恋というより沼
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 三階建てアパートの202号室と、隣接するビルの貸しトランクルームの269番は、実は隠し扉でつながっている。269番を出てビル内の通路を右に行くと、外付けの非常階段がある。階段から室外機置き場に乗り移って少し行くと縞鋼板の橋が渡されていて、それで隣の立体駐車場の側面にある細い通路へ渡れる。あとは道なりに三十歩ほど歩けば、雑居ビルの、ビルの中からは出入り口のない秘密の部屋のドアにたどり着く。
 かなり面倒で手の込んだ場所に、その工房は店を構えている。
 ここの店主には、セフレの数の十倍くらいの敵がいる。
「はい、おまたせさん。」
 ゴトンと音を立ててカウンターに置かれたのは、32口径の拳銃と、クリップボードに留められた領収書だ。
 幻術だの三叉槍だのを諸事情で使えないとき用に骸が所有するその銃は、今日も新品同然にピカピカになって骸の手元へ帰ってきた。
 びろびろに伸びきったTシャツの上へ汚いエプロンを着たここの店主のガンスミスは、骸より三つ歳が上で、いつもニコニコと締まらない笑みを浮かべている。
「クソ丁寧だねェ、相変わらず、使い方がさ。君の相棒もきっと喜んでるよ。」
「あの……ゼロが一つ多くありませんか?」
 骸は領収書を凝視して言った。
 店主ことマルはさっぱり悪びれず、表情筋を緩めたまま肩をすくめて見せる。
「天下の大罪人・六道骸の銃を嫌な顔一つせず仕上げてくれる貴重なお店だよ? 嫌なら他ンとこ行ってもらわにゃー。」
「それにしてもこれは……暴利でしょう……。」
 ぐぬぬ、と領収書を睨みつける骸。
 確かにマルの主張は一理ある。特にマフィアが絡む工房には、厄介ごとに巻き込まれるのはゴメンだとばかり門前払いしてくる人間もいるし、逆に変に弱みを握った気になって高圧的な態度をとってくる人間もいるし、酷い時は顧客情報を売り渡されることもある。厄介ごとがゴメンなのは骸とて一緒だ。
 苦々しい顔で黙り込んでしまった骸に、マルは「まァとりあえず仕上がり確認よろしく」と改めて拳銃を差し出してきた。
 骸は不承不承それを受け取る。こと金に関してマルに何を言おうが無駄なのは経験上わかりきっている。
 この工房に射撃場なんて気の利いたものはない。
 骸はカウンター横の窓を開けると、おもむろに約二十メートル先の隣の建物目掛けて発砲した。
 明らかにこの路地の隅々まで届くだろう発砲音が鳴り響く。が、あいにく銃声の十発や二十発で面倒が起きる街ではない。
 隣の建物の外壁にはターゲットが窓からぶら下げられていて、目を凝らせば全弾が的の中央に吸い込まれたのがわかった。
 骸は身体中の空気を絞り出すように深いため息をついた。
「この調整……腕はいいんですよねぇ……。」
「“は”ってなんだよー。」
「いい歳してジゴロが本業のくせに……。」
「やーだな、こんなのまだまだ序の口さァ、オレ五十くらいまではそれで稼ぐつもりだから。」
 マルは両手の指でキワどいサインを作ってニコニコしている。せっかく愛嬌ある整った顔立ちをしているのに台無しだ。
 骸はやれやれと首を振ると、銃をカウンターに戻して、苦い顔のまま再び領収書に目線を落とした。
 しかし何回数え直してもそこに書かれているゼロの数は変わらない。
「前回、割引と聞いたはずなんですが。」
「一ヶ月以内なら、って言ったでしょ。期限切れー。」
「短かすぎるんですよ。そんなにすぐメンテナンスが必要になるわけないでしょう。」
 骸が未練がましくマルに詰め寄ると、足元に散らばった薬莢がカラカラと転がった。
 同じような笑い声を立てたマルがするりと首へ絡みついてくる。
「会いたいからだよ。オレ、骸クンみたいなきれーなコだぁい好き。」
 マルがカウンター越しに柔らかな肌を骸の頬へすり寄せてくる。
 楽しそうにじゃれつくその首筋から、汗とガンオイルに混じってブラックムスクが甘く香る。
 骸はジト目で軽く息を吐いて、財布から取り出した金をカウンターに置いた。
「……まさかそのリップサービスも料金に含まれているんじゃないでしょうね。」
「アッハッハ、そーだとしてもまた来るんでしょ? 物好きだよねェ骸クンってば。」
 きっちり金を回収したマルが再度骸にしなだれかかる。
 鎖骨の上で嫌味に咲いているキスマーク。少なくとも骸の入店時からずっと丸出しのそれに指を這わせると、マルはくすぐったそうに身をよじった。
「この痕、誰につけられたんです?」
「トモダチ。ちょうイイヤツでさー、昨日もお小遣いもらっちゃった。」
 悪びれないマルの返答は軽い。むしろ見せびらかしているのかもしれない。花が鮮やかに色付いて蝶を誘うように。
 そうだとしたら作戦は成功だ。骸は見事術中にはまってしまった。
 とり憑かれたように顔も知らない誰かと同じ場所へ唇を寄せ、食いちぎらんばかり強く吸い上げる。
「んン、」
「まったく、いつまでたっても腰の軽い……」
「軽いのは尻の方じゃないかなァ。」
「自覚があるんならやめてください。」
 骸はマルを軽く睨むと再度その肩口へ顔を埋め、痛々しいほど赤く色付いたその上へ、がぶりと歯を突き立てた。
「いっ……!」
 ビクンとマルの肩が跳ねる。突然のこれは予想外だったらしい。たまらずカウンターの奥へ逃げようとした体を骸は難なく押さえつけ、続けざまにうなじにもキツく歯を立てた。
「貴方は何度体に教えれば理解してくれるんでしょうね……」
「ちょちょ、骸クン、オレ痛いのはヤダっていつも言って」
「いい加減大人しく言うことを聞かないと、僕もトモダチから敵にまわりますよ。」
 柔肌に滲んだ血を舐めとって冷たい声で言いわたすと、マルのアーモンド型の目がパチクリした。
 ところがそれは、どうやら驚愕や動揺から引き出されたものではないらしい。
「まっさかァ、」
 マルは喉奥を鳴らしてせせら笑う。
 面食らった骸が解放するやいなや、唇が触れ合いそうなほど顔を寄せ、ピシャリと断言した。
「骸クンに限ってそれはないな。恋というより沼に落ちるタイプだもん。」
 骸は不覚にも押し黙った。
「アッハハ、そのカオかわいー。」
 骸は押し黙ったまま、ニコニコしているマルの首筋へ、腹立ち紛れにことさら深い歯型をつけた。

     
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