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 六月某日、深夜。南部イタリア。
 煤けた色の曇天は空に縫いとめたようだった。
 ここは城跡のような、旧い壁や石畳、瓦礫の山が点在する荒れ地だ。放棄された中世の城が少し離れた場所に虚しく佇んでいる他は、百メートルほど行ったところに森林、もしくは別の方向に矮小な街の明かりが見えるくらいで、他はがらんとして何もない。
 閑古鳥さえ逃げていくだろう寂しい場所を今現在支配しているのは、微かな血と硝煙のにおいだ。
 荒れ地は今や本当に荒れ果てていた。
 銃器の残骸やばらばらになった背嚢などが不法投棄のごみよろしく散乱した地面。そこには小さなクレーターまでもがぼこぼこと穴を穿ち、まともに歩くことさえも出来ない。
 加えて一面にたくさんの人間が折り重なって横たわり、未だ苦しげに呻いていた。
 ぐったりと倒れ伏す彼らはそれなりの武装をしていた。動きやすい服装の上から、軍人のそれとも違うが“その方面”で役立ちそうな色々を、ごてごてしないよう必要最低限くっつけている。
 端的に言うと、彼らは暗殺者である。それも自称や紛い物では無い。こんなご時世に珍しい、本当に暗殺だけを仕事にしている人間である。
 とある組織に向かって血なまぐさい出張をしているところだった彼らがどうして倒れ伏しているのかというと、夜襲に奇襲で返されて、ものの数分で硬い地面とお友だちになったからだ。
「…………。」
 今、この場にはただ一人だけ、立っている者がいた。
 少し長めの真黒な猫っ毛が煙たい風に揺れている。彼は華奢で小柄な、少年と言っていい体つきをしていた。実際年若いことは確かで、だいたい中学生ぐらいだ。暗くてよく見えないものの顔は整っているようで、黙って立っていればよく出来た人形のようである。肌は月明かりに白く照らされ、今は睫毛が深く影を落としている。
 その手には長い四本爪の形をした武器をしっかりと装着していた。鋭利な切っ先からは彼以外の誰かの血が滴って、儚げな容姿とは裏腹に物騒な雰囲気を漂わせている。
 そして、それも含めたうえで一際目を引くのは、その金色の両目だった。アンバーアイズよりさらに明るいそれは影が落ちてなお不思議と人目を引く。
 左目の下には『×1』という謎の刻印。顔立ちのおかげで可笑しくは見えないとはいえ、タトゥーだとすれば中々に変わった嗜好の持ち主だ。
「……お客様の敵対集団の侵攻を阻止、無事に依頼を達成しました。報酬は事前にお伝えしておきました口座にお振り込みください。次回の当店のご利用をお待ちしております。」
 携帯電話の向こうの相手にコンピュータのような口調でそう告げた彼の名はネロ。
 といっても、彼は商売柄何かと他人のうらみを背負っているので、それはコードネームのようなものである。本名は一部のものしか知らない。もはやまるっきり使っていないに等しいのでこれを本名と思っている者が大勢いるぐらいだ。
 彼の生業は『何でも屋』。アブない物の運搬から護衛、抗争のお手伝い、世間様に迷惑をかけないための裏社会流のお片づけ、今回のような依頼主に敵対する集団の撃退まで、その名の通りあらゆることを請け負う。つまり荒事中心の便利屋のようなものである。もちろん、本来は便利屋の仕事も、依頼すればやってくれる。なにせ彼は“何でも”屋だ。
 そんな彼が退治に駆り出された今日の相手はなんと、かの大ボンゴレ最強と名高いヴァリアー。
 ……だったのだが、あの中では雑魚に分類される隊士ばかりで、すぐに片がついた。恐らくあちら側からしてもそんなに重要度の高い案件では無かったのだろう。そもそもヴァリアーは八年前から仕事らしき仕事をまともに請けさせても貰っていない状態なので、多少邪魔したってどうせ今の連中に大したことは出来やしないというのも分かっている。
 それでも、仕事でもない限り関わりたくない相手なのは確かだ。無駄に恨みを買いすぎないためにネロはとどめさえさしていない。まあ、今のところは無事でも、彼らがヴァリアーに帰還した後のことまではネロの知ったところでは無いのだけれど。彼は別に情に深いわけではない。
