想い続ける事の辛さより、忘れられる事の方が怖いだなんて、きっとこの事なんだろうと思った。



最初の違和感は、僕がマーべリックさんの家で目覚めた時。体調を崩していて倒れたらしいのだが、僕は全く覚えていなかった。
マーべリックさんが先に会社に戻ると言うので、僕も暫くしたら戻りますと伝えた。
いくらか体調が良くなって出社すると、いつも僕の隣で苦い顔をしながら書類と格闘している虎徹さんが、いなかった。
机も整理されているし、まだ出社していないだけかと思ったが、どうもそう思えない自分がいた。胸がざわついて、落ち着かない。気持ちが悪い。
近くを通りかかったロイズさんに虎徹さんの事を聞いてみた。

「あの…虎徹さん、まだ出社してないんですか?」

「虎徹…?」

それ、誰だい?と、ロイズさんは言った。何故と思った。どうして知らないんだ?おかしい。
虎徹さんと僕を組ませるように指示したのはロイズさんなのに。
どうしたんだいバーナビー君、と名前を呼ばれてハッとする。
僕の事は覚えているようだったが、ロイズさんの中で虎徹さんは知らない人になっていた。

「ワイルドタイガー…は、分かるんですよね?」

「何を言っているんだい?ワイルドタイガーは君のパートナーじゃないか。素性は分からない謎のヒーローとして今君と日々活躍しているだろう?」

言っている意味が分からなかった。信じたくなかった。
なんで、どうして。皆虎徹さんの事を皆知らないんだ。なんで覚えていないんだ!!
なら、虎徹さんはどうしたんだろう。この事を知っているんだろうか。
もしかして、今のアポロンメディアの状況を知っていて、追い返されたとか。
居ても立ってもいられなくて飛び出すようにアポロンメディアを出た。
能力を使ってシュテルンビルドの街を駆け巡る。
心臓が激しく脈打って、苦しい。どこに、虎徹さんは、どこに…!!

「…あッ…!!」

薄暗い路地裏に、虎徹さんはぐったりと壁に寄り掛かって倒れていた。
急いで駆け寄って抱き寄せる。顔色は悪くない。まるで捨てられたような扱い。

「虎徹さん!虎徹さんッ!!目を開けて下さい!虎徹さんッ!!」

何度も大声で呼び掛けると、虎徹さんは薄っすらと目を開けた。
それには一安心したが、次に虎徹さんが放った言葉に驚きを隠せなかった。

「…お前、ダレ?」

「え…こて、つ…さん?」

「ってェ〜…あれ、なんで俺こんな所に居るんだ?確か俺は…あれ、何してたんだっけ?」

キョロキョロと周りを見渡した後、僕の方を向いて。

「なぁ、お前さ」

「…はい…?」

「俺の事、知ってる?さっき俺の事呼んだよな?もしかして、コテツって…俺の名前?」

信じたく、なかった。彼は、何も覚えていなかった。
何があったのかも、彼は覚えていない。
僕がマーべリックさんの家に居た間に何が起こったんだ。
とりあえずその場に座らせて、何を覚えて、何を覚えていないのかを聞いてみた。
ある程度の事は覚えているだろうと思っていたのに、虎徹さんは自分の名前も職業も家族も友達も今までの思い出も、何もかも、忘れていた。
まるで、鏑木・T・虎徹という人物が消されたかのようだった。
ショックで言葉が出て来ない。呼吸が止まる。目の前が、真っ暗だ。
自分の家も分からないというからとりあえず今日は僕の家へと泊まらせる事にした。
これはどういう事なんだろう。一度マーべリックさんに相談した方がいいのだろうか…。
でも、マーべリックさんも虎徹さんの事を忘れているかもしれないし…。
でも、一応聞くだけ聞いてみよう。虎徹さんの事はその後でも遅くはないはず。
僕の家の中をある程度キョロキョロと見渡した後虎徹さんは僕の名前を聞いて来た。

「なぁ…今更って感じだけどさ…お前、名前なんて言うんだ?」

「…バーナビー・ブルックスjr…です」

「へぇ…、良い名前だな。ごめんな、迷惑掛けると思うけど…よろしく、“バーナビー”」

ズキンと胸が痛んだ。彼の声で僕の名前を呼ばれたはずなのに、胸が痛い。
そうだ、彼はもう僕の知っている虎徹さんではないのだ。
だから、もう僕の事を“バニー”だの“バニーちゃん”などとは呼んでくれないんだ。
くだらない愛称で呼ばれなくなる事は嬉しいはずなのに、どこか寂しげで、悲しかった。
胸がズキズキと痛む。

「…すみ、ません…ちょっと出掛けて来ますので…少しだけ待っていてくれませんか?」

「ん?ああ…今のところ俺の事知ってるのお前だけだしな…。外に出ても、俺にとっては知らない街も当然だし…下手に迷ってバーナビーに迷惑掛ける訳にもいかねぇからな…大人しく待ってるよ」

もう一度すみません、と謝ると僕は迷わずアポロンメディアへバイクを飛ばした。
突然記憶が無くなるなんてあり得ない。何か彼の身になにかあったはずなんだ。
アポロンメディアに着くと一目散にマーべリックさんの元へ向かった。
扉に手を掛けようとした時、中から話声が聞こえた。
それはどうも虎徹さんの事らしく、聞き取り悪いが今の虎徹さんの状況を話しているようだった。
記憶を消した、彼は捨てた、これで計画に支障はなくなった…など。信じられない内容だったが、僕も薄っすらとマーべリックさんの家で目覚める前の事を思い出した。
そうだ、僕は写真の違和感に気付いてマーべリックさんにその事を言ったら彼は記憶を操作出来るNEXTで…。
湧き上がる怒りに能力を発動させて目の前ドアを蹴破った。

「マーべリック…ッ!今の話は、どういう事なんだ…!!」

「…聞いてしまったんだね、バーナビー」

何故こんな事を、虎徹さんに何をしたんだ、と彼を問い詰めると。
虎徹さんは僕と言い争いをした後、姿を消した僕の身を心配し探していたらしい。
その内に偶然とはいえマーべリック達の裏の顔を知られそうになってしまい、マーべリック達は何とかしなければと虎徹さんを呼び出して記憶を消した。そういう事らしい。

「彼は最後まで君の身を心配していたよ。無事なのか、独りで泣いていないか、傍に居て支えてあげなければ…とね」

「…ッ、こてつ、さ…」

「だがもう、そんな感情は無くなっただろう。これで彼はもう何も心配しなくて良くなったんだからね。何故なら彼の今までの記憶は全て消えてしまったのだから」

僕のせいだと思った。虎徹さんの記憶が真っ白になってしまったのは僕のせい。
目の前にいる男も許せなかったが、あの時僕が虎徹さんがヒーローを辞めると言った事に怒って彼の傍を離れなければこんな事にはならなかったんじゃないだろうか。
あんな事になっても、虎徹さんは僕の身を心配してくれていたのに。
彼に会いたくなった。ごめんなさいと謝りたかった。
でも、謝った処で今の虎徹さんは僕の知っている虎徹さんではないから、謝っても意味がない。
僕の記憶まで消そうとするマーべリックを振り払って僕は一目散に家へと向かった。
会いたい。抱き締めたい。
駆け込むように家に入ると、虎徹さんが驚いたように此方を見た。

「お、おかえりバーナビー。用事は済んだのか?」

「…………」

「バーナビー…?…ぅわッ」

目の前の彼を抱き締めた。胸が痛くて痛くて堪らない。苦しい。
もう、あの頃の貴方に僕は逢えないんだ。好きだ、愛していると僕に囁いてくれたあの人はどこにもいない。
僕の憧れのヒーローにはもう…。

「っ、うっ、ぁああ……ッ!!」

「えっ、どうしたんだ!?何かあったのか?おい、泣くなよバーナビー…」

名前で呼ばれる度に胸が苦しくなる。いつもみたいに呼んで欲しい。
もう兎みたいな愛称で呼んでも怒らないから。お願いだから。
そっと僕を抱き返してくる彼の腕に僕はまた涙を流した。
優しい処は、記憶が無くなっても同じなんですね。



それから、マーべリックの悪事も発覚し彼は逮捕された。
僕も今まで通りヒーローを続けていたが、虎徹さんの記憶は戻らなかった。
何かキッカケがあれば思い出すらしいのだが、虎徹さんは何も思い出さなかった。
無理に思い出そうとすると頭痛が襲い、その日一日はベッドの中で過ごす事になってしまう。
なんで、思い出せないんだろう。これもマーべリックが仕組んだ事なんだろうか。

