良かった。生きててくれて」
「私はちょっと残念」
「あはは」


家入の感情は読みにくいが、何だかんだ医師として一番楽しみにしていたのか。勉強するつもりだったのはなまえだけじゃなかったのだと声を出して笑った。


「はあ〜、じゃ、私は戻ろっかな」
「いいのか?虎杖に会っていかなくて」
「うん。いいよ、後輩だもん。いずれ会うよ」


今会って行くのは何だか違う気がした。彼からしてみたら自分の裸を見られた、という羞恥の事実しか残らないが。なまえは虎杖から見えないように家入の陰に隠れて様子を伺う。もう虎杖はなまえの存在など気にせずに、五条と伊地知と話していた。また皆と一緒に会えることを楽しみに。そう未来に期待して家入に声を掛け、バレないように解剖室を後にした。


「なまえ!」


数メートル進んだところで呼び止められた声が、五条だと言うことはすぐに分かった。振り向いた目の前には五条の鳩尾辺りが立ちはだかり、大きく首を反る。近くに来られると見上げる首が痛いから五条とは少し離れた距離が丁度いいのに。


「何ですか?」
「悠仁のことだけど、皆にはまだ黙ってて欲しい」
「それは…いいけど……」
「あの子にはもう少し力をつけて貰いたい。だから、なまえにも手伝って貰うからね」


笑っている顔に何処か企みを感じて背筋が冷えた。頭に降ってきた掌と重力に耐えきれず膝関節が折れる。乾いた笑いが頭上から聞こえた。ムッ、と眉を寄せて顔を上げたら既に五条は背を向けていた。手をひらひら降って「よろしくね〜」と緩く放つその背中を追いかけようとは全くもって思わなかった。




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