憂虞


「なまえ!」


そう五条に呼ばれたのは狗巻達が任務に行って一時間ほど経っただろうかという時だった。なまえは変わらず真希と体術実習をしていたが、呼ばれた名前に振り向く。


「今から伊地知のところに送る。詳しくは向こうで聞いて」
「え?」
「棘達に何かあったのか?」
「いや、大した事態じゃない、多分」
「どっち」
「とにかくこれはなまえにしか出来ない。よろしく頼むよ!」


そう言われてから、飛ばされるまでは一瞬だった。変な胸騒ぎとざわつきが止まらない。さっき見送って手を振ってくれた二人の姿が頭を過る。何かあったらどうしよう、二人が無事じゃなければどうしよう。そんな暗い想いばかりが頭を占めている。でも、五条がなまえにしか出来ない、と言った。ということは、自分に出来ることがあるということだ、と言い聞かせて気持ちをなんとか切り替える。"帳"が見えてきたところで、伊地知の後ろ姿を見付け急いで駆け寄る。


「伊地知さん!」
「あ、みょうじさん、すみませんわざわざ…」
「そんなことはいいですから。二人は?状況は?」
「呪霊は低級なので、狗巻二級術師には問題ない仕事だと思うのですが……一向に"帳"が上がらないんです」
「"帳"が……?」


伊地知の言葉を聞いてなまえは"帳"に近付く。本来外から見えなくし、呪いを炙り出す"帳"は補助監督が下ろしてくれる。だが、見て気付く、これは伊地知が下ろした"帳"ではない。もっと言えば、今"見えてる帳"は別の誰かが下ろしたものだ。そっと手を伸ばし、触れようとするとバチィィと弾かれた。


「みょうじさん!?」
「大丈夫です。…この帳は伊地知さんの帳の上から別の者が下ろしたようです。誰も入れないようになってる…」


わざわざ?誰が、どうして。そんな疑問ばかり浮かぶけど、今は中にいるであろう二人のことだけが心配だ。その為には、この"帳"を上げなければ。なまえは袖から結界の札を一枚取り出し、そっと"帳"に向けて手を離した。
暫くバチバチと札と"帳"で競っていたが、やがて札の方が燃えて煙になる。なまえは驚いたように眉を吊り上げた。
元々結界師として通しているが、なまえの術式は書いた文字に呪いが篭る"呪記"だ。それを表立って使用することはしないが、札には予め文字に呪いを込めて持ち歩いている。時間が経つと呪力は落ちるが、それなりの結界なら破れるのだ。だが、この"帳"は破れなかった。これは、"それなり"ではないのだ。


「伊地知さん、これは…ちょっと報告案件かも」
「…と、いうと?」
「なんだか、厄介なことになってる気がする」
「"帳"の方は…」
「あ、それは大丈夫です」


そう言うとなまえは袖からさらに3枚の札を取り出した。1枚でダメなら枚数で呪力を補えばいい。それを先程と同じように"帳"へと向けると、バシュッと"帳"が上がる音が2回聞こえた。伊地知のと、もう一つのだ。
まずは二人の安否を、となまえが商店街に入ろうとする前に二人の姿が目に入った。そんな不安を他所に、乙骨が「あれ、みょうじさんどうしたの?」なんて呑気なことを聞くもんだから、なまえは安堵の溜息も含めて頭を抱えて俯いた。


「え?!どうしたの?」
「どうしたの、じゃなくて…。急に悟にここに飛ばされたと思ったら"帳"は上がらないし、二人がどうなったかも分からないし……」


それを聞いて、乙骨と狗巻は顔を見合わせる。なまえが自分たちのことを心配してくれてたのが分かった。「心配かけてごめんね」と乙骨が俯くなまえに声を掛けると、キッと睨んで顔を上げたなまえに思わず怯む。


「怪我してる」
「え、あっ、大丈夫!もう血も止まったから」
「…狗巻くんは?」
「じゃげ」


肯定の意とは裏腹にガラガラに傷んだ声を聞いて、なまえはますます眉間に皺を寄せた。


「なんで、そんな…低級の呪霊、でしょ?狗巻くん、なんでそんな声になってるの」
「最初の呪いは狗巻くんがすぐ祓ったんだけど、その後なんか強い呪いが現れて…」


強い呪霊、それは"帳"を下ろした人物と同一人物の仕業だろうか。それなら、何の為に。なまえは後ろにいる伊地知に目を向けると、伊地知も察したようにどこかに電話をしにその場を離れた。なまえはそれを見て小さく溜息を吐き、ポケットから一本のドリンクを取り出す。狗巻が愛飲しているノドナオール飲料だ。グラウンドに落ちてたのに気付いて持って来ていた。


「狗巻くん、これ、忘れてったでしょ」


そう差し出して受け取ろうとした左手を見て、なまえは慌てて手を引っ込めた。


「ねー、もう指!凄い腫れてるじゃん!全然大丈夫じゃないじゃん」


そう言いながらも、蓋を開けて渡してあげるなまえを見て乙骨は優しいな、と思った。多分なまえ本人は意図せずやってあげているのだろう。そして何より、怖いと思っていた狗巻と気兼ねに話しているなまえを見て、羨ましくもあり、また自分が恥ずかしくなってきた。


「指、治してあげよっか」


ドリンクを飲む狗巻に向かって、手のひらを向けながらなまえは狗巻に言う。乙骨はまだ反転術式のことは知らなかったが、術式にはそんなのもあるのかとぼんやり考えていた。だが、当の狗巻は飲みながら暫く考え、同じように手のひらをなまえに向けて「おかか」と呟いた。


「え、何おかかって。どうして断る……あっ!狗巻くん、また私が失敗すると思ってるでしょ!?」
「すじこ」
「ひっどい。大丈夫だよ、指の骨は単体だからくっ付けるのも間違いようがな…」
「…おかかっ」
「あ、逃げた!」


狗巻はそそくさと足早に車に乗り込んでしまった。なまえはもうー、と不服そうに肩を落とすのを見て乙骨は苦笑いを向けた。


「みょうじさんは、狗巻くんと仲が良いんだね」
「え〜?別に仲良くないよ、普通でしょ」
「そうかな、狗巻くんと話せてるし、仲良いなぁって思うよ」
「話せるのなんて、真希やパンダも一緒でしょ。狗巻くん、確かにおにぎりの具だけの語彙だから、不自由かも知れないけど聞こうと思えばちゃんと分かるよ」
「……僕にも、分かるかなぁ」
「それはー、乙骨くん次第。別に怖い人じゃないよ、狗巻くんは」


見透かされたように言われた言葉に、思わずなまえを見ると、同じくこっちを向いたなまえと目が合う。その笑った顔はいつもよりなんだか寂しそうで、こっちもそういう気持ちを持っていたことに急に罪悪感が出てきた。


「……うん。狗巻くんが優しいのは今日で分かったよ」


そう答えると、ちょっと目を見開いて嬉しそうに笑ったなまえを見て、本当に友達想いなんだなと思った乙骨が、狗巻に対するなまえの気持ちに気付くのはもう少し後の話。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -