――母さんは。
 母さんは、この徴の正体を知っていたのだろうか。
 ふとそんなことを思うと、ノートをとっていた手が止まった。

「どうかなされましたか、レハト様」

 ローニカが突如勉強の手を止めた僕を認めて尋ねる。
 ただ、手が止まっただけだ。けれど集中が切れてしまったようで、これ以上続けても効率は上がらなそうだった。
 具合が悪いわけではないので、ローニカに向かって首を振る。
 集中力が途切れてしまったから、気分転換に少し休憩したいと伝えれば、ローニカは納得して頷いてくれた。

「中庭の辺りを散歩してきてはいかがでしょうか?今の時間ならば、気温も程よいかと」

 ローニカの提案に乗る。中庭なら、ひとりで考え事もできる。
 勉強道具を片付けて、中庭に出る。
 ローニカが供をつけろと頑固に主張したが、僕はひとりになりたいと言ってそれを突っぱねた。
 基本的にローニカは、あの歳経た侍従は過保護なのだ。どうしてそこまで田舎者の僕に入れ込むのかは、わからないけれど。

 さわさわと風が吹き抜けて葉を揺らす音が心地好くて、しばしの間、自然の音楽に酔いしれる。
 新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んでから、僕は中庭の片隅にある泉をのぞきこんだ。
 水はとても澄んでいる。ちょっと間抜けな顔の僕が映り込んでいた。ふと、地下湖に突き落とされた事を思い出して顔が歪む。
 額には相変わらず継承印が鎮座している。村にいたときは、母さんに言われるまま、変な痣くらいにしか思っていなかったのに、今やこれが王位継承者の証だ。

 ……いや、もともとこれは継承の徴だったのだ。母さんに隠せと言われていたから、発覚しなかっただけで。
 本当に、母さんはこの徴の意味を知らなかったのか?
 神殿の膝元である、ディットンで暮らしていたにも関わらず。
 田舎にいたときよりは幾分か回るようになった頭で、考える。
 母さんは、もしかしたら、僕が王城に連れていかれるのを恐れたのかもしれない。
 父さんはいなかった。そこで僕もいなくなってしまえば、母さんはひとりになってしまう。
 それを母さんは何より恐れたのかもしれない。
 ……考えても、意味はないことはわかっていた。真相は闇の中だ。母さんはもう神の国に召されてしまったのだから。

 さく、と草を踏む音が聞こえて、僕は振り返った。
 そこには足音を忍ばせて歩いてきたらしき、ヴァイルの姿がある。
 僕に気づかれたとわかったヴァイルは、少し照れながら普通に近寄ってきた。

「よ、レハト。自分の顔なんか見てて楽しいか?」

 からかうようなヴァイルに、僕は考え事をしていた、と返した。
 ふうん、と興味なさげに相槌を打ったヴァイルは、唐突に何かを思いついたようないたずらっぽい笑みを浮かべた。

「なあ、レハト。今ヒマならちょっと遊ばないか?」

 ああ、この顔はあくどいいたずらを思いついた時の顔だ。
 ヴァイルが訪れた時点で、静かに考え事はできそうにない。どうせ休憩時間なのだし、いたずらにのってやる事にする。

「っしゃ!さすがレハト!じゃ、行こうぜ!」

 ヴァイルが僕の手をとって走り出す。
 風を裂いて、ヴァイルの侍従長の叫び声から逃げるように僕たちは王城をひたはしる。
 それが楽しくて、母さんが徴の意味を知っていたかなんてどうでもよくなってしまった。

僕は、ただここにいたい。



あとがき
うちのレハトはこんな感じ。
よくも悪くも子供らしいというか、切り替えが早いというか。
こっそりタナッセイベントも消化している(笑)

20111110 瀬音 1多いな

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