宵月


「ねえ、真希?聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」


寮に戻ったなまえは、お風呂に入ってから真希の部屋を訪れた。何があったか、を聞かれたので話していたのだが、真希は携帯片手に聞いているため冒頭の質問に至る。


「いや、まぁ別にいいんだけどさ。携帯弄りながらでも」
「あぁ面倒くせぇな、と思って聞いてるよ」
「ひどくない?」
「お前ら二人、世話が焼けんなって言ってんだよ」


そうして携帯から目を離し立ち上がった真希を追い、顔を上に向ける。


「なまえ、表出ろ。中庭」


短く発したタイマンでも張ろうかという誘い文句に、なまえは目をぱちぱち瞬きしたが、何かを察したのか「え〜嫌だー」と眉をひそめた。


「今はオマエのその顔に似合わない察しの良さは無視すっぞ」
「顔関係なくない?」
「女はもう少し馬鹿な方が可愛げがあんだよ」
「それ真希が言う?」


そんなやり取りを繰り返しながらも、いいから、と腕を引っ張られ無理やり立たされる。こうなっては真希相手に力で勝てるとは思ってないので、諦観を覚える。長袖シャツ一枚だとさすがに寒いため、自室から適当なパーカーを羽織りサンダルを引っ掛ける。未練がましく振り返れば、真希からは手の甲を向け追い払うような仕草をされた。ようやく覚悟を決めて中庭に向かう。が、待っていたのは思っていた人物と違った。


「あれ、憂太……」
「あ、みょうじさん、ごめんね。疲れてるのに」
「いや、いいんだけど…」


少しの緊張を持って向かってただけに拍子抜け、と言ったら乙骨に失礼だな、と切り替えて隣に腰をかけた。


「狗巻くん、喉大丈夫そうだったよ」
「あ、うん……硝子さんに聞いた…」
「あと、怒ってるみたいだった」
「まぁ、それも、うん。なんとなく知ってる…」


狗巻の機嫌が悪い、というか怒っているのはなまえも感じていた。しかしそれを第三者から改めて聞き、気持ちが若干沈むなまえを他所に、「あんな狗巻くん初めて見たよー」と笑う乙骨の対照的な反応に疑いの眼差しを向ける。


「ねぇ、みょうじさん。狗巻くんがなんで怒っていたか、分かる?」
「え、…………私が不甲斐なかった、から…」


自分が子供を見捨てられなかったから。
首を突っ込んだ割には何も対処を出来なかったから。
背を向けることしか、出来なかった、から。
思い当たる節は幾つでもある。しかし乙骨はそんななまえを少し笑って上を見上げる。


「狗巻くんはね、みょうじさんを馬鹿にされたのが許せなくて、怒ったんだ」
「………………え?」
「あ、何言われたかまでは聞いてないよ。でも、狗巻くんが許せないくらいのこと、だったんだよね?」
「え、いや、…でもだからってあんな、」


珍しく頭の処理が追いつけず焦ってるなまえを見て、乙骨は、あ、そんな顔もするんだな、と面白そうに見ていた。


「そんな、自分を犠牲にするようなこと、」
「することだったんだよ、狗巻くんにとっては。僕は、なんとなく分かる気がする。自分のことは我慢出来るんだ。でも友達とか仲間とか、皆が悪く言われるようなことがあったら、やっぱり怒るよ」


みょうじさんもそうじゃない?と振られ、考える。確かに自分のことだから何言われても平気だった。でも、だからなまえはあの時春人の耳を塞いだ。聞かせたくなかったから。じゃあ、側でそれを聞いていた狗巻は?どう思って、どう感じてあの場にいたのか、考えていなかった。


「特に狗巻くんは呪言を使うから。普段から語彙を絞って話すくらい優しい人だから。なんのリスクもなく、みょうじさんを傷付けることを言ったことに、人一倍、許せなかったんだと思う」


あぁどこまで、優しい人なのだろう。乙骨の言葉一つ一つが胸に染み渡る。一つ一つが、頭の中の狗巻棘という人間を構築していく。目を瞑り、手のひらを合わせたその中に細く息を吐いた。でも、ふと思い出すことがあった。


「でも狗巻くん、こっち戻って来た後も……機嫌、悪かったよね?」


そう乙骨に聞くと、ああ、あれね、と思い出し笑いするように目を細めた。


「みょうじさんを心配させちゃったことに後悔して、自分に怒ってたんだって」
「え、自分に?」
「そう、自分に」


思わぬ乙骨の言葉に、気が抜けたように全身から溜息が出る。伸ばした腕と膝に顔を埋め、もう顔を上げられなくなるくらい力が入らなくなってしまった。


「分っかんないよ…!私、狗巻くんの言葉、結構理解出来るようになったかも、って自負してたのに…ちょっと自惚れてた……全然分かんない…、っていうか言葉足らな過ぎじゃない?いや、語彙のことじゃなくて、」


顔を埋めたまま、篭った声で早口に捲し立てるなまえに笑うのを堪えられなかった。そんな乙骨のことを恨みがましく少しだけ顔を上げて上目遣いに睨む。


「ごめんごめん、でもここからは本人に言ってあげて」


そう立ち上がった乙骨の先に、パンダに連れられた狗巻がいた。最初の緊張を忘れてただけに心臓が縮み上がる思いが、少しした。それも一瞬で平然に戻したが、乙骨と入れ替わりに来た狗巻が隣に座るのに躊躇が見え、ちょっと笑う。「いいよ、座ってよ」と声を掛けると素直に腰を下ろした。そういえば、初めて任務した後もこうして並んで話したな、と今はもう懐かしく感じる過去をなまえは思い出していた。そんな横で狗巻が先に口を開こうとするのを割り込んで、なまえが機先を制す。


「謝らないでね。私も、色々悪いとこあったんだけど、謝らない、から

だから、ありがとう。狗巻くん」


そこで、任務後初めて狗巻と目が合った。眠そうな、少し気怠げな目がいつもより開いているその瞳と、やっと目が合う。


「私の為、って言うとおこがましいんだけど、怒ってくれて、ありがとう。一緒に春人を助けに行ってくれて、ありがとう」


直接目を見て言うのは、さすがのなまえも照れが出てきた。誤魔化すように口元に手を当て目を逸らす。


「あの時、狗巻くんは呪術師として、正しかった。私より、全然。祓うことを諦めた私より、あの場で祓ったことで春人の心は何より救われたんだよ」


横でもぞもぞとネックウォーマーを少し上げる狗巻を見て、照れてるのかもしれないと、つい口元が綻ぶ。「照れてる」と意地悪く笑うと食い気味に否定され、声出して笑った。


「でもさー、狗巻くん、心配しないのは無理だよ。だから、あんまり無茶なことはしないで」
「……しゃけ」
「………狗巻くんって結構、嘘、下手だよね」
「おかか」
「いやいや、絶対無茶するじゃん。分かるけど!次また、私じゃなくても真希やパンダ、憂太とかに危険が及んだら絶対無茶するじゃん、分かるけど!」


呪術師にしては狗巻は優し過ぎる。自分を顧みないところも、でも、だからこそなまえがこの任務で手に入れた小さな力は、少しでもその思いに応えたいと思った。手のひらを狗巻に向けて言う。


「…でも私、お陰でちゃんと反転術式、使えるようになったから。だから、今度は逃げないでね」


そう向けた指の4本を折り、小指だけを残す。約束、と呟くと狗巻もその指に自分のを絡めた。肌寒かった空気に熱が帯びた気がした。嬉しそうに微笑むなまえの顔も、触れた指もそのどれもが、温かく感じた。


「さ、じゃあ戻りますかー。全く、私達の同級生はお節介の集まりで困っちゃうよ」


困った、と言う割には決して困ったような声色ではなく腰を上げたなまえのその顔は、なんだかとても嬉しそうで。
離された指と、立ち上がった時に吹いた風が対照的な寒さを思わせた。なまえが少し離れた先に目線を送り、手を振ったところには乙骨とパンダがいる。女子寮の部屋の窓からは真希が見下ろしている。皆、二人を想い、心配し、気にかけてくれたのだ。狗巻もゆっくりと立ち上がり、二人に手を振った。


「じゃあ、また明日。おやすみ狗巻くん」


狗巻の後ろ姿を見送り、なまえは自分の手のひらを見つめる。いつの日か、誰かとこうして指切りをしたことが、ある気がした。昔の記憶は如何せんあやふやで、事件前後のことはほぼ覚えてない。これも、何かの気のせいだ、と腕を下ろした先の花壇にふと目をやる。狗巻と植えた秋桜はいつの間にか背が伸びて蕾をつけ、もう何輪か花を咲かせている。夜の暗闇では、月の明かりを頼りにしても色の判断はつかない。明日、晴れたら狗巻とまた見に来よう。風に揺れる秋桜の葉に、そんなことを思いながら寮へと戻った。




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -