忘却を奏でる揺り篭で



この村の平和は、神様と聖女の力のお陰なのだそうだ。私たちが穏やかに暮らせるように、護ってくださっているのだという。村の北側に小さな森がある。誰一人として、立ち入ることはできない。そこに神様と聖女が棲んでいるそうだ。神聖な場所だから、人が入ってはいけない。人が足を踏み入れれば、それすなわち神への反逆。
フランソワが聞いていたのは、ずばりそういった曖昧な約束事だった。森に入るだけで神様への反逆になる。そもそも神が世界に実在するのか。彼は大人の言うことを、素直に聞き入れようとしなかった。今まで、何度も森への侵入を試みた。ことごとく失敗した。其の度に、村の長や祖父母に叱られた。だが、好奇心のせいか、彼はけっして諦めなかった。前回の失敗から一ヶ月が経過する。しばらく大人しくしていたから、村の連中も皆油断していることだ。今夜こそ、フランソワは森へと駆け出した。
ランプを片手に持って、薄暗い中を歩く。どこへ向かっているのかはわからない。ただ、歩いていた。帰りのことは考えていなかった。
ひゅー、と風が吹き、フランソワは肩を震わせた。薄着だったのかもしれない。肩を抱いて、視線を変えると、遠くから少女がこちらを見ていた。金糸の髪が、ゆらゆらと遊ばれている。なんだ、他にも約束を破った子がいるではないか。やはり、神様のことも、聖女様のことも、嘘に違いない。フランソワがひらひらと手を振ると、向こうで少女が何か語りかけてきた。口の動きが少し確認できる程度で、何を言っているかわからない。
(なに、)
一歩踏み出すと、彼女も動き出した。待ってくれ。慌てて後を追う。ずっと、風の通る音だけが聴こえていた。

あと少し、その手を掴めそう。走りながら向こうに腕を伸ばすと、するりと手のひらから何かが抜けていくようだった。
「誰だ、貴様は」
気がつくと、背の高い男がいて、細身に似合った剣をフランソワの突きつけていた。肝が冷えた。
そこは先程までとは少し違う景色だった。妙にやさしい明るさで、少しばかり開けていた。中央にぽつんと木が聳え立ち、その根本に、誰かが草木の揺り篭に包まれていた。追いかけていたはずの、少女だった。透き通るような金色が印象深い少女だった。
遠目に彼女を見つめると、剣の切っ先が喉元に近づいた。フランソワの心臓が忙しなく鼓動している。
(バーム、剣を下ろして)
どこからか声がした。女の、耳に心地よい声だ。
「しかし、」
(私が呼んだのよ)
納得がいかない。それでも、男はフランソワの喉元から剣を下ろした。フランソワは急に力が抜けて、ふらふらと、その場にしりもちをついた。男が冷たい目で見下ろしていた。
「大丈夫?」
白い手が伸ばされて、フランソワはその手をとった。やさしいが、どこか冷たい手だった。あの少女が、フランソワに向かって、にっこりと微笑んでいた。
少女は森の中心で、揺り篭に抱かれ、失くしそうしそうな記憶を繋ぎ、人を待っていた。




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