 右に一つ、左に二つのベルトポーチのうちの一つから彼は古い布を取り出し、手から武器を外して丁寧にその手入れをし始めた。異臭漂う中で彼の目つきはまるで十年来の職人のように真摯である。最も汚れている“爪”の先端部はもちろん、根元、持ち手、戦闘中に武器が手からすっぽ抜けないように爪と手首を鎖で繋ぐための金輪まで、入念に汚れをふき取る。別に彼は綺麗好きでもなんでもないが、身の回りの物は大切にする性質タチだ。
 が、作業に集中していた彼は何やら段々と眉をひそめ出した。
 時間差で何かがもやもやと来たようだ。
「……嫌なこと思い出した。」
 先程依頼主と電話したときとは打って変わった、人間らしい言葉。
 ヴァリアーつながりでじわじわと精神的ダメージがぶり返したらしい。彼は相棒の世話を終えると両手分を片手にまとめて持ち、用の済んだぼろ布は持参のビニル袋に仕舞い入れて元あったところに直した。
 ネロはここ最近ずっとヴァリアーから熱烈なスカウトを受け続けている。新戦力が欲しいんだとかで、とある縁からそれはもうしつこくしつこく勧誘してくるのだ。仕事も無いくせに求人とは馬鹿な話だと鼻で笑ってやりたいが相手が相手なので出来ない。
 今回の依頼にしたって、ヴァリアーが関わってくるのならネロとしては本当は断りたいくらいだった。報酬に釣られてやってしまったが、まったく、連中のしつこさったらない。できることなら絶縁したい。字の通り、縁を絶ちたい。ハサミか何かでサクッと。
 ……本当なら、これは誉れなのだろう。ヴァリアーは今でも名高い組織である。彼らに直々に入隊を請われるなんて、普通の人間なら狂喜乱舞するところだ。ネロのようなフリーランスの業者たちの立場は脆い。彼は強いから何とかなっているものの、やはり強力な後ろ楯が駆け引きなしで得られるならこんなに有難い事はない。いつまでもフリーでふらふらしているよりどこかの組織に属してしまった方が堅実で強いのは分かり切っていること。それが強大で名のある存在ならなおさらだ。収入も安定するし。
 だがそれは、ネロにとっては違うのである。
 そもそも彼はマフィアという集団が嫌いだった。その中でも特に、ヴァリアーという集団は大嫌いだった。一度顔を会わせたきりの幹部連中とはその日の内に殺し合いを演じたし、以降は偶然でも遭遇しないようにスケジュールを調べあげて徹底的に避けている。
 あんな組織に所属するぐらいなら死んだほうがいい。彼は本気でそう思っている。
 ネロはゆるゆると首を力無く左右に振った。忙しなき現代社会に疲れた人のする仕草だった。
「……ま、今日は意外と敵の数少なかくてよかった。もう少し来るとおもったけど。幹部連中は別件でどっか行っちまってるし。」
 気を取り直し、彼は出来るだけ嬉しくなれそうなことを考え始める。
 そうだ、今日は思っていたより仕事が早く終わったのだ。ならばたまにはリフレッシュしなければ。帰ったらまずはさっさと着替えて熱いシャワーでも浴びて、最近見かけなくなったために買えない『カルシウムたっぷりお魚さんジュース』の最後の一本を開けよう。ずっと前に知人に振舞ったら「お前味覚狂ってんじゃねえの」とまで言われたが、今の鬱蒼とした気分を払拭するためにはあれを飲むしかない。もう当分あのなんとも形容しがたい絶妙な風味を楽しめないのは悲しいが、遅かれ早かれやがて腹に収まる定めである。せめてたっぷりと味わって飲もう。
 一つ帰ってからの楽しみが出来たおかげで、少しだけ彼は元気になったようだ。グッと伸びをして、「さあ帰るか」とつぶやく。相変わらず平穏とはかけ離れた風が黒髪を撫でつける。彼は気にしたふうもなく目的の方向へ体を向けた。こうして彼は仕事を終え、慎重に足場を確認しながら、活動拠点という名の愛しくもない我が家へ向けて歩を進めていくのだった。
 これが彼の、何でも屋『黒猫』の標準的な一日の終わりである。
 明日も明後日も同じようにしてそこそこ忙しく過ごすのだろう。裏社会屈指の有名業者として各方面から引っ張りだこの彼は、それでも出来るだけ多くのクライアントの期待に応えようと努力している。スケジュールにはほぼ空きなど無いし時にはちょっと疲れもするが、辞めるつもりはないのも確かだ。
 彼の一日はようやく街と共に眠りに就こうとしていた。

 
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