19.


さて〜、とついさっきまでの張り詰めた緊張感が溶けたような物言いでなまえが言ったのは、外へ出てビルを覆っていた"帳"を上げた時だった。


「言い訳の報告をしますかー…」


がっくり、と肩を落として吐露するなまえに釘崎は「言い訳?」と聞き返す。


「結局祓っちゃったからね、呪霊。もし面倒になったら野薔薇も一緒に謝ってね?」


軽く笑ったなまえは電話をかけようと少し離れる後ろ姿を釘崎はただ眺めていた。時折応答する声が聞こえてくる。名前を呼ぶに、どうやら相手は伊地知らしい。


「あ〜、いや、それが祓っちゃって。……はい。そうなんです、ちょっと、色々あって。…………それで、え?あ、怪我はー、ないです。大丈夫です。あ、でも一応帰ったら釘崎さんは硝子さんに診てもらおうかと……」


どこまでも人のことばかりなんだなぁ、と聞こえる声に釘崎は思う。呪霊を祓うことが呪術師の仕事だというのに、気にするのは元々担当している術師のことばかり。身体を気遣うのも自身のことよりも釘崎のことばかり。そういうなまえはそういえば大丈夫なのだろうか、と釘崎はふと思った。呪霊と対峙していたのは彼女の方なのだから、と気付いたが見える限りでは無事なように見えた。


「………で、報告書は私が明日挙げるので。……はい。あ、それで…元々この任務を引き継ぐ予定だった術師の方なんですけど……」


変わらず伊地知と話しているのを遠目でぼっーと見ていた。しかし急に背後から呼ばれた自分の名と聞き慣れた声に振り返る。


「お前、こんな所で何してんだ」
「こんぶ」
「ハァ?!伏黒ーっと、狗巻先輩。そっちこそ何してんのよ?」
「任務」


端的に答えた伏黒の後ろで狗巻も肯定するように頷いた。「任務」という言葉にあっ、と気付いた時にはすぐ後ろでなまえが戻って来ていた。


「あー…、今。今会いました。……はい、あとはこちらで。はい、…はい。すみません、有難う御座います。はい、失礼しまーす」


伊地知との通話を終えたなまえは釘崎越しに伏黒と狗巻を見て「おつかれさま〜」と手を振った。


「みょうじ先輩まで。何してんですか」
「何って、アンタねぇ!伏黒のくせになまえさんを前座に使うんじゃないわよ!」
「はあ?」
「あはは、いいよ野薔薇。伏黒君、そんなこと知らないもん」


でもー、と口を尖らす釘崎を宥めながら結局なまえはいつものへら〜とした笑いのまま「それより、」と伏黒に向けて片手を上げた。


「呪霊、祓っちゃった。ごめんね」
「え」
「ごめんね」


続けて二回謝るなまえに面食らう伏黒と首を傾げる狗巻に、全く悪びれる様子なく笑う。正直祓除予定の術師が伏黒達で安堵していた。"祓った"という事実を別の人に知られることをやや危惧したからだ。元々加護の力がありつつも"祓えない"術師として認知があったなまえが、"祓える"ようになったこと事実を知られると少し厄介に思っている。特に上層部には。ただ冥冥に教えを乞いたことは風の噂でうっすら流れていたため、まあ時間の問題だと思っていたしこの先知られる分にはしょうがない。それでも今は目の前にいるのが伏黒と狗巻で良かった。やはりあの呪霊は二人の分野だったな、と思い出す。


「祓った、って…は、誰が?」
「だぁー!伏黒アンタちょっとこっち来なさいよっ!!」


訳も分からず釘崎に引っ張られていく伏黒を見てくすくす笑うなまえの隣に狗巻は立った。「別に構わないのに」と零しながらも詰められる伏黒を助ける気はないらしい。笑う口元から手を下ろしたなまえは少し見上げて狗巻と目を合わせる。


「棘もごめんね。せっかく来てくれたのに。今日は伏黒君のサポートだったの?」
「しゃけ」


納得するようになまえも一回頷いた。入学した一年生は暫く二年と同行するのが恒例だった。祓い方は十人十色。術師の数だけあるその祓う方法を見ておくのも勉強の一つという高専の方針だ。なまえが以前伏黒に就いたのもその一環、釘崎とも別日程で組まれていたが今日はイレギュラーだった。今回狗巻が伏黒に就く番だったのだろう。


「だよね。だって伏黒君と棘に誂えたような呪霊だったもん」


そう言って呪霊の話を始めるなまえを見ながら、その姿を見ながらも狗巻は話を遮って言葉を発した。


「こんぶ。…高菜?」
「え?大丈夫だったよ。でも、野薔薇は暫く呪霊に捕まってたから呪力に充てられちゃってるかも。帰ったら一応硝子さんに診てもらって…」
「おかかっ」


離れたところで伏黒に何やら小煩く言う釘崎は、失礼ながら家入に掛かるほどには見えなかった。あれだけ元気そうなら十分だろう。それより、とまたもや遮って否定を口にした狗巻は下ろされたなまえの右手をそっと掴んでゆっくり上げる。


「っ!いッ……!」


〜〜〜ったくないよお、と態とらしく目をそらすなまえをじとっと見下ろす。
やっぱり。伏黒に謝る時も左手だけを合わせて謝る仕草や、スマホを弄るのも。極力右手を使わないようにするなまえを見て違和感を覚えた。なまえは術式上、どちらでも字が書けるようにと両利きである。仮に利き手が使えなくても支障はない。が、


「おかか」
「……大丈夫だよ?ほら、私すぐ治るし」
「おかかっ」
「でもでも野薔薇に心配かけたくないしっ」
「お、か、か」
「あっ!いたっ!」


ぎゅむ、と狗巻はなまえの両頬を摘んだ。釘崎に心配かけたくない?じゃあ怪我していると知っているこっちの気持ちは置いてけぼりか。白く柔らかい頬をやや強めににぎにぎしていると「いひゃい〜」と弱った声を上げたのでようやく離す。


「んもぅ〜。棘すぐほっぺた抓るんだから…」


摩りながら拗ねたように言う。それはなまえが分からず屋だからだ、とこっちも対抗するように答えた。意外に頑固なのだ、自分のこととなると特に。


「分からず屋、って」
「おかかっ!すじこ!」
「分かったよ〜。高専帰ったらちゃんと硝子さんに診てもらうから」
「しゃけ。明太子!」
「うん。絶対」


気付かれないようにしてたのになぁ、と聞こえないよう呟いた声も狗巻にははっきり届いた。それでも気付く、なまえのことなら。自分のことよりも何よりも敏感に、俊敏に。そうでないと、なまえは自分のことを常に後回しにしていつも最後にしてしまうから。気付いて、誰かが優先してあげないと彼女は気付かないから。だから、いくら周りから甘いだの贔屓だの冷やかしを喰らっても狗巻とて譲る気はなかった。さすがに恥ずかしいからなまえには言ってあげない、と狗巻は小さく心に決めて誤魔化すようになまえから目を離した。




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -