煽動


分かりやすい程の残穢の痕跡を辿り、着いた先は一つの廃ビル。強くはないが、確実にその中から呪骸と同じ呪力が出ている。わざわざこんな分かりやすく誘き寄せているのだ、確実に罠だ、となまえも分かった。が、春人がここにいる可能性が高い以上、引き返すわけにはいかない。
ガラスも割れて自由に出入り出来るくらい、防犯の意味を持たないビル内へと足を踏み入れた。奥の階段を昇り、上へ行くほど呪いの気配が強くなってくる。と、同時にある異変に気付く。呪いの気配と同じくらい、周りの空気の乾燥が酷くなってきている。呼吸をするだけで、口の中が乾いて水分を持っていかれる。これは明らかに狗巻の呪言を警戒しての対策で、失敗した、となまえは今更気付いた。相手は思った以上にこちらのことを熟知している。こんな環境で狗巻が呪言を使用しては、本人への負担は計り知れない。


「狗巻くんお願い、強い呪言は使わないようにして」


本丸まであと扉一枚を前にして、後ろから声を掛けられる。この環境下での心配をしてくれているのだろう。狙いがなまえとは知らず、どこまでも他人の心配ばかりだ。軽く頷いた狗巻は目の前の扉を蹴破った。辛うじて止められていた螺子から外れ、古びた鉄の塊が埃を舞いながら倒れていった。煙が納まる中、部屋の中央に鎮座する"それ"は全くの想定外でなまえは目を丸くする。


「……………呪胎?」


"それ"は直径30センチにも満たないとても小さな、しかし中身は呪霊と分かるほどの呪胎だった。さすがに今すぐ孵化する大きさではない、が呪骸と同じ呪力を放つこれは思っていた以上に事態を軽視し過ぎたことになまえは悟る。


「お姉ちゃん……っ」
「春人!」


最初出会った時のように、春人は奥から走ってなまえの懐に飛び込んできた。見る限り怪我もなく、拘束されている様子もない。もう大丈夫だよ、と声を掛け、正直これでこの場から立ち去ろうと思っていた。が、続いて出てきたのは呪詛師とも言えない、言うなれば普通のサラリーマンの格好をした男だった。しかしその雰囲気は決して普通のサラリーマン、ではない。


「待ってましたよ、みょうじなまえさん」


狗巻にはさっきぶり、と声を掛けているのを見てなまえは驚いて狗巻を見た。自分の名前を知っていて、かつ待っていたと言った。この男の狙いは自分だ。だから狗巻は自分を連れて行きたくなかったのだ、とそこで初めて知った。なまえは尚もしがみ付いている春人を強く抱きしめ、その男を睨んだ。


「そんな怖い顔しないで、私は何もしない。ただ貴女と話がしたい」
「話…?」


部屋の中に入ると余計乾燥が酷い。なまえはすでに口元に手を当て、今にも呪言を発する勢いの狗巻を見て首を横に振る。危害を加えない、は嘘かもしれない。ただ、無傷の春人を見ると目的くらいの話は出来るかもしれないと思った。


「君は、結界術を使うらしいね。攻撃技は使えない、出来るのは守備のみの無能術師と噂では聞いているよ」


何の話をしようとしているかはまだ分からない。ただ、あまり聞かせないようになまえは春人の背中に回していた手を、ゆっくり耳に当てた。これからの汚い会話を、聞かせたくなかった。


「…よく、ご存知で」
「こんな末端にもネットワークって言うのがあってね、今年の高専の新入生はどんな奴かくらいの情報は入るんだ。呪霊も祓えない、非術師の家系に生まれたただの結界師がいる、とね」
「祓えない、ねぇ」
「そうだろう、祓えてもせいぜい低級。それで呪術師を名乗れるのが不思議だ。君は、高専の中でもゴミだ。自分でも気付いているだろう?今目の前にいる私にも手が出せない役立たずの屑だと!」


嘲笑うかのようにその男はなまえを罵倒し続けた。狗巻の呪言が使えない以上、なまえの結界で拘束をするしか方法はない。それでも危害を加えられない、ただその場に留まらせるに他ない。
悔しい、悔しい。言われ続けても尚、自分には力がない。と袖から札を取り出そうとしたところで、男の口角が上がるのが見え、なまえも薄ら笑みを浮かべる。


「…それで、煽っているつもり?」
「あ?」
「あなたの術式はだいたい分かった。これだけ喋っても、一向に術式を使用する気配もない。そもそも呪力自体、あなたからは感じない。
あなたの術式は、"反射"か、"模倣"、ですよね」


男が分かりやすく動揺するのが伝わる。感じたのは呪骸からの呪力はこの男ではなく、小さな呪胎から感じるものだということ。おそらく呪力を"借りる"形でこの人形を作ったのだ。そして、自らは術式を使用せず、なまえに術式を"使わせようとしている"こと。余りにも、不自然だった。


「そりゃあ、呪言対策、しますよね。自分にもリスクを伴う呪言、ましてや狗巻くんみたいに強い呪言は出来れば自分も使いたくないから」


そう喋っている間にもなまえは乾燥で、時折乾いた咳をしなければ話せないほどになっていた。


「私に結界を使わせたかったのは、この呪胎を守るため?感知させずに置いておくための結界が必要だった。…と、なると術式は"模倣"の方が正解かな」
「この、アマァ……!」
「悪いけど、私はあんな煽りに乗るほど軽い女じゃない。あんなことで取り乱すほど、弱くないの」


術式が分かればなんてことはない。こちらが何もしなければ、相手も何も出来ないのだ。呪胎はあの大きさなら、短く見積もっても孵化までには1週間はかかる。あの男もそれまでは留まるはず。春人も助けた。自分達の仕事はここまでだ、と思った。落ち着いた春人の、少し見上げた顔に、お母さんが待ってるから早く帰ろう、と笑って答えて背を向けて出口まで近付いた時だった。後ろから最後の悪足掻きのように、男の声が響いた。


「お前なんか、いらないだろ?!必要とする奴もいなくなって困る奴もいない!お前なんか、死んで、ーー」


「ーーーぶ っ と べ ーーー」


聞こえた呪言と、大きく打ち付けられた瓦礫の音に驚き振り向いた。目に映るのは、壁に縫い付けられ気を失った男と、口から赤い血を吐き膝から落ちる狗巻の姿。口を手で塞ぐその隙間からは、ボタボタと血が滴り落ちている。その光景になまえは一瞬何が起こったのか、分からなかった。


「狗、巻くん……?」


だが、狗巻はまだ終えようとしなかった。抑えた喉はそのままに目は呪胎を見据えている。なまえは狗巻が何をしようとしているか察し、春人から離れてでも狗巻の元へ駆け出す。


「狗巻くん…っ、待って、待っておねがい……っ」


「ーーー爆 ぜ ろーーー」


伸ばした手が狗巻の背中に届くのと同時に、呪胎が爆発して部屋の埃や砂の塵、ガラスの破片が舞った。
狗巻への呪言の反動がもう一度くる、と喉を抑え嘔吐いた、が出てきたのは血ではなく、少し激し目の乾いた咳だった。なまえは掴んだ左手をそのままに、その場にへたり込む。必死で、無我夢中に伸ばしたその手は反転術式を宿した。直前での治療及び狗巻への反動を無くしたのだ。


「どう、して………」


荒く、肩で息するなまえは上へ伸ばした手をすっと下ろし、血だらけの狗巻の右手に軽く触れた。もう片方は自分の制服を指の跡が付くくらいに握りしめる。
廃ビルの窓の隙間からは、朝を告げる光が射し込んでいた。




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