畳のにおいがする大部屋は、6人で使うにはもったいないほど大きな部屋だった。中央を大きな襖で仕切れるようになっている作りは、まさに昔ながらの旅館だ。晩御飯もおいしかったし、卓球のあとにもう一度お風呂にも入った。エアホッケーは狡噛さんと朱ちゃんの真剣勝負で白熱して、征陸さんと卓球もした。
満足しきって布団を敷くと、朱ちゃんが申し訳なさそうに私を見た。やわらかそうなショートカットの髪が、浴衣のうえで揺れる。



「すみません、男女一緒の部屋に寝るのはどうかと思ったんですが、防犯上の理由でこういう形になってしまって」
「いいよ、温泉に来れただけでじゅうぶんすぎるんだし」



潜在犯が温泉に行けるだなんて、有り得ない話だろう。朱ちゃんにはぜひこのまま局長の弱みをひねり潰していてもらいたいものだ。危険が及ばない限りは。

まっさらなシーツと布団がたくさん用意されているのを見て、むくむくと昔の記憶が蘇ってくる。誰かと旅行をしたら、夜は枕を投げて語り合っていたものだ。たかが枕、されど枕。顔面に当たるとかなり痛い。痛みを思い出して鼻をこすっていると、縢が布団に寝転んで見上げてきた。



「ねえ名前ちゃん、温泉って何もないの?飽きちゃったんだけど」
「温泉はひたすらゆっくりするところだからね」
「えー?まだ眠くないし暇だし」
「何言ってるの縢、夜はここからでしょう」



そういえば縢は、5歳で施設に入れられて両親の顔も覚えてないんだっけ。温泉に来るのも初めてだろうし、わからないのも仕方ない。
押入れから枕を出して構える私を見ても、縢はきょとんとした顔をしている。ふっふっふ……こうなれば先制攻撃あるのみ!振りかぶって枕を投げると、縢は器用に布団のうえを転がってよけた。



「ちっ、避けたか」
「なんで舌打ちしてんの!っていうか何!?」
「何って……枕投げに決まってるじゃない。旅行に来たら夜は枕投げと恋バナとビール、これに尽きるのよ!」
「う、わわっ!」



またしても枕を避けた縢が、布団から飛び起きる。自分の枕を持って構える縢を警戒していると、オレンジ色の髪の毛のうしろから何かがゆらりと立ち上がった。
ぐしゃぐしゃな髪でふつふつとこみ上げる怒りを隠そうともしていないのは、枕が当たったらしい宜野座さんだった。



「お前ら……何をしている!子供じゃないんだぞ!」
「げっ、ガミガミギノさんだ!」
「宜野座さん、いまです!後ろから縢を狙い撃ちにするチャンスです!」
「お前もだ、名字!」



私に当てようとしたらしい枕は、慣れない義手によって投げる前に手から離れた。一緒に碁をしていたらしい狡噛さんの頭に枕がぽすんと乗って、一拍のちに縢と二人で笑い転げる。まさか投げる前にすっぽ抜けるなんて、あまりにも宜野座さんすぎるじゃないか。



「ひー!ぎ、宜野座さん、女の子ですか!すっぽ抜けるとか!ひー!」
「ぶふぉっ、名前ちゃ、笑いすぎだって!ぶふっ、それ以上笑ったら、ギノさん怒る!女の子みたいに!ふはっ!」
「縢だって笑ってるじゃん!宜野座さん芸人ですね、体張って笑いをとるなんて!」
「……貴様ら……」



低い宜野座さんの声に、笑いすぎたと悟るにはもう遅い。私の横に避難してきた縢は、ひくりと引きつった笑いを浮かべた。今度こそ離さないと握り締めた枕を振りかぶって、宜野座さんが腕をしならせる。が、枕は私と縢のほうには来ずに、朱ちゃんの顔面にヒットした。静まり返る室内に、朱ちゃんの顔から枕が落ちる音が響く。



「……宜野座さん」
「いや、その、今のは偶然だ。わざとじゃない。す、すまな」
「お返しです!」



謝りかけた宜野座さんの顔に枕が当たって、後ろで狡噛さんがくすりと笑う。それが引き金のように、室内は枕投げの場へと変貌した。みんなで子供のように枕を投げ合って、浴衣をひるがえしながら思う存分騒ぐ。征陸さんも枕を投げているのを見て、なんだか嬉しくなってそばに駆け寄った。



「征陸さん!」
「こんなのをしたのは何十年ぶりだろうなあ」
「私も、懐かしいです」
「名前といると、どうも年甲斐もなくはしゃいじまうみたいでな。呆れたか」
「まさか!嬉しいです、私だってはしゃいでますから」



征陸さんの視線が、縢に集中攻撃されている宜野座さんを映し出す。狡噛さんは枕の軌道を見切って、素早く避けては反撃している。宜野座さんと縢、狡噛さんと朱ちゃんの対決のようになっている部屋には、枕が飛び交っていた。その光景を眺めながら、二人で枕を握り締めたまま幸せというものを噛み締める。



「宜野座さん、私たちのこと、認めてくれたんですね」
「前から、認めてくれていたさ。ただそれを口に出してないだけでな」
「そういえば、宜野座さんってば前から気遣ってくれてたりして……いい人ですね」
「──ああ」
「あとは、あのヒロインっぷりがどうにかなったらなあ……。宜野座さんがちまちまアボガドと海老の生春巻きとか食べてるとき、私は横でビールを一気飲みですよ。どっちが女かっていう話です」
「俺はそんな名前が好きなんだから、いいだろう」
「……はい」



自然と近付いてくる顔に笑って目を閉じかけたとき、私たちの顔のあいだに風が通った。枕が壁に当たって力を失うのを見て、投げた人を探す。真っ赤になって次の枕を構えている宜野座さんは、うざったい前髪を跳ねさせながら指を差してきた。



「とっ、時と場所を考えろ!」
「宜野座さん、人を指差すなって教わりませんでした?」
「いや、俺は教えたぞ。伸元、人を指差しちゃいかん」
「それどころじゃないだろう!」
「……征陸さん、宜野座さんってもしかして恋人いたことないんですか?神経質だからですか?」
「そろそろ孫の顔も見たいんだがなあ」
「放っておいてくれ!」
「……ギノさん、完璧に遊ばれてるじゃん」



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