今日は実についていない日だと思った。朝から身体はダルくて、頭がグラグラと揺れる。
脚は千鳥足のようになって覚束ない。どういう事なんだろうと思って、知り合いの医者に電話をかけると、

『ああ、それは風邪だよ。へぇー、静雄でも風邪なんか引くんだぁ!ねぇ、良かったら家に来て診察させ、』

ブツリと会話を切る。
風邪。ああ、そうか。これは風邪の症状なのか。静雄と呼ばれた青年はぼんやりとした頭で考える。
都合良く仕事は休みだったものの、今日は何かあったような気がする。なにか、あっただろうか。

(…駄目だ。頭が痛くて働かねぇ…)

ボフン。ベッドに倒れ込んだ。寒い。窓は開いていないのに、冷たい風が身体を包み込んでいるような寒さ。
もそもそと動いて布団の中へもぐり込む。寒い。まだ、寒い。
この症状は、明日には治っているだろうか。治っていないまま仕事に行くなんて自分を拾ってくれた上司に申し訳が無い。
風邪ならば薬を飲まなければ。けれど、静雄の身体は普通の創りをしていない。
市販の薬で大丈夫なのだろうか。あれこれ考えているうちに瞼が重くなる。
起きたら、起きたら近くの薬局に薬を買いに行こう。知り合いの医者の家に行くまで身体が動いてくれなさそうだ。電話をして呼び出しても解剖がどうとか言ってめんどくさそうだ。
静雄はゆっくり目を閉じた。





その数分後。
激しくドアホンを鳴らす一人の黒ずくめの男。静雄の宿敵、折原臨也である。
友人の医者から静雄が風邪を引いたと聞いた為、からかいに来たのだ。とことん嫌な奴だと誰もが思うだろう。

「やっほーシズちゃん!風邪引いたんだってー?お見舞いに来てあげたよー!」

普段の静雄なら、やっほーの『や』の字で臨也の声だと瞬時に理解しこの場に現れてアパートのドアを蹴り飛ばしていたはずなのだが、一向に出てくる気配はない。
ドアノブを握って回してみればすんなりと開く扉。不用心にも程があるだろうと思いながらも臨也はそろりと中を覗いた。
昼間だというのに部屋の中は真っ暗。

「…シズ、ちゃー…ん…?居るのー…?」

幽かに感じる人の気配。なるべく足音を立てないように近づけば、そこには辛そうに呼吸を繰り返す池袋最強と謳われる静雄の姿。
枕に顔を埋めて息苦しそうにしている。息をしているという事は生きている。
その事にほっとしながらもまだ心臓は激しく脈打っていた。

「シズちゃん、シズちゃん、大丈夫?苦しい?」

何をしているのだろうと臨也は思った。放っておけばいいものを。
静雄の傷んだ金髪を優しく撫でていると、熱に魘された静雄の瞳が開かれた。

「…ぃ、ざ…ゃ…?」

「そうだよ。シズちゃん、大丈夫?辛い?水飲む?」

「…す、こし…、飲む…」

弱弱しい声。聞いて居られなかった。いつも街中で繰り返す鬼のような低い声ではない。
…心配になった。どうしようもなく、胸が痛んで、見ていられなかった。
水道水で良いのだろうかと思いつつもコップに水を汲んで静雄の前に差し出した。
だが、きちんと受け取れずその場に溢してしまう。

「わ、るぃ…、も、自分でやる、から…」

身体を起こそうとする静雄の身体を無理矢理ベッドに押し付けて臨也は落ちたコップを拾うとまた水を汲んで静雄の前まで持ってきた。
何度も持ってきて貰って悪い、と静雄は言おうと口を開いたはずだった。
しかしその口は今や臨也の口で塞がれており、そこからは水が流し込まれた。それは所謂口移し、というやつだった。

「ン、んぅ…んぐ」

乾いた喉に潤いが戻る。一滴も逃さぬようにと静雄は臨也の口に自分の唇を押しつける。
口を離しても静雄は無意識なのか、もっと、と強請る。臨也は一言も発せず、ただただ静雄に水を口移しで飲ませていた。
ああ、何をしているのだろう。弱り切った宿敵を目にしたら胸がときめいて、動悸が激しい。
風邪を引いたと聞いたから、ちょっとからかってやろうと思って来ただけだったのに。何を。自分は何をしているのだろう。
恋人同士じゃあるまいし。ましてや男同士で…。考えたら不吉な方向へしか頭が働かなかった。
マズイ。なんだろう。非情に取り返しのつかない事をしてしまったのではないかと思い始めた。

(…頭、一回冷やした方がいいよね。うん。俺、どうかしてたよ)

はは、と小さく笑って外へ出ようとした時、コートの端がくいっと引っ張られた。
見ればそこには布団から出た静雄の手が臨也のコートを掴んでいた。まるで、行くなと訴えかけているような眼差し付きで。

「…行っちまう、のか…?」

臨也が動揺して何も言い返さないでいると、そうか、と彼は落胆した様子でコートを掴んでいた手を離した。
その様子がとても痛々しくて。抱きしめてあげたくて。
臨也は静雄の傍まで寄ると、

「…大丈夫。すぐ戻ってくるよ。ちょっと近くの薬局で風邪薬とスポーツドリンクを買ってくるだけだから」

そう言いながら頭を撫でてやれば静雄は嬉しそうに、ふわりと笑った。
不覚にもドキッとした。あんなに綺麗に笑った顔は初めてみた。ドキドキが収まらない。
自分を落ち着かせようと大きく息を吸って、吐いた。そこでふと目に入ったカレンダー。
今日の日付に大きく赤ペンで『誕生日!』と書いてあった。誕生日…、誰のだろう。
記憶を巡らせてみれば、今日は静雄の誕生日だ。

(自分の誕生日に、滅多に引かない風邪を引くとか…シズちゃん、ついてないなぁ…)

可哀相だから薬局に行くついでにケーキ屋にでも寄って、誕生日ケーキでも買って行ってあげよう。
臨也は小さく笑うとアパートを出た。

静雄の体調が良くなる頃には日はすっかり落ちて辺りは真っ暗になっていた。
この分なら明日には治っているだろう。薬局の薬で治るかどうか分からなかった為、急きょ友人の医者、もとい新羅を静雄のアパートまで来させ診察をして貰った。
結果はただの風邪。新羅特性の薬を飲ませば忽ち静雄の顔色が良くなる。ああ、良かった。
臨也は自分が安堵している事に驚いた。いつもなら、そのまま死ねばいいなんて思うはずなのに。

(…俺も、シズちゃんの風邪がうつったのかな?)

小さなテーブルの上に、ちょこんと白い箱を置いた。中身は勿論バースデーケーキ。
静雄は、起きたらケーキに気付いて食べてくれるだろうか。誰が置いたかなんて彼には分からないだろう。
食べてくれると嬉しい。見かけによらず甘い物が好きなはずだったから、ケーキは店で一番甘い物を選んできた。カロリーも高ければ値段も高い。

「…ちゃんとケーキ、食べてよね、シズちゃん」

気付いてしまったこの胸にある想いは決して許されるものではないだろう。
もう少しだけ時間を頂戴。そうしたら、きちんと答えをだして君に言うから。
静かに寝息を立てて眠る静雄に呟くと、臨也は彼を起こさないように部屋を出て自身の住むマンションへ戻っていった。



(…なーんか…昨日、臨也っぽいやつが家に来てたような……夢か?……あ?なんだこれ?ケーキ??)

―――――
静雄!お誕生おめでとう!ラァヴ!
臨也→静雄、みたいな!




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