「虎徹さん、ただいま」

「おかえり、バーナビー」

勿論、他のヒーローにも虎徹さんの事は話した。彼らに会わせたりもしたのだが、虎徹さんは思い出してはくれなかった。
お気に入りのバーや、好きなお酒。アポロンメディアにも連れて行ったし、ワイルドタイガーのヒーロースーツも見せた。
彼の家にも行った。家族の写真も見せた。
僕らが始めて出会った場所にも行った。なのに、虎徹さんの記憶は真っ白なまま。
もう修復が不可能なぐらい、彼の記憶のノートはビリビリに破られてしまったんだ。
そんなの、いくら思い出そうとしても繋ぎ合わせる事は出来ない。

「疲れただろ?飯作っておいたから…あ、余計なお世話だったか?」

「いえ…ありがとう、ございます…」

得意料理の炒飯は身体が覚えているのか、昔食べさせてもらった味と同じだった。

「ごめんな、俺がいろいろ思い出せないせいでお前に迷惑かけて…」

「そんなこと、ないですよ。虎徹さんが気にする事じゃないですから」

「でもな…」

「貴方が僕の傍に居てくれるだけで、いいんです…」

失うよりマシだ。彼の存在が消えて居なくなるより、この世にいるだけでもありがたいんだから。
記憶はもう、戻らないだろう。だけど、それでも構わない。

「でも…何か、大切な事を忘れてる気がするんだ…。俺の中の…凄く、大切…、な…っ、思い、出…ッ」

「あっ…!虎徹さんッ!…無理に思い出そうとしなくて大丈夫ですよ!頭、痛いですよね?ほら、ベッドに横になりましょう?」

頭を抱えて蹲る虎徹さんを支えてベッドまで歩く。
破れたページはもう元には戻らない。だけど、これからまた新しいページを作っていけばいい。
それだけの話だ。もうあの頃の虎徹さんには逢えないけど、ここに居るのも虎徹さんなんだ。
彼に記憶はないけど、僕の愛する虎徹さんには変わりない。

「…早く、思い出したいのに…なんで、思い出せないんだろうな…」

「もう、思い出さなくても…平気ですよ。これからまた新しい思い出を作れば…」

「だってさ」

彼は、笑った。

「お前が笑ってくれるには、俺が早く思い出さなきゃいけないんだろ?…俺は、そんな悲しい顔じゃなくて、笑ったお前の顔がみたいんだよ」

自分の事よりも、他人の事ばかり心配する処は何も変わっていなかった。
悲しいのは僕だけじゃないのに。虎徹さんだって苦しいのに。

「すみません、ごめんなさい…ッ!貴方だって辛いのに、僕は…!」

「ほら、またそんな顔する。笑ってくれよ、な?俺、お前の笑った顔が一番好きだった気がするんだ」

一番愚かだったのは僕だ。こんなにも彼は優しいままなのに。
記憶が無くても、一生このままでも構わない。
想い続ける事の辛さより、忘れられる事の方が何倍も辛いけど。
だけど、僕はそれでも構わない。
また新しく思い出を作っていけばいいんだから。初めからやり直したと思えばいい。
僕は決して、貴方を忘れたりはしないから。
僕達の事は覚えてはいないかもしれない。楽しかった日々、辛かった日々は思い出せないかもしれない。
だけど、僕らの思い出は頭ではないどこかできっと覚えてる。能力なんかで消せない大切な宝物。
僕も貴方の笑った顔が好きです、と僕が笑うと、彼は少し驚いた後また笑って。

「…ほら、やっぱり…俺、お前の笑った顔…好きだな」

僕の大好きな笑顔で、虎徹さんは笑った。



彼の中に僕の存在が少しでも残っている事が、何よりの証拠だ。

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イナギ様、お待たせしました!
す、すみません遅くなりました…!
私の胸を突くリクエストありがとうございます…!
イボが虎さんの記憶を忘れさせたら〜…みたいな話好きなんですが私の文才では表せなかった…!力不足ッ!

リクエストありがとうございました!

『たとえば僕が』様よりお題をお借りしました。

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