朝から柄にもなくそわそわとしていた。
携帯を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す。
『今日、帰るから』
昨日送られてきたメールにはそう書かれていた。
折原臨也と言えば殆どの人間が知っている関わってはいけない人物。
それが今や部屋の中を行ったり来たりと歩きまわっている。
(帰ってくる帰って来る帰って来る…!)
臨也は今歓喜に溢れていた。こんなに嬉しい事はないだろう。
帰って来るのは彼の兄 折原湊である。
数年前、湊はアメリカに仕事の関係で移住していた。
それがやっと帰ってくるのだ。湊がアメリカへ行くとなった時、本当は自分も行きたかった。
幼い頃はこの感情がなんなのか分からなかったが、今なら分かる。
人間という存在を愛するようになってからも、ずっと想い続けていた。
今なら言える。だから早く帰ってきて。そしてそのままずっと一緒にいよう!
がちゃり。
扉が開く音がした。来た。来た来た来た!!
駆け足で玄関へ向かう。そこに居たのは。
「…なんで波江がいるのさ」
「自分で呼んでおいてその態度はないんじゃないかしら」
忘れていた。今日も明日も明後日も。何も変わらないと思っていたから。
けれど今日は違うのだ。自分の兄が帰ってくるのだ。
「悪いけど、今日は帰ってくれないかな。ちょっとこれから会う人間がいるんでね」
「どうせ仕事関係の、でしょう?私はその辺の資料でも読んでいるから、気にせず話してればいいじゃないの」
「今日は駄目なんだって。俺の大切な人だから、さ」
「あら。じゃあそこにいるお客は帰ってもらっていいのね?」
「客?今日は仕事の依頼なんて入ってないけど…。まぁいいや。さっさと帰ってもらってよ」
「…まったく。こんな無駄足するんだったら誠二に会いに行った方がマシだったわ。…そういう事だから、お帰りくださる?」
波江が振り返り、扉の後ろにいるであろう人物に声を掛ける。
どうせこの前からかった女達だろうと思っていたのだが。
その人物の声を聴いた途端。臨也の心臓は跳ね上がった。
なぜならそれは、何年も待ち続けた人物のものだったのだから。
「そうか…。じゃあ、一度戻る事にするよ。無理を言ってすまなかった」
「いいわよ、別に。私は困らないもの、…ぇ、ッあ…!」
臨也は考えるより先にすでに身体が動いていた。
聴いた事のある声。忘れるはずがない。待ち望んでいた人間が、すぐ傍にいるのだ。
逃がすはずがない。波江を押しのけて、扉の後ろにいる人物を己の眼で確かめる。
間違えるはずがない。この、声。
「湊…!」
「あ、臨也君。久しぶり。少し見ない内に大きくなったなぁ。相変わらず情報屋なんて仕事をしているのかい?」
「ッ…まぁ、ね。湊も全然変わってない感じだね」
「まぁね。…ところで臨也君。君も隅に置けない弟だね。彼女ができたなら教えてくれてもいいじゃないか」
「…は?」
「この素敵な女性は君の彼女だろう?全く羨ましい弟だ」
うんうん、と一人頷く湊を見て、臨也は深い溜息を吐いた。
それと同時に少しの安堵感。湊という男は数年合っていなくても全く変わっていなかった。
恋愛事には、相手の事も自分の事に対してとても疎い。ましてや勝手に色々と妄想をし始め、勝手に結論付けるクセがあるものだから、
される側にとってはいい迷惑である。
「ちょ、違うんだけど。波江は彼女なんかじゃないし」
「え?」
「そうよ。私には誠二という愛する弟がいるの。こんな変態と一緒にしないで」
「変態って酷いなぁ波江。弟ラヴなブラコンに言われたくないんだけど」
「え、えぇ、え?これどういう事?え、ぇぇぇえ????」
玄関先で何をやっているのだろう。いい加減部屋の中に入りたい。
臨也は頭を抱え唸っている湊の腕を取って部屋の中へ招き入れた。
「湊」
「ん?」
「もう、どこへも行かないよね?ずっと一緒に居られるんだよね?」
湊は眼をシバシバとさせた後、少し考えて言った。
「分かんない」
「……………は?」
今度は臨也が驚く番であった。そこは「うん、行かないよ」って答えるでしょ普通!
と、内心湊に対して突っ込んでいたのだが。
次に放たれた言葉で臨也はさらに驚く事になる。
「俺、今プチ旅行の途中なんだよねぇ。今は日本にたまたま帰って来てるだけで、今度はどこに行くか考え中なんだよ」
「…なにそれ。仕事はどうなったのさ」
「辞めたけど」
あっさりと放たれた辞職の言葉。自分の兄はこれほど馬鹿だったのだろうか。
否、そうでないと信じたい。今まで想ってきた自分が愚かじゃないかと思えてきた。
「大丈夫大丈夫。お金はあるから」
「金の問題じゃないよ。…じゃあなに?今湊はニートなの?」
「ニートとか言うなよ。俺のガラスのハートが傷つくだろ。今の俺は夢追い人」
「世間一般ではそれをニートって呼ぶんだよ馬鹿兄貴」
先程まで湊が帰って来る事があんなにも愉しみであったのに。
今やこんなにも兄が帰って来た事に落胆している。
さっきまでの純粋な気持ちを返して欲しい。
「貴方のお兄さん、面白い人ね。夢追い人なんて言う人初めてみたわ」
「ありがとう。えっと、波江さん…だっけ?」
「波江でいいわ。…後、私お礼を言われるような事言っていないのだけど」
「………。ところで湊。住む家とかあるの?」
「んー…そうだなぁ…今の処、ダンボールハウスとかしか…」
「お願いだから本気でそういう事するの止めてよ。仮にも俺の兄貴なんだからさ。あの情報屋折原臨也の兄がダンボール暮らしなんてホントに笑えないから」
お気楽で、マイペースで。自分とはまったく違う湊に対して臨也は深く溜息を吐いた。
なぜこんなにも違うのか。一瞬でも眼が離せない処が厄介な兄である。
「…分かった。部屋は用意するから、此処に住みなよ。ていうか住んで」
「え!いいのかい臨也君!?」
「ダンボール暮らしよりマシでしょ。…ホント、俺の兄なくせして眼が離せない弟みたいだよ」
「弟は臨也君の方だろう?」
「分かってるよ。例えだよ、例え」
(聴いてるだけで面白いわね、二人の会話…)
本当に兄弟なのかしら。波江はふとそう思ったが、これから交わされる二人の噛みあっているようで噛みあっていない会話に心弾ませた。
帰ってきた兄は夢追い人
(あ、そうだ湊)
(なんだい臨也君)
(おかえり)
(…ただいま、臨也君)
――――――
ニートな兄が帰ってきた!的な話が書きたくて出来あがった産物。
マイペースな兄に振り回される永遠の23歳な弟。
続くかもしれない。