別れと出会いの季節
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魔神。
多くの場合、ソレは畏怖の対象である。悪魔が見えない人間でさえ、空想の悪魔として名前を聞いたことがあるだろう。
私にとっても、サタンは。
でも。もっと怖い悪魔がいる。
私の終わりは決まっている。私に、人としての終わりは訪れない。
だからこそ、なるべく大切なものは残さないようにしよう。作らないように、一線を引いて。それでもなるべく誰かにバレないように自然に。
私の全てを知っているのは、藤本神父とフェレス卿の2人だけだ。だが、藤本神父だっていつまでも私を守ってくれるわけではないし、フェレス卿はいつ心変わりするかわからない。
だから私は祓魔師になるのだ。
自分で自分を守れるように。―――せめて、私の終わりがなるべく先に延ばせるように。
目覚まし時計の音が鳴り響く。
遮光カーテンで閉め切られているせいか暗い部屋の中、ベッドの上には一人の少女が居た。音によって覚醒しつつある彼女は、煩わしそうに眉間に皺を寄せ、音から逃れるように布団の中に潜り込む。
鳴りやまないけたたましい音がより一層そのボリュームを上げたその時、少女は煩わしそうに時計の上部を叩く。静寂に満ちた部屋で、彼女は身じろぐと天井へと身体を向けた。そしてゆっくりと瞼を開ける。
寝起きのせいかまとまらない思考の中、彼女はぼんやりとただ天井を見つめる。
今日は金曜。だが、中学3年生の自分はもう登校しなければいけない期間は終わったし、雪男くんも今日は学校には行かないと言っていた。『あの日』から『雪男くん無しには学校に行くことも許可が出なく』なってしまったため、彼が行かないのであれば私も行けない。二度寝したって罰は当たらないだろう。なんか大事なこと忘れてる気がするけど。
そう考えながら再び夢の世界へ飛び込もうとしたその時、ベッドサイドにおいてあったスマホが軽快な音を奏でる。こんな朝から電話なんて珍しい。そもそも電話を掛けてくる人間の数自体少ないし、無視してもいい。……が、一応出ておこう。迷惑電話だったら即切りしてやる。
「ふぁい」
まだ覚醒していない中ポヤポヤとした声で答えると、いつもよりも冷たく低い不機嫌そうな声が聞こえて来た。
『おはようございます、晄さん』
聞き覚えのある声に、少女―――天沢晄の意識は一気に覚醒した。冷や汗と共に。勢いよく起き上がると、声を上ずらせて彼女は電話の向こうの彼に応える。
「ゆっ雪男くん!? どうしたの朝から」
『……どうしたのって……僕たち、下で待っているんですが』
「えっ」
慌てて目覚まし時計を確認すると、時間は9時を指していた。もうすでに遅刻だ。今日は登校の予定だったっけ。
『どうせスヌーズにしたまま寝続けたんでしょう?』
「エスパーなの?」
『いえ、兄さんがよくやってるので』
「燐くんと同列だなんて悲しい……」
『いいから早く降りて来てください。待ってますから』
「ちょ、ちょっと待って! 今日学校行くの?」
『……はあ……』
「(うっ。雪男くんの溜息はちょっとこう……メンタルに来るんだよなあ)」
『忘れたのか? 今日は合格発表の日でしょう。僕と一緒に見に行く。その約束では?』
その言葉に晄はカレンダーに視線を向ける。そして冷や汗を流した。まずい、すっかり忘れてた。忘れて惰眠を貪ってしまっていた。
「ご、ごごごごめん! 待ってて! 5分、いや10分で行くから!!」
『……そんなに急がなくても大丈夫ですよ。晄さんが来るまで出発はしませんから。では、待ってます』
そうは言われても、待たせすぎるわけにはいかない。電話が切れると同時に、晄はベッドから飛び出した。
手早くトースト1枚を食べ、表に出れるだけの身支度をして晄がマンションのエントランスホールに到着すると、奥村雪男が藤本獅郎と共に車の前で待っていた。
彼は彼女に気づくと、隣に居る父に声をかける。藤本は晄を見ると、片手を上げ明るい声で話しかけた。
「おはようさん、晄ちゃん」
「お、はよう、ございます……」
「ちゃんと朝メシ食ったか?」
「い、一応……」
「おー、そか。んじゃ、行くとするか」
藤本の言葉に頷くと、晄はふらふらになりながら車に近づく。雪男はそんな晄を見て心配そうに声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……。ちょっと、今までにないスピードで動いたら疲れただけだから……」
「……祓魔師になるのであれば、この程度で息が切れちゃだめですよ」
「うっ。心折れそう」
「わはは。まあ、ゆっくり力を付けていけばいいさ。お前さんの狙撃の腕も中々のもんになってきたしな。ま、まだ雪男にゃ敵わねえが」
「はい……頑張ります……」
彼女はそう答えた後に、後部座席のシートベルトを締めると、1人足りないことに気づき親子に声を掛けた。
「あの、燐くんは?」
「燐は正十字には行かねえからな」
「兄さんの頭脳じゃ受験は無理だよ」
「あはは、まあ燐くんらしいね」
「まあ、今は燐より2人の受験結果だろう。2人共シートベルトは付けたな? じゃ行くぞ」
藤本の言葉に返事をすると、彼は頷いた後に車を発進させた。彼女は隣に座る雪男に視線を向ける。彼は窓の外に視線を向けており、その横顔に緊張は一切見て取れなかった。
多分、雪男くんは余裕で合格なんだろう。私とは違う。私は合格できているかどうかわからない。だからこんなにも緊張するんだろう。そう思いながら、晄は雪男とは逆側の窓の外へと視線を向ける。
中学2年の春。両親と私は、悪魔の襲撃を受けた。
正直なところ、私にその時の記憶は殆どない。私の記憶の中にあるのは、私に対して声を掛けて来た雪男くんだけだ。その後は、病院で目を覚ました時の記憶しかない。
この話は、近所に住む祓魔師である藤本神父から聞いたものだ。彼が言うには、彼らが察知して駆けつけてくれた時には、私は血を流して気を失い両親は既に死んでいたという。
一人残された私は、一時的に修道院に預けられることになった。検査や、この事件をきっかけに発覚したちっとも嬉しくない『アレ』の事もあって、誰か祓魔師に守ってもらえる場所に居た方が良いということになったからだ。
そこで私は奥村兄弟と知り合った。同じ学校に通う同級生の『有名な』兄弟、奥村燐と奥村雪男。修道院に預けられるまでの私の彼らに対する認識は、他の生徒と何ら変わらなかった。
奥村雪男は才色兼備、頭脳明晰、冷静沈着で女性人気も教師人気も高い生徒であり、唯一の欠陥は彼が病弱なこと。一方、奥村燐はその反対で手の付けられない問題児。私も含め、誰もがそう思っていた。
だが、今では違う。雪男くんは意地っ張りで意地悪なところもあって、別に常に冷静沈着なわけではないのを知っている。一方、燐くんだってワルではなく、本当は明るくて優しい元気いっぱいなだけの男の子だということも知っている。案外人の評判というものはあまりあてにならないらしい。いや、触らぬ神に祟りなし、を信じて必要以上に関わろうとしなかった私の責任か。
たった半年の共同生活だった。それでいながら、私はこの2人の事がすっかり大好きになってしまっていた。もちろん、恋愛的な好きではないことは一応強調させていただきたい。この好きは、人として好きになったという意味だ。これから先も、2人と仲良くしていきたいと思う程には、親しくなった。
無論、彼らだけでなく修道院の他の神父さまたちも。皆良い人で、優しくて。面倒を見てくれた。私にとっては、第二の家族にも等しくなった。
半年が過ぎた後は、私は元々両親と暮らしていた家に戻って一人暮らしを始めた。家に魔除けの結界を張ってもらったからだ。
それでも、その後も定期的に藤本神父を始めとした修道院の皆に様子を見てもらっているし、同じ学校に通う雪男くんと燐くんとは毎日登校を共にするため顔を合わせる。……下校の時は雪男くんだけだけど。
修道院メンバーの中では、燐くんは特殊だ。悪魔も見えないらしい。まあ、私も襲撃を受けるまでは魍魎すら見えなかったので、人の事は言えないのだが。
そんな私だが、雪男くんや藤本神父のような祓魔師を目指すことにした。そのためには私立正十字学園高等学校に合格しなければならない。そうでなくとも一応フェレス卿の取り計らいで祓魔師養成機関『祓魔塾』に行けはするらしいのだが、どうせなら憧れている正十字に通いたいのだ。
学園は雪男くんも受験している。一方、燐くんはしていないらしい。まあ燐くんは悪魔も見えていないらしいし、藤本神父の性格からして燐くんを無理矢理勉強させて高校に行かせる気も無いのだろう。燐くん、勉強苦手だしなあ。学校でまともに定期テスト受けてる姿なんて見たこと無いし。
修道院で開いた勉強会の際に燐が開始5分で寝てしまった時のことを思い出し、晄はくすくすと笑った。その姿を、隣に座る雪男が見ている事には気づかずに。
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