18.


"透過"出来る呪霊は、自身の攻撃の際には姿を現さなければならない。だとすれば、こちらの攻撃が出来る時もその一瞬のみ。もしくは、姿を"隠せない"ようにすればいい。

聞いたことがあった。呪力を込めた何かしらの液体などを呪霊に被せれば姿が見えるようになる、と。しかしこんな廃ビルに、そんな都合のいいペンキみたいなものもなければ、水道も止められている。ああ、呪符を書く用の墨汁を寮から持って来れば良かった、と後悔をした。


「みょうじ先輩!」


耳に入る自分を呼ぶ声に意識が現実に引き戻される。釘崎は自身の動きを阻む糸に苦戦しながらもなんとか片手は自由になったが、格好は変わらず地面に伏したままだ。
片やなまえは防戦一方だった。徘徊怨霊は姿だけでなく、その呪力の気配までも消すものだから、どこから来るかが分からない。相手の攻撃を防ぐと同時に何とか一矢でも報いたいが、透過する迄のスピードが早くてなまえの結界も体術も空を切るばかりだった。


『ーーーーー捕 ま ェ た ァ"』


その姿を現した呪霊に掴まれるのも何度目か。その度に視界の隅でバタつく釘崎に、威勢が良くて逆に安心するなとなまえは状況に反して薄く笑った。
その目の前で口が開く寸前、なまえは左手に握り締めていた砂塵を投げつける。ビルは最後のテナントが退去してからそれほど日が経っていない。呪霊を躱しながら部屋の隅で集められたのはほんの一握りしかなかった。


『ぎゃアァああぁァあ!』


液体の代わりにはならないが、それでもなまえの呪力を込めた砂塵は呪霊の顔に張り付く。苦しそうに口を閉じようとするその顔面目掛けて左脚を回し上げ、蹴りを喰らわすところまであと寸のところだった。呪霊は攻撃にではなく"透過"に呪力の全てを集めた。なまえの渾身の回し蹴りも、徐々に透過されていく身体を通り抜けていく。消える直前の、やけに薄気味悪い口角が上がった笑みがなまえと釘崎の神経を余計逆撫でた。


「クッッッソッ!!」


そうなまえの脳内を言語化したように吐き捨てたのは釘崎の方だった。


「厄介だなぁ、もう。釘崎さん、大丈夫?」
「いや私は…先輩の方こそ」
「うん私は大丈夫」


片膝をついて釘崎と位置を合わせながら答える。
大丈夫、と去勢を張っては見たものの正直時間の問題だった。なまえの呪符は持ち歩いている枚数に限りがある。防ぐことに使い過ぎた。このままでは呪符が切れる。その前に祓うか、釘崎をどうにか自由にして一旦引くか、そろそろ判断の潮時だった。


「先輩」
「ん?」
「さっき投げたあれ、埃に呪力を込めたんですか」
「ああ…うん。気休めにもならなかったけど。釘崎さん、何か液体とか持ってないよね?」
「…残念ながら」
「だよね」


買った物は洋服がメインのアパレル紙袋。それも今や床に散らばり落ちている。最初それにも目を向けたがなさそうだな、とすぐに別の方法を考えたのだ。結局浅はかな考えで終わってしまったが。


「でも、さっき先輩がやろうとしたこと。それなら私にも案があるわ」
「え?」


その目の奥は確かなる考えがあるように見える。なまえは釘崎の顔を見てふっ、と笑った。


「よし。任せた」


言葉は少なく。立ち上がったなまえは自分のやるべきことを既に理解していた。もう一度呪霊に捕まり、姿を現せさせること。きっと次が最後のチャンスだろう、呪霊とは言え同じ手は何度も通用しないだろうから。
ある程度釘崎から距離を取って、呪霊を誘き寄せる。呪力を感じる前に鼓膜を震わす奇怪な声。執拗に右腕ばかり掴んでくるものだからこっちも割と限界だった。


「先輩!目ェ閉じて!」


呪霊の声に混じって真っ直ぐ入ってきた釘崎の声になまえは考えることなく言葉に従った。釘崎が何をしようとしたのか、何をしたのか分からない。だけど、目を閉じて五感の一つを失った中、研ぎ澄まされた嗅覚に付いたのは女性らしい香料の香り。香水ではない、少し纏わりつくような触感に成程、と笑った。


『…ッ、ギャっ、ギャあァァああああ!!!』


釘崎が地面に伏せながらも金槌で砕いたのは、買ったばかりの"ファンデーション"。釘崎の呪力を帯びた粉は、まさに化粧をする如く呪霊の形をくっきりと浮き上がらせた。


「これで…っ!」


顔を上げた釘崎に映ったのは、結界を張るなまえの背中だった。手のひらを翳し、具現化するそれは疾く繊細で、美しい。氷が張り詰めるような緊張感のある音とともに現れたのは棘状の結界。今までなまえが作り出したモノの中でも見たことがない。
スッ、と音もなくなまえが呪霊に向かって投げつけるまで、一瞬の出来事だった。


『ーーーーーァ』


断末魔の叫びも上がらない。おそらく呪霊も祓われたことに気が付かなかったのでは、と思うほど鮮やかだった。その表現が正しいとは思えないが、そう思うしかなかった。唖然と見つめる背がくるっと向きを変えたと思うと、差し伸べられた手に目を向ける。


「釘崎さん、立てる?」
「え」


うつ伏せになっている自分から呪霊の糸が消えていたことを今になり知る。祓ったのだからそうか、と差し伸べられた手を取って立ち上がった。


「…みょうじ先輩」
「ん?」
「あの、先輩は……祓えないんじゃ、なかったの?」


釘崎の言葉にきょとん、と目を丸くしたなまえは暫くして、まるで悪戯がバレてしまった子どものように無邪気に笑った。


「ふふ。ううん、本当だよ」


半年前までね。恥ずかしそうに笑ったなまえに釘崎も釣られて笑う。きらきらとした笑顔と、呪霊に立ち向かう後ろ姿が、小さく華奢な身体が、なんだかとても頼もしく釘崎の目には映った。


「言わないの?本当は祓えるって」
「まあ、自分で言うことじゃないしねぇ」


釘崎を起こしたなまえは自身にも被った埃やファンデーションの粉をはたくように軽く叩いた。


「それに、結果なんて実力が伴っていれば自然についてくるから」


歯を見せながらにっ、と笑うなまえを見て、素直にああ、格好良いなぁと思った。優しくて好い人、それに加えて強さを垣間見た釘崎は他の二年がなまえを慕う理由が分かった気がした。


「でもさっきは釘崎さんのお陰で助かったよ。せっかく買ったばかりで申し訳ないんだけど」


眉を下げたなまえの言葉に、はっとした。そうだ、あの時は無我夢中だったけど、と釘崎は自分が起き上がった背後を振り返る。そこには無残にも粉々に砕け散ったファンデーションのケースに、紙袋から放り出され肌色まみれになった新品の服達。


「ああーーーっ!!!
ああ…せっかく、せっかくの給料で買ったばっかなのに!!!」


服はギリギリ洗えばなんとかなるかもしれない。幸い透明なビニールに入った服は無事に見えた。しかし、ファンデーションはもう使えないな、とがっくり肩を落とした。その横で残念そうになまえもしゃがみながら釘崎の服を丁寧に拾い上げて畳んでいく。「服は大丈夫そうだよ〜」と緩く言いながら。


「もう、こうなったら次の給料が出たらまた買ってやる。そん時は付き合ってよね、なまえさんっ!」


初めて呼んだ名前。それに気付いたなまえも釘崎をちらっと見て嬉しそうに笑った。


「うん。じゃあー、私もその時に野薔薇にファンデ選んでもらおうかな!」


そう言い合いながら、原宿の喧騒も垣間見ないテナントビルで二人は笑った。




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