フランスパン日和
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 風紀委員に初遭遇したときの衝撃は雷に打たれたかのようだった。
 あえて言葉で、それも一言で名状するなら、
「フランスパン……」
「は?」
「いえなんでも。」
 マルはじっとテーブルの上の焼きそばパンを見つめて首を振った。
 並盛中学校応接室、午後十二時五分。
 そっとマルの目の前にそれを置いた大きな手の主は、首を傾げながらも所定の位置らしい入り口近くに戻っていった。
 人生においても超先輩に見えるこのでかい男は草壁というらしい、と入学してすぐぐらいにマルは把握している。風紀副委員長で見た目通りの強さだから絶対に怒らせるなと。
 突然の呼び出しで購買へ行けなかったマルを気遣って、その副委員長がわざわざ買って来てくれた焼きそばパン。こんなに威圧感を放つパンが他にあるだろうか。
「ええと、それでその、オレが呼び出されたのって」
「パン食べないの?」
「あ、はい、いただきます……。」
 完全にテーブルの上を睨みつけていたマルは素直にパンを包むビニールへ手をかけた。
 部屋の主人は満足そうに頷くと、「食べながらでいいよ」と案外気さくに声をかけながら執務机から立ち上がって、マルの向かいに移動してくる。
「呼び出した理由ね。」
「は、はい。」
「花村マル。君、風紀委員にならないかい?」
「ごふっ」
 焼きそばが危うく溢れるところだ。
「事務仕事のできる人間を探していてね。」
 雲雀はマルの挙動を気にすることもなく、やはり嫌に機嫌良さそうな笑みを浮かべている。どうやら今のは聞き間違いでも、風紀委員流ジョークでもないらしい。
 しかし機嫌良さそうということは、とマルはあまり良いとは言えない頭を巡らせる。
 マルとて並中生だ。風紀委員については噂ぐらい知っている。とりあえずヤバイ組織らしい、天地がひっくり返ってもマルの入るべき組織ではないと。
 なにをどう罷り間違って自分などにお声がかかったのか全く毛頭一ミリも見当がつかないが、とにかく機嫌良さそうなうちに穏便に断るのが良策。そして可及的速やかにこの部屋を脱出、風紀委員候補からも雲雀の記憶域からもフェードアウトするのが最善策なのは間違いない。
 マルは今まで生きてきて一番くらい冷や汗を振り絞った。
「い、い、いや、です……」
「ふぅん?」
「ひっ」
 雲雀は笑顔だ。目が笑っていないとか、背後に黒いオーラが見えるとか、別にそんなこともない。心底楽しそうに、可笑しそうに笑っている。
 しかしそれならこの圧倒的圧迫感はいったいどこから発せられているのだろう。
 せっかくの焼きそばパンの味がしない。
「入りたくないんだ。どうして?」
 まだ、まだ怒らせてはいない。はず。ここで回答を間違わなければ大丈夫、冷静になれ、そして今度こそ穏便に、論理的に、中学生として正当に雲雀の追求を逃れるのだ。まるで捕まえたバッタを弄る猫のように楽しそうな雲雀の追求を――
 ――あれ? オレって生きて帰れるのか?
「だ、だって風紀委員っていつもフランスパンなんでしょっ?」
 テンパりすぎて間違った。毎食フランスパンみたいな表現になった。
 しかもご本人が横から見ている目の前でフランスパン呼ばわり。
「……昼食なら今食べてるじゃないか。焼きそばパン。」
「いや違うんです頭が……気の毒な顔ヤメテ!」
 だめだもうこの状況で落ち着くとか無理だ。
 風紀委員=フランスパンの図式が完全に定着してしまっているマルは勢いのままビッと草壁の額の上から伸びるそれに指先を向けた。
「だ、だって今時頭が、中学生であんな、あんな……っ」
「あんなとか言わないでください……。」
 ボソッと草壁が漏らしたが誰も聞いていない。
 雲雀ももちろん聞いていないので、マルの「あんな」発言を気にも留めず鷹揚に頷いた。
「……なんだ、そんな理由で嫌なの?」
「そ、そんな理由って! ただでさえ制服なのに髪型まであれじゃ、中学生活のどこに楽しみを見出せば」
「じゃあ髪型はそのままでいいよ。」
 雲雀は事も無げに言った。
 マルは目をパチクリさせる。
「へ?」
「髪型が嫌なんでしょ? それとも他に何か注文あるの?」
 言われて改めて考える。目を回す勢いで考える。が、雲雀が興味津々にこちらを覗き込んでくるだけで思考回路はあっという間にショートした。
 考えれば考えるほど強烈すぎるファーストインプレッションがぐるぐると脳裏から離れない。
「えと……なんか色々あったような……」
「すぐ出てこないってことは大したことじゃないのさ。問題ないよ。」
「あれれ……?」
「今日放課後、早速来てもらうから。帰ったら咬み殺す。」
 大したことなくない気がする。
 ところが無情にもここでチャイム。
「ああ、予鈴だね。」
「へあ」
「教室戻っていいよ。」
 雲雀はそう言ったきり呆気なく執務机へ帰っていき、何事もなかったかのように書類整理を始めた。
「ではマルさん、また放課後。」
 ポカンとしているマルを草壁がにこやかに立ち上がらせてドアまで誘導する。
 その額の上から伸びるフランスパン。
 フランスパンの、全てはフランスパンのせいだ。
 背中でパタンと応接室のドアが閉まって、計ったようなタイミングで本鈴が鳴った。

     
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