失神症候群





 たとえば、そう。こんな風に大勢の人に囲まれて笑っている時。哲志は本当に……ほんとうにつまらなさそうな顔をする。
 尤もそれは、よほど注意しないと見落としてしまう、とても些細な兆しだけれど。人好きのする優しい目を細めて、けして力強くはない、けれどもどこか人を安心させる声音で仲間を激励する。いつも成り行きで皆の期待を背負ってしまう、生まれもった性質を嘆くこともしないで。裏表のない笑顔を誰も疑わない。だからその瞳がここではないどこか遠くを見つめていても、みんな気が付かないのだ。

 (あ…哲志ったらまた喋りながら他のこと考えてる)

 放課後の教室で文化祭の準備に勤しむなか、私は幼馴染み――本当はそれだけじゃないけれど――の横顔を盗み見て思った。
 文化祭当日まであと十日と迫った今日。部活単位の出し物のある生徒を除いた十数人で、私達は今、遅れていた飾りつけの制作に追われている。おしるこ屋はウェイターが命!と配膳スタッフの着物デザインにこだわりすぎたのが主な原因だけど、カワイイのができたから結果オーライだよね!と女子数名で笑い合う一方、机の群れを挟んだ向かい側では男女混合のグループが、やや大きめの飾りつけや壁を覆う飾り布のレイアウトについて最終確認をしている所だ。

 「木製のオーナメントは時間がかかるから優先的にやろう。男子が校舎裏で木の板切ってくるから、女子はその間に布のミシン掛けを頼む」

 「りょうかーい!」

 少しかしこまった口調の哲志と、それに応えるクラスメイトたち。
 なごやかな青春風景のなか、その中心立つ哲志の顔は、さも充実しているように見えて―――倦んでいた。
 それは決して、目の前の友人を侮っているのではなく、ましてや嫌悪しているわけでもない。ただただ慣れすぎたのだと、今の私はそう解釈している。

 昔から哲志は、流されやすい性格だった。人に頼られるとノーとは言えないお人好し。一方で仲間内に不和が起こると率先して調停にかかる。“誰かがそうすることを望んでいる”と、直感的に悟ってしまうからだ。空気を読みすぎてしまう――と言い換えた方がいいだろうか。
 他人に合わせるのが異様に得意なせいで、便利屋的に祭り上げられてしまう。そんな不幸な体質の幼馴染みを側で見続けてはや五年。最初こそ戸惑う表情も見せてたけれど、毎度お決まりのパターンになってからは苦笑いすらなく…。

 哲志自身、嫌がってるわけじゃなかった。だから私も強いて止めず、必要ならサポートもしてきた。昔も今も、哲志にマイナスの感情は無い。あるのはただ定型化された日常だけ。
 最近は私が助け船を出さずとも上手くやれてるけども、それが逆に寂しくもあり、またすっかり板についた柔らかな愛想笑いが悲しくもあり。
 けれども哲志がそれでいいと在るがままを受け容れるのなら、そこに介入する権利は私にはない。いくら心配したりもどかしく思っても、それは身勝手な同情の押し売りであって、相手にとっては毒でしかないのだから。

 頭では理解していた。でも、それでも……。煮え切らない思いを抱えながら、私はただただ見送っていた。明るい笑顔を振り撒きながら、大きなベニヤ板を数人がかりで運び出すその姿を――。

 ―――と。

 「いてっ…いてぇよ引っ張んなって篠崎!」

 「うるっさいわね、学校いるなら少しは有意義なことしなさいよ!」

 遠くから聞こえてくる騒がしい男女の声。一人は小鳥のように甲高く、もう一人はすこし気だるげで、どちらも私のよく知っている―――、

 (………あ)

 ―――次の瞬間、哲志の変化は劇的だった。
 離れた所からでもよく見えた。荒れ地の草が水を吸い上げて、ぱあっと花がほころぶように、哲志の顔に生気が宿る。心ここにあらずと宙をさ迷っていた意識がするりと肉体へ戻ったかのように、退屈の色が剥がれていって……。

 「良樹っ!」

 叫ぶや否や、哲志はベニヤ板を放り出して教室の外へと飛び出していた。

 「おわっ……と、なんだよ哲志」

 「なんだよはこっちのセリフだ!お前学校来てたなら教室に顔出せよー」

 ぼふんっ、と何か柔らかいものがぶつかる音がして、弾んだ会話が間髪いれずに聞こえてくる。視界から外れてしまってもう見えないけど、見なくても分かる。床を蹴った勢いのまま、一方の声の主――哲志にとっての一番の親友である彼、岸沼良樹に飛びついて、飼い主だいすきな大型犬さながらにじゃれついてる。それはもう、無いはずの尻尾をパタパタさせるのが目に浮かぶみたいだ。

 「直美?どうしたのボーッとして」

 「……あぁごめん。何でもないよ……うん」

 隣にいた女子に呼ばれて、ようやく私は彼らから視線を外す。「中庭でサボってるのを見つけてきたの!」自慢げな女子の声――岸沼を此処まで連れてきた篠崎委員長のものだ――を背中で聞きながら、廊下の賑やかな喧騒からそっと距離を置いた。
 
 (なによ、もう……あのバカは!)

