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五月の白く霞む空。柔らかい朝の日差し。眼下に盛る新緑とヤマボウシの花。
空に浮かぶ孤島、給水タンクのてっぺんで風が薫る。
座ったままうたた寝していたマルの頬に、ぐにゅ、とトンファーがめり込んだ。
「んぁ、ひばりさん。」
「そこ目障りだから居座らないで、って何度言ったらわかるの。」
「おれココすき。」
「君の感想なんて聞いてないよ。」
学ランに風をまとわせ、並盛中学校のヌシである雲雀は、わざわざ狭い場所でマルを半ば跨ぐように仁王立ちしていた。
そしてマルが起きたと見るや、さっそく寝起きのマルを蹴り落とす勢いで足蹴にする。
ここ数日繰り返されたやりとりだ。勝手にここへ上がり込んだマルが、縄張りを見回る雲雀に追い出される。雲雀はいつもながら清々しいくらい容赦がない。
「ぐえぇ」
「さっさと教室戻って。」
「えぇー? じゃあかえろーっと……。」
マルはすごすごと鞄を拾って孤島の下に続く梯子へ向かった。
まだ一時限目の途中くらいでも、今から教室に行って授業を受けるだなんて選択肢はマルの中に存在しない。
のっそりと梯子を降り始めたマルに、しかし今日の雲雀は気まぐれに声をかけた。初めてのことだ。
「花村マル、三年C組、だけど一年生の二学期以降ほとんど学校に来てない不登校児。」
「うわぁなんでしってるの。」
「最近来るようになったと思ったら授業には出ないし、」
マルは同時に二つのことができない。会話しようとすると、自然、胸くらいまで給水タンクの影に沈んだまま足が止まる。
雲雀は叱るというより単純に訝しむ目でマルを見下ろした。
「なに、勉強が嫌なの?」
「えっと、シャカイがフテキゴーなの。ともだちは、たぶん、ひばりさんよりはいるけど……」
再びトンファーがぐりぐりとマルの頬にめり込んでくる。
「ぐえええぇ」
「いるけど、何?」
「いるけど、おれみたいになまけてないから、きょうはかえるぅぅ」
雲雀は見た目以上に手足が長い。そのぶんトンファーのめり込み方がすごい。会話も終わったと思うのでマルは慌てて梯子を降りる。
世間一般で言うところの怠け者であることを自覚しているマルは、世間一般で言うところの怠けない者との身分差もきちんと弁えている。
雲雀は容赦がないからかえって楽だ。ナイアガラの滝を前にしたらきっと同じような気分になれる気がする。この大自然の前で人間はなんてちっぽけな存在なんだろう、みたいな。
つまりここはマルのオアシスなのだ。
「君、一年の沢田綱吉あたりと気があいそうだね。」
梯子を降りきったところで頭上から声が続いた。今日か明日あたり槍でも降るのだろうか。あの風紀委員長から、ともすれば群れを許容するような発言が飛び出るなんて。
折角降りたところだったが、マルは何段か登り直して、ニュッと顔半分だけ孤島へ再浮上して雲雀を見上げる。
「ダメツナってよばれてるヒト?」
「知ってたの。」
「ともだちにきいたの。」
本を読み始めていた雲雀は意外そうにちらりとマルを見た。
とはいえ本当に噂レベルのことしか知らないマルは、言いたいことだけ言って帰ることにする。
「でも、さわだくんはさー、ちゃんとガッコーいくし、にげないし。すごいよ。おれにはムリ。」
マルがニュッと影に沈む。
雲雀は本格的に読書に集中しだしたらしく、それ以上沢田綱吉なる人物について議論する気は無いようだ。
マルが校舎内へ続く階段のドアに手をかけたところで、忠告だけを飛ばした。
「次、ここにいるの見つけたら、今度こそ咬み殺すから。」
「ココすきなのにー。ひばりさんいるし。ひばりさんってほんとカッコイイよね。」
「くだらないこと言ってないで早く消えて。」
錆び付いた音をたててドアが閉まる。
静寂の戻った屋上。
クリーム色をしたプラスチックの孤島。
一糸乱れず眼下に揺れるヤマボウシ。
十秒くらいしてから、雲雀はそっと本を閉じた。
あの不登校児はきっと明日もここにいる気がした。
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