 そんな風に思うのは、われながらずいぶんと自己中で一方的だ。けどこればっかりは許してほしい……だって六ヶ月だ。ほんの六ヶ月のうちにやってのけたのだ。私が五年かかっても出来なかった偉業を。あの金髪不良男子は。

 健全健康優良児を地で行く哲志と、規範と呼ぶもの全てに反発を示すはねっかえりの岸沼が、いったいどんな経緯で友人関係を成立させたのか。詳しくは知らないけれど、先に近づいたのは哲志のほう……だと思う。他の子達が一目見て遠慮するくらい他人との交際を拒絶していた岸沼に声を掛けたのは、親切心から、なのだろうか。分からないけれど……とにかく、部外者の私じゃおよびもつかない化学反応が起こって、ひねくれ者の心の鉄扉をあの子がこじ開けてしまったわけで。

 だけど、そうやって哲志が居場所を与えたのと引き換えに――岸沼が哲志の世界に“色をつけた”のには、よりいっそう驚いた。

 そう――哲志は慣れきってた。周りから頼られることにも、無意識のうちにに皆の望む“いい子”になることにも。
 だから……なのだろうか。恐らく岸沼は最初から哲志になにも期待してなかったから、居心地が良かったのかな。
 岸沼にとっての哲志は、矮小も誇張もない唯の等身大の男子生徒に過ぎなかった。彼にとってはそれが当たり前なのに、哲志から見たらとても不思議でおかしくて、ペンキ玉をぶつけたみたいに刺激的で……機械的に脱色された世界を鮮明な色にするには、十分すぎる衝撃だったのだ。

 岸沼と一緒にいる間、哲志はあらゆるレッテルから解放された。その時の哲志は怖がりで小心者の、お世辞にもクラスのリーダーとはいえないへっぽこ男子だけれど。……けどきっと、そうじゃないと見れない景色があるのだろう。それくらい哲志の顔は、どんな時よりも生き生きしていたから――。

 ああやっぱりだと、思い返して私は確信する。あの時からだ。哲志の退屈でくすんでいた瞳の奥に、キラキラとオーロラみたいな輝きが生まれたのは。それを見て思ったんだ。哲志はいま、本当の意味で、学校が楽しいんだなあって。

 「……直美?」

 「……うん?」

 「嬉しそうにしてどうしたの?何か良いコトあった?」

 「ううん、なんにも?」

 ……あーあ、これだから憎めない。
 知らず緩んでいた口許を引き締めると、縫いかけのテーブルクロスに意識を戻した。悔しいけど、感謝してるわ。見守るだけだった私の代わりにあの子の心を引き揚げてくれて、ほんとにありがとう。あんたの手はガサツで荒っぽいけど、同じだけたくましいから。
 どんな暴風雨でも沈まないように哲志の手を握ってくれてる。もっとも振り回されてるのは岸沼のほうだけど……ま、そんなことは置いていて。

 「おい持田ー、二人じゃコレ運べないんだけど?」

 「わーっとごめん!忘れてた!」

 重そうにベニヤ板を抱える男子の声でようやく我に返ったらしい。慌ただしい足音と、「丸投げしてんじゃねぇよ」とか「あなたが言う資格ある!?」とかのかしましい会話が、放課後の教室の空気を眩しく彩っていく。

 (こうなったからには、最後まで責任持ちなさいよ?)

 親友にしては距離感が近すぎるやりとりは…………気のせいだってことにしておく。何にせよ、哲志があんなにベッタリ甘えられるのは…岸沼、今のところアンタだけなんだから。ベッタリし過ぎるのは多目に見てあげる。でも途中放棄は許さないよ?

 だから――願わくは、遠い未来(さき)まで、あなたたち二人が隣どうしで笑い合えますように。

 そんな喜びと嫉妬が半々ずつの密やかな祈りは、誰に届くでもなく虚空に溶けて消えてゆく。けど消えてなくなる前に、名前も知らない神様が拾ってくれたらいいな、なんて、ちょっぴり思った。

 二年九組は今日も平和だ